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美しいくらし
山の魔女が紡ぐイタリア薬草暮らし 「ラファエロの丘から」主宰
林 由紀子
第6回 ロレッタと古書の世界へ
ネローネ山にも真夏がやってきた。6月までの柔らかい緑は濃い緑に変わり、白い岩には眩しい太陽の光が反射し、木漏れ日のなかにセミの声が響きわたる、清く正しい“真夏”の到来だ。7月は山でもじりじりと太陽が照り、朝と夕方以外には30℃を超えることも多く、フィールドワークはなかなか厳しくなってくる。そんな時はロレッタの家で乾燥したハーブを処理したり、古い植物の本を眺めたりして、暑さを避けて室内でレッスンをするときもある。

センタウリウムソウ

ある水曜日の朝、いつものようにロレッタの家に向かう途中、山道をポンコツ車でゆっくりと上りながら、「今日はどんな植物に出会えるかな」とじっと左右を観察していた(本当は前を見なければいけないのだが)。
目に鮮やかなピンクが飛び込んできたとき、「あっ!センタウリウムソウが咲いている!」と思い車を停めた。センタリウムソウはイタリア語でチェンタウレア・ミノーレと呼ばれ、その苦み成分から薬草酒の材料としてだけでなく、中世には解毒剤であるテリアカの材料の1つとして、ある地方のレシピに載っていることもある美しい薬草だ。嬉しくなり車から降りて少し摘ませてもらっていると、草の茂みに見たことのない植物が目に入った。なんと言おうか、その植物と目が合った、声をかけられた、そんな感覚だ。変わったかたちの魅力的なその植物に心惹かれて、1本摘んでロレッタのところへ持っていき、何の植物なのか聞いてみることにした。

ロレッタが麦コーヒーを淹れてくれるモカ・ポット

ロレッタの家に着くと、モカ・ポットというコーヒーを淹れる道具でイタリア式の麦コーヒーを入れてくれているところで、いい香りが漂っている。「ああ、もう来たのかい。いまちょうど麦コーヒーが入ったところだよ」とロレッタは迎え入れてくれた。「今日は道沿いの植物をゆっくり見たくて、早めに家を出たのよ。ねえロレッタ、この植物は今まで見たことが無いんだけれど、なんていう植物かしら」と私は尋ねた。

やれやれ……早速質問かいといった表情で私を見てから、手に持っていた植物を見てロレッタはにやりとした。
「いいもの見つけて来たね、これはね、今では毒草扱いになっているけれども、古代の世界では大事な薬草だったんだよ」と教えてくれた。それから本のある部屋に行き、ごそごそ何か探していると思ったら、数枚の写真を持ってきた。そして1枚の写真を差し出し、よく見てごらんとでもいうようにロレッタが無言で私を上目使いにじっと見た。イタリア人がこういったまなざしをするときは、百聞は一見に如かず、ということを伝えたい時だ。

写真の絵は古い本の1ページだということはすぐに分かった。まだ印刷がない時代の写本の絵のようだ。ラテン語で“手書き”という意味のマニュスクリプトと言われるたぐいのものだ。
「なんて書いてあるか読んでごらん」とロレッタが言った。ページの下に、フィレンツエのメディチェオ・ラウレンツィアーナ図書館蔵、マニュスクリプト・レーディ165と書いてある。一般には、レーディ写本、またはギーノ写本と呼ばれる古書で、1400年代中ごろに書かれたとされている有名な本草書だ。植物の名前は〈 Erba Stologia ritonda〉とある。そこに描かれていたのは、私が採ってきた植物を連想させる丸い葉を持つ植物、左右には2人の女性が描かれており、右の女性は口から悪魔を吹き出していて、尋常ではない様子が伺える。左の女性は同様の植物を手に持ち、何やら儀式めいたことをしているように見える。

本のページとアリストロキア


この植物は現代の植物図鑑にはAristolochia rotonda L.という学名で載っていて、過去には毒蛇の解毒剤や女性の月経促進のための薬として使われていた。現在は発がん性のある成分を含んでいるということで、使用注意という警告が載っている(絶対に禁止、と書いていないところがミソな気がするが)。日本では園芸種のアリストロキアが出回っているようだが、私が見つけて来たこの野生種の花は素朴で小さい。

「いったいこの絵はどういう意味なのかしらね」と私が言うと、ふふふと笑ってロレッタが説明を始めた。

ヒステリックな女性の絵柄

「よく見てごらん、左の女性は祈りを捧げているように見えないかい? これは中世では悪魔を祓う薬草ともされていたんだよ。そしてこの右の女性、すごい形相で悪魔を口から吐き出しているね。これはね、この薬草が女性のヒステリーに効くことを表しているのさ。女性がヒステリックになっているときは、まるで悪魔に憑かれたような言動になるだろう。この薬草によって悪魔が口から追い払われていく、そんなシーンを描いているんだよ。この時代の写本の絵は、その絵を見ればその薬草がどんな効用があるのかが分かるように描かれていることが多いのさ。600年も前の時代の人々が植物とどんなふうに向かい合っていたのか、植物が彼らの暮らしの中でどんな立ち位置だったのか、古い本を見ながらじっくり考えてみると、それはそれは楽しいものだよ」と話してくれた。

そういえば、以前ロレッタがなぜ古い本を読むのか教えてくれたことがあった。1つ1つのことばを大切に語ってくれたその内容が、とても印象的だったのを覚えている。ただの懐古主義でも、ロマンチシズムでもない、1点の光をまっすぐに見るような迷いのない信念のようなものを感じた、ロレッタの時間軸について感じ入った体験だ。
それはこんな話だった。

――遠い昔、中世と呼ばれた時代、文明の利器がまだまだ夢物語だったころ、人々のくらしは野生の環境と隣あわせにあった。自然の恩恵や脅威が生活と密接していた時代の薬は、ほぼすべて植物由来のものだったから、それらの植物は当然ながら聖なるものとして扱われていた。薬となる植物に向ける信仰は、とても切実なものであったはずだし、その精神性は歴史の中で数多く書かれてきた薬用植物の写本を見ても手に取るように伝わってくるものがある。神話や哲学、占星術、宗教の概念とクロスしながら、我々を取り囲む宇宙までもが“世界”という概念に取り込まれていて、人間はそこに生かされている小宇宙だった。そのような視点に立って植物をみつめること、つまりそのような時代の時間軸に身をおいてみることで