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美しいくらし
山の魔女が紡ぐイタリア薬草暮らし 「ラファエロの丘から」主宰
林 由紀子
第13回 冬の薬草が自由に息づくロレッタの庭
鮮やかな紅葉の終わりともに、霜の降りる季節がいよいよやってきた。アペニン山脈の冬は雪が降れば美しい雪景色が楽しめるのだが、雪が降らなければ茶やグレーがかったどんよりとした岩山が冷たくどっかりと鎮座し、山中では湿った冷たい空気が身に染みる。3カ月ほど続く長い冬の間、植物たちは枯葉の隙間や土の中で、来たる春に芽吹く準備を刻々と進める。華やかさはない季節だが、雑音の少なくなった山は凛として静かな美しさに包まれている。

パースニップの根。ニンジンに似た芳香がある

こんな緑の少ない季節に薬草仕事などあるのか?と思われる方もいるかもしれないが、実はあるものの絶好の収穫期である。はて一体何の収穫期か? それは根だ。地中に潜む多くの薬草の根は、この季節の収穫に適している。地表からは分からない魅力的な香りを持つ根や、ニンジンの親戚パースニップ、野生のヤマゴボウなど、薬用にも食用にも使える多くの植物に溢れている。

いつもの仲間とロレッタのレッスンを受けに行ったある日、ロレッタはこう言った。
「さ、今日はおしゃべりはほどほどにして、庭で掘り起こし作業だよ。はい、さっさと軍手をはめて外に行くよ」
おっ、今日はなにか楽しそうな作業が出来るのかなといそいそと皆で外に出ると、野外授業が始まった。
「この季節は少しずついろいろな根を掘り起こす作業が続く毎日さ。こうして野生に近い状態で生えている植物たちも、放置してしまうとある植物はどんどん幅を利かせてきて、他の植物のスペースを奪っていく。この空間に、私に必要な薬草たちがほどよい量だけ育つようにするには、広がりすぎる性質のある子たちを冬のうちに適度に抜いてしまうこと。抜いたものも必ず何かに使えるから、一石二鳥。ほら、この通り道を埋めてしまっているこの植物、何だと思う?」

それはGeum urbanumというバラ科の植物で、日本でいうダイコンソウの親戚だった。夏の間5つの黄色い花弁を持つ花を咲かせる、可憐な植物だ。使い方は知らなかったが、正直、今まで山の至る所で見ていたどこにでもある植物だった。

まるでグローブのような香りのするカリオフィラータ(Geum urbanum)の根

「根をできるだけ切らないように抜いてみて、そして香りを嗅いでごらん」とロレッタが言うので、仲間3人で気を付けながら抜いてみた。何本もの細い根が土の中から現れた。土を払い、根に鼻を近づけ嗅いでみる。うん、何だろう、知っている香りだ。スパイシーな、あの……そう、あの……。
「あっ、分かった! グローブの香り!」と私が言うと、えー、どれどれ?と仲間たちも鼻を近づけて来た。本当だ、グローブだ! へえー、いい香り!と言いながらクンクンと香りを楽しむ。

そんな私たちを見て、フフフと笑いながらロレッタが説明を始めた。
「この薬草の根はね、中世のころ魔除けや毒蛇を追い払うお守りに使われていたんだよ。魔除けに役立つというのは、裏を返せば“祝福を受ける”という意味でもあるから、エルバ・ベネデッタ(祝福を受けたハーブ)という名前で呼ばれたり、聖ベネディクトのハーブと呼ばれたりしているよ。本草書にはカリオフィラータという名前で出ていることが多いね。消化作用、収れん作用、殺菌作用、消炎作用、解熱剤と薬草のエースさ。同じ香りのグローブにも似たような作用があるけれど、中世の時代にグローブは最高級のスパイスで、ルネサンスの時代にも貴族しか使えない代物だった。そのことはかの有名なダンテの『神曲』地獄篇にもエピソードとして出てくるくらいだから、想像はつくだろう? だから庶民はこの薬草の根を薬草酒の香り付けに使ったり、スパイス代わりに料理に使ったりしていたんだよ」

私はこの植物、 カリオフィラータを今までずっといろいろな場所で見てきたのに、今日の今日まで根に利用価値があると知らなかったことを悔やんだ。そのくらい、スパイシーな芳香のある根だった。

