夏至を迎えるころ、山の様々な薬草たちも一気にピークを迎える。その変化は目まぐるしく、3、4日山に行かないだけで植物の背丈も開花状況も一変したりするので、収穫時期を逃してしまわないようにと気もそぞろになる。一度収穫期を逃してしまうと、もう来年まで会えないから、その時期を見定めるのにも、普段からの観察とそれなりの経験値が必要だ。山は移ろいゆく学校だということがよくわかる。
この時期にロレッタを訪ねると、家のなかも庭もわさわさと薬草だらけになっている。一気にやってくる薬草仕事に、慌ただしくも嬉しそうな様子が伺える。1種類の薬草が、乾燥用だったり、リキュールとして仕込まれたり、アルコール抽出で作られるティンクチャーになったりする。なかには何十種類もの薬草をブレンドして仕込まなければいけない製剤もあり、それらはかなり古い本草書などに出てくる解毒剤のテリアカだったり、万能薬として使われるアマ―ロだったりする。それぞれの薬草を一番良い状態のとき採集し、材料が揃ったら仕込んでいく。これらの製剤についてはかなり行数を割かなければいけないので、いつかゆっくりお話しするとして、話をロレッタと夏の薬草に戻そう。

ネローネ山の初夏の野生の花畑
ロレッタを訪ね始めて、やっと少しずつ彼女の家の決まりごとが分かってきた。彼女のところに訪ねてくる人は沢山いる。医師や看護師、植物療法士、ハーバリスト、私のように薬草をもっと学びたい人たちなどだ。ただ興味本位でアポも取らずに突然やってくる人は、門前払いされることが多い。「先日急にやってきた知らない輩が、ドアを開けるなり“あなたが魔女のロレッタ??”なんて言うもんだから、思い切りドアを閉めてやったよ」といった類の話は、ときどき彼女から聞いてはいた。正直なところ、私もある日突然ドアの前で門前払いになったりしないか、常にどきどきはしている。なかなかスリリングな毎日だ。確かにいちいち相手をしていたら、植物と過ごす時間がなくなってしまうのだから、当然と言えば当然だ。ロレッタが山の暮らしを選んだのは一人で静かに植物と向かい合うためだったはずだけれど、気が付くと彼女を慕う人々で溢れていたというわけだ。
そんな様子だから、ロレッタは彼女のもとに学びに来たがる人たちをいくつかのグループに分けた。多くても3人、彼女の家の居間のテーブルに椅子が4脚あるので、彼女も入れて4人、確かに多すぎず少なすぎず、居心地はいい。それまで私は気が向いた時に連絡をして一人で訪ねて行っていたが、グループを作れば学びのメンバーとして週に1度ロレッタを訪ねていける。これはかなり嬉しいことだった。

学び仲間でロレッタから植物の説明を受ける
私は友人で、北イタリアのポレンツオという町にある、食の歴史やサイエンス、食文化を学ぶ食化学大学(University of Gastronomic Science of Pollenzo)を卒業後、マルケ州北部のワイナリーに勤務しながら食用の野草を学んでいる友人のグイドと、彼の恋人で陶芸家のルチアとグループを作り、週に1度、水曜日の午前中に“魔女さんの授業”を受けられる体制を整えた。グイドとは、ここマルケ州北部の郷土食を継承するために立ち上げた食文化アソシエーションの仲間でもあったし、彼も薬草に興味を持っていたので、同じ学び舎に入るには最適な友人だ。私は、入学を許された受験生のように、やった!と思った。門前払いされない生徒でいられるよう、頑張ろう。
そんなこんなで、2023年に夏のネローネ山で野外授業が始まった。太陽の光を謳歌しているかの如く、野という野が咲き乱れ、萌え、大気にまで精霊が宿り、ただ立っているだけですべてが恩恵だと思える世界が山の上には広がっていた。
授業の内容は私たち生徒が提案することが出来る。人によって何に興味があるかは違うからだ。私たちのグループは、「1年の周期を1つの丸い円として、季節の巡りとともに出会えるこの山の野生の薬草、その使い方、歴史やフォークロアなどにふれる」というテーマをざっくりと打ち出した。その1年の周期のなかでも、6月と7月は一気に収穫するものが増える。
山では、標高や斜面によって生えるものが全く変わってくる。700メートル付近までしか生えないもの、900メートル付近からのみ姿を現すもの、車で少しずつ山を登っていくと、車窓からの景色は驚くほど変わる。ロレッタは助手席でタバコの煙をくゆらせながらじっと外を見つめ、茂みにどんな草が生えているか観察している。
「ほら、ヘリクリサムが開き始めているよ」
標高900メートルに近づいたころ、ロレッタがそういった。斜面には、鮮やかな黄色い花を咲かせ始めたヘリクリサム(Helichirysum italicum)が一面に広がっていた。カレープラントやイモーテルとも呼ばれる、スパイシーな香りを持つ美しい薬草だ。わたしのようにアトピー持ちの人にはこのヘリクリサムはとても効用のある薬草で、内服にも外用にも使える万能薬だ。ティンクチャーや乾燥は内服やハーブティ―に使われ、インフューズドオイル(抽出油)はバーム作りなどに使われる。

