× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
山の魔女が紡ぐイタリア薬草暮らし 「ラファエロの丘から」主宰
林 由紀子
第15回 ネローネ山に生きたルネサンスの植物学者・その1
晴れて2026年がやってきた。去年のロレッタとの学びを振り返ったり、イタリアの野草で七草がゆを作ったりしながら、今年はどんな新しい発見があるかとワクワクしている新年だが、去年の連載では語りきれなかったことも多かった。中でもこの新春に、ぜひ皆さんにお話ししたい出来事がある。

それは昨年2025年が、ルネサンス後期にあたる1525年生まれの植物学者、コスタンツォ・フェリーチの生誕500年という記念すべき年だったことだ。
といってもアインシュタインやガリレオのように、世界に名を轟かせた学者ではないから、急にコスタンツォ・フェリーチと言われても、はて?……と読者の皆さんは思うだろう。実はイタリアでも、ものすごく有名な植物学者とは言えない。だがしかし、数多く残された植物学者の手記や本草書の中でも、彼の残した足跡は希少価値が高く、近年は薬草学やガストロノミーの世界でもコスタンツォ・フェリーチリバイバルが静かに起こっている希有な人物なのだ。そして何よりも、彼の植物の研究が主にネローネ山をフィールドとしていたという事実は、私たちのようにネローネ山の自然に魅了され、愛着を抱く者にとっては大きな意味を持っている。

ロレッタと植物観察をすると、フェリーチの名前がよく出てくる

ロレッタからこの植物学者の名前を初めて聞いたのは、もう何年前になるだろうか。まだ彼女の家には通わせてもらえず、ワークショップにせっせと出かけていた時期だったと思う。
いつだったか美味しく食べられる野草の話題になり、「イタリアにも古くからさまざまな野草料理が地域別にあり、今も郷土料理として残っている」といった話をしていたときのこと。私が「最近はね、日本も野草ブームでいろいろな野草の使い方や食べ方が話題になっているのよ」と言うと、ロレッタがケタケタ笑い声をあげてこう言ったのを覚えている。

「アハハ、流行れば猫も杓子もってやつかい? イタリアでも最近は随分流行ってるようだね。おかげで昔は見向きもされなかったのに、今では家の前は行列でうっとおしいったらありゃしない。植物に流行りも何もないのにねえ。イタリアにはね、ルネサンスの時代から、このネローネ山を闊歩しながら、この野草はこう食べるべきだ、あの野草はこう和えると味が引き立つ、といった本を書いていた植物学者がいたんだよ。名前をコスタンツォ・フェリーチといって、実に多くの植物を観察、採集していたんだ。彼の本には、農家の貧しい食事というのではなく、貴族の宴の食卓にものぼるようなサラダの記載があるよ。彼は医者でもあったから、食用、薬用どちらも研究していたね。とても面白いのがね、フェリーチはボローニャ大学植物園を作ったアルドロヴァンディという自然科学者と深く交流していて、フェリーチが彼に送った61通の手紙が、のちに1冊の本になって出版されているんだよ。手紙の原本は今もボローニャ大学の図書館に所蔵されているよ」

5世紀ほど前、同じこの山をその植物学者が歩き、1つ1つの植物を愛で、観察し、研究していた。そう思うだけでちょっと鳥肌が立つのが分かった。しかも手紙という形式でその研究が残されているとは、なんてロマンがあるのだろう。きっとロレッタにとっても魅力的な歴史に違いない。案外フェリーチの足跡を追いかけてここを住処にしたとか? いやそれは行きすぎか……などといろいろな思いが頭をよぎった。

1980年代に出版された、フェリーチの手記や手紙をまとめた書籍


私は早速、1980年代に出版されたというその本を探してみた。が、現在は絶版になっていて、中古本を探すも全く見つからない。どうやら希少価値が出ているようだ。古い本でも魅力があれば手放す人は少ない。私はたまたま知り合いがその本を持っていることを耳にし、まず知人にその本を借りて、まるごとコピーした。余談だがイタリアはコピー費がとても高い。文房具屋に本を持っていき全ページをコピーすると、一冊あたり18ユーロくらいになった。まあまあな出費だ。

その日から、寝る前にコピー本を少しずつ読み進める日々が始まった。
手紙は1555年から1573年にかけて書かれており、フェリーチが拠点の1つとしていたネローネ山の麓にあるピオッビコという村や、医師として働いていたアドレア海沿いの町リミニ、なかには私の住む村カッリから投函されたものもあった。当時は郵便局がなく、商人や巡礼者らが郵便配達人となってバトンタッチで手紙を届けていたから、かなりの時間を要したと思われる。

