普段は食にこだわることのないロレッタが、春は今か今かとそわそわ芽吹きを待っているものがある。それはある意味、私とロレッタを引き合わせたきっかけともいえる植物で、薬草とも山菜とも野菜ともいえる。クマネギだ。
読者の皆さんにお話ししたかどうかは忘れたが、私は北海道出身だ。すすきの界隈で生まれ育ったにも関わらず、野生動物の写真家だった父のおかげで、小さなころは随分多くの時間を山で過ごした。父に連れられて行く早春の山では、雪の下からひょこっと顔を出すフキノトウをはじめ、雪が解けると行者ニンニク、タラの芽、ツクシなどの山菜が次々と芽吹き、父の撮影時間の合間を縫っていそいそと摘む楽しみがあった。特に私が好きだった山菜料理は、醤油に行者ニンニクを浸して香りを移したものだった。醤油はニンニク風味になり、行者ニンニクは醤油風味になって、刻んでご飯に乗せて食べるととても美味しかったのを覚えている。
イタリアに住み始め、日本の山菜採りとご無沙汰になってから、とりわけ恋しく思っていたのがこの行者ニンニクだ。幸いフキノトウはイタリアでも発見でき、フキ味噌をいそいそと作るのは私の習慣になっていた。しかし行者ニンニクにはなかなかお目にかかれず、春が来るたび物足りなさを感じていたのだ。行者ニンニクは学名をalliumといい、まさに我々の知るあのニンニクの親戚になる。
アペニン山麗の村に引っ越してきて子育てが一段落したころ、私は窓の外に見える山を眺めながら、あそこにはどんな山菜があるんだろう、といつも思っていた。春の芽吹きの時期になると、フキノトウや行者ニンニクを想わずにはいられない。春=山菜と頭の中で直結しているから、山を見ると“食べられるもの”が浮かんでくる。炊き立てのご飯の上に乗せたときの、あの香りがよみがえってくる。恋しくなる味とはこういうことなのかと、海外生活を実感するのが春だった。
そんなこんなでロレッタと出会い、彼女の家にお邪魔させてもらうようになった経緯は
第1回でお話ししたが、何度か通ううち、私は彼女の家で驚きの光景を見ることとなる。その日、家の中には大きな布が敷かれ、その上に何やらものすごい量の緑の葉が広げられていた。一見スズランの葉のように見えるが、強烈なニンニク臭が家に充満していて、一歩入るといつもと違う様子なのはすぐに分かった。
「うわ、このすごい匂いは何? そしてこの葉は何なの??」と思わず私は声をあげた。
するとロレッタはケタケタと笑ってこう言った。「あらユキコはクマネギを知らないのかい? これはね、私が唯一“料理する”保存食になるんだよ」

摘んだクマネギを広げるロレッタ
クマネギ……言われてみればこの匂い、小さなころ北海道で採っていた行者ニンニクと香りが似ている、と思った。ということはこのクマネギは、行者ニンニク代わりに使えるということ??? そうなの????
私はにわかに興奮して、葉を味見していいか聞いた。少しかじると、行者ニンニクよりもドライで、ピリッとした辛みがある。茎はやわらかく、葉よりも丸い味がする。同じではないが、明らかに行者ニンニクの親戚の味がした。これは、きちんと代用品になるではないか! 私は飛び上がり、ロレッタにありがとう、教えてくれてと勢い込んで言った。「何なのユキコは。急に来たと思ったら叫んだり飛んだり。よしとくれよ、うっとおしい」とロレッタに怒られたが、今日はそんなことはどうでもいい。なんといったって行者ニンニクの代用品が見つかった記念日なのだから。
私は落ち着きを取り戻して深呼吸し、ロレッタに事の成り行きを説明した。このクマネギが、私がとても大切に思っている山菜の代用品になるかもしれないということを。
「そんなに好きなら、ネローネ山の標高1000メートル以上のところにわんさか生えているよ。ブナ林の下はほとんどこのクマネギでいっぱいさ。好きなだけ採りに行くといいよ。どうでもいいけど落ち着かないと出ていってもらうよ」
目をギラっとさせてそう言うので、私はわざと申し訳なさそうに上目遣いで彼女を見た。
「そういうロレッタはこのクマネギで何を作るの? すごい量だけど……」
なんというか、ホウレンソウの束が20束分くらい、まき散らしてあるように見える量だ。
「これはね、クマネギのペーストを作るんだよ。クルミやヘーゼルナッツは拾ったのが山ほどあるから、あとはオリーブオイルさえあれば、塩を加えてブレンダーにかけるだけ。瓶詰めして、あの家具の下の日の当たらない涼しいところに置いておけば出来上がりだよ。ニンニクそのものも保存料だから、乾燥した涼しい場所で保管すれば1年持つよ。高温多湿だと、まれにニンニクの水分で発酵してしまうけれどね」

クマネギのペースト

クマネギのつぼみの酢漬け
そう言ってひと瓶クマネギのペーストを持ってきた。そしてパンをスライスしてペーストを乗せ、私に差し出した。その美味しいことと言ったら、私は感動した。シンプルだけれど野生的で深い味。ナッツの味わいが、辛みをまろやかにしている。料理があまり好きではないロレッタも、これだけは今の時期に1年分作っておきたくなる気持ちがよく分かった。
ロレッタは「保存はこの家具の下が一番うまくいくね。ほら、ここの部屋の」と言って奥の部屋に行き、ティンクチャー(ハーブをアルコール溶液に漬けて作る抽出液)を並べている家具の下から箱を引っ張り出してきた。20~30瓶はあっただろうか。ロレッタ特製のクマネギペーストだ。
それからもう一つ、クマネギは成長すると花を付けるのだが、そのつぼみをピクルスにすると教えてくれた。つぼみが固いうちに摘み、塩をして水分を若干抜く。そのあとお酢半分、お湯半分の液体でさっとゆでて、熱々のうちに煮沸した瓶に入れる。これがまたものすごく美味しい。
「すごい、今日は料理のレッスンだわね。帰りにクマネギの葉も花も摘んでいくわ」
声を弾ませる私に、ロレッタは「ユキコは料理が好きだから、これは好きだろうと思ったよ。だけどこのつぼみは暖かいと一気に開いてしまうから、早く採りに行った方が賢明だね」と教えてくれた。

美しいクマネギの群生
今日はすごく楽しくて懐かしくて美味しかった、とお礼を伝えて、私は早速ネローネ山の上へと向かった。ロレッタといると、北海道の山で夢中になって山菜取りをしていた子どものころを思い出す。あのとき野生の中で感じていた、山の美しさへの感動、そしてわずかに湧き上がる自然への畏れや憧れ――。いろいろな気持ちがよみがえってくる。ロレッタが教えてくれた場所には、これでもかというくらいクマネギの群生が広がっていた。ニンニクの匂いが空気中を漂っている。
ひとりマルケ州の山の中でクマネギを摘みながら、ふと必然ということを感じた。札幌で生まれ育ち、なぜか今この場所でまた行者ニンニクの親戚に会えて、こうして摘んでいる。不思議だけれど腑に落ちる何かがあって、私は嬉しくなった。次はロレッタに私の作ったフキ味噌を持って行ってあげよう。そう思いながら私は黙々とクマネギを摘んでいた。(つづく)
(写真提供:林由紀子)
【ラファエロの丘から】
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