セントジョーンズワートを手に説明するロレッタ

ヘリクリサムが満開の様子
ヘリクリサムのほかにも、セントジョーンズワートやセイヨウノコギリソウ、薬草ではないが野生のデルフィニュームやスカビオサなども野に爽やかな青の色どりを添えており、みな風に揺られて気持ちよさそうだ。
私たちは車から降りてヘリクリサムを摘み始めた。独特な香りを大気中に放って、夏の太陽はヘリクリサムをさらに金色に輝かせていた。私はその手触りや香りを楽しみながら、1つの株から少し、また別の株からも少し、と籠に摘んだ花を入れていった。
「この花はつぼみの期間が長くて、ある時一気に咲き始めるんだ。開ききってしまう前の花がハーブティ―には最適だから、開きかけを狙って収穫するんだけれど、そのタイミングをつかむのが簡単じゃなくてね。見てごらん、たいして土もない岩の上を好んで育っているのが分かる? 厳しい野生の環境で育った薬草は、その成分も香りも栽培したものよりもずっと強いんだよ」と、ヘリクリサムを愛しそうに見つめながらロレッタが言う。
確かに、あえて表土があまりないところに、立派な株がありこんもりと花を咲かせている。この石灰質の岩々しい山の表面に、皆へばりつくように逞しく根を張っていて頼もしい。ロレッタは続けた。
「野生の植物の世界はアナーキーだよ。皆が与えられた場所で芽を吹き、根を張り、そこでベストを尽くすだけ。生存に必要な成分を作り、他の植物や生物と折り合いを付けながら戦ったり助けあったり、私たちの目には映らない生命活動が地中で、地表でされている。人間は、やれこの植物からこの病気に有効な成分が発見されたとか言っては、人間同士で賞をあげたりもらったりしているけれど、表彰されるべきなのは植物なんだけれどねえ……」

山で植物を眺めるロレッタ
ロレッタとの会話はいつも私に新しい視点を与えてくれる。美しい薬草が揺れる野生の野原が、大気や宇宙までを含んだ大きな生命活動の舞台のように見えてくる。わたしたち人間は地表で暮らしているけれど、この上にも下にも大きなエネルギーは鼓動していて、そこで植物たちと共存させてもらっているのだ。
夏の野のエネルギーは私にそんなことを考えさせた。都会のビルの中ではなかなか沸かない感情も、野生の山の中に立つと地球の摂理のようなものが理屈ではなく、実感として強烈に伝わってくる。そんな時間がこれから出来るだけ増えていけばいいと思った。おそらく古代の人々は持っていたであろう野生の勘を少しでも取り戻して、自分や動植物や地球の声がもっとよく聴けるようになりたい……。
夏の山の斜面に立ち、照る太陽の下でそんなことを考えていた。(つづく)
(写真提供:林由紀子)
【ラファエロの丘から】
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