ブランカレオーニ城のフレスコ画。フェリーチが管理していた薬草畑が描かれている

アルドロバンディの蒐集品が見られるパラッツォ・ポッジ美術館

アメリカ大陸が発見され、第六次イタリア戦争が終わった激動の時代に、自然科学とそれに基づく薬草文化はどのように捉えられていたのだろう。
自然科学者でもあったフェリーチの手紙には、植物だけではなく、鉱物や虫などに関する言及も多い。ピオッビコでは、当時栄えていたブランカレオーニ家という貴族に仕えていたこともわかった。一族の暮らしと薬草は密接に関わっていたようで、ブランカレオーニ城にあるフレスコ画には、フェリーチの作った薬草園が描かれているくらいだ。
一方、ボローニャという大きな文化拠点で活動したアルドロヴァンディは、蒐集家でもあった。莫大な量の薬草書のほか、珍しい外国の動物のはく製や鉱物も熱心に集めており、そのコレクションは現在ボローニャ大学付属のパラッツォ・ポッジ美術館に展示されている。

薬草薬局はルネサンスの時代、スパイスの販売店という意味の「スペツィエリア(Spezieria)」と呼ばれており、いわゆる薬草薬剤師は「スペッツイエレ」という職種だった。現在ではなじみのあるさまざまなスパイスも、当時は海の向こうからやってくるエキゾチックな薬であり、ヴェネチア港では輸入されてきたコショウの粒1つ1つに税金が掛けられていたといわれるほど高価なものだったという。
フェリーチの記載では、リミニの町だけで4か所の薬局の名が挙げられている。日本でいうと町の漢方薬局のようなイメージではなかろうか。医師だった彼とスペッツイエレたちはお互いに薬草の情報を共有しあう親密な関係だったようで、やれアンジェロ薬局のスペッツイエレに渡したい薬草がある、とか、ドンゼッラ薬局のスペッツイエレに薬草の採集を頼まれた、などといった交流の様子をアルドロヴァンディに報告する様が手紙から伝わってきた。


1565年の6月10日の手紙の一部には、こんなことが書かれている。

――年老いた父親と母親の身の回りの世話をする者もいないため、全く気が向かないのですが、親の故郷である山あいの村に引っ越してきています。ここでの暮らしのいいところは、自然に囲まれ古い友人たちと過ごせることと、ゆっくりと読書ができることでしょうか。

いつかあなたやあなたのご友人たちの気が向いて、私たちの山々を訪ねていらっしゃる機会があるのでしたら、とても標高があり、豊かな植生のあるネローネと呼ばれる山をお見せしたいです。伴侶を亡くし、傷心のあまりラヴェンナへご隠居されているあなたの悲しみも、この山へ来て多くの植物と触れ合えば少しは癒されるやもしれません。――

500年前も今も家族の問題は変わらない。古書のなかでは歴史的な魅力に溢れる人物像も、出会いや別れのなかで揺れる生身の人間だったのだから。
植物への情熱で結ばれていた2人の植物学者の人間像が浮かび上がってくればくるほど、コスタンツォ・フェリーチがこの山で植物の研究をしていたこと、その約500年後にロレッタのような人物が同じ山で植物と関わりながら暮らしていること、そしてそのロレッタにこの山で出会えた私自身の人生が、必然性のある一本の糸で繋がった事象のように思えてならなかった。それは私にとって嬉しいことであり、大げさだが運命的なものを感じるところがあった。そしてこの物語は、ちょっとしたムーブメントとして素敵な展開を見せていくこととなるのだ。(つづく)

(写真提供:林由紀子)

【ラファエロの丘から】http://www.collinediraffaello.it/
ページの先頭へもどる
【はやし・ゆきこ】
1999年からイタリア在住。現在はマルケ州のアペニン山麗で暮らす。ファエンツア国立美術陶芸学校卒業。陶芸家として現代アートの制作に携わる傍らマルケ州をはじめとする中部イタリアの美術工芸、食文化、薬草文化などの学びと体験の旅をコーディネートする「ラファエロの丘から」を主宰。2018年、現地の食の歴史家や料理家とともにアソシエーション「Mac Caroni」を立ち上げ、消えゆくマルケ州の食文化を継承するための活動にも尽力している。近年は植物民俗学的視点からの薬草文化を研究、近郊の山で学びのフィールドワークを進めている。京都芸術大学通信講座非常勤講師。
新刊案内