畑で根を掘り、用途を教えてくれるロレッタ

古書に出てくるカリオフィラータの版画と説明



それから私たち3人はせっせと根の収穫をした。その様子をロレッタはタバコをふかしながら見ている。ああ、これも掘ってね、これはイワミツバ。早春の葉は食用、冬の根は薬草茶に使うよ。イワミツバの根は痛風や消炎作用、利尿効果ね。それでこれも掘ってね……といった調子で、優しくもしっかりと我々をこき使い、4、5種類の根や根菜を収穫した。緑萌ゆる夏山で風に揺れる美しい薬草たちを採取させてもらう作業もこの上なく崇高だが、地べたに視線を合わせ、普段は見えない土の中から驚くほど多くの薬効のある根を採取する作業も意味深い。それはもはや瞑想のよう。土と触れ合いながら地下の世界を垣間見ることで、植物同士の地下での関わり方、根の伸ばし方、微生物とのつながりなどがダイレクトに伝わってくる、心地よい作業だった。背中がちょっと痛くなることを除いては。

こうしてこの日は以下の根が収穫できた。

Geum urbanum L. ダイコンソウの親戚
Aegopodium podagraria L. イワミツバ 
Pastinaca sativa L. パースニップ
Arctium lappa L. ヤマゴボウ
Helianthus tuberosus L. キクイモ

この5つの根は、ロレッタが作っている五根薬草酒(こう書くと漢方薬のようだが)の原料になるものだ。ヤマゴボウは解毒、消炎、鎮咳の効能があり、キクイモはイヌリンという成分を含み、糖分や脂肪分の吸収を腸で抑える働きがある。私たち日本人にはゴボウは野菜としてポピュラーだが、ここイタリアでは薬草茶の材料となる。野生のキクイモは農耕地のふちなどで見つかりやすい。黄色いマーガレットのような美しい花を咲かせるので、遠くからも目立って収穫しやすい根菜だ。

これらの根をロレッタはこの時期にコツコツ採集し、洗って薪ストーブの上に吊るした籠に入れ乾燥させる。これを煎じて飲んだり、ティンクチャーや薬草酒にしたり、粉にして香りのいいスパイスとして利用したりする。キクイモはしっかり掘ってしまわないとどんどん増えて手が付けられなくなるので、冬の間は掘り返したキクイモをよく食べるのだと言った。知っていれば山も食用植物の宝庫、ここで彼女が飢え死にすることはまずなさそうだ。

ロレッタの作った五根酒はとても良い味わい

この日ひと仕事のあと、ロレッタが皆に五根酒をご馳走してくれた。上品なスパイシーさと優しい野生味のある美味しいお酒だった。
私はふと思った。このような地味な作業を、長い間彼女は人知れずしてきたのだなあと。このわずかなスペースの畑の中で、さまざまな野生の植物たちが共生共存し、時には戦い、時には助け合いながら生きている。中世やルネッサンスの時代、薬草園は医学における4つのエレメンツ、水、風、火、土ごとに植え込みが分けられ、それはそれは美しくしつらえられていた。人間の目には、ロレッタの薬草園に秩序や整頓といったものがあるようには映らない。しかし植物たちにとってそこは、絶妙な生態系のバランスを保ちながらそれぞれの個性を発揮できるフィールドだ。皆、自由に切磋琢磨して自分の居場所を見つけている(時々抜かれたり摘まれたりはするが)。
改めて、この庭がある意味ネローネ山の薬草たちの小さな楽園のように思えて、私はそれにあやかるために五根酒をもう一杯おかわりした。(つづく)

(写真提供:林由紀子)

【ラファエロの丘から】http://www.collinediraffaello.it/
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【はやし・ゆきこ】
1999年からイタリア在住。現在はマルケ州のアペニン山麗で暮らす。ファエンツア国立美術陶芸学校卒業。陶芸家として現代アートの制作に携わる傍らマルケ州をはじめとする中部イタリアの美術工芸、食文化、薬草文化などの学びと体験の旅をコーディネートする「ラファエロの丘から」を主宰。2018年、現地の食の歴史家や料理家とともにアソシエーション「Mac Caroni」を立ち上げ、消えゆくマルケ州の食文化を継承するための活動にも尽力している。近年は植物民俗学的視点からの薬草文化を研究、近郊の山で学びのフィールドワークを進めている。京都芸術大学通信講座非常勤講師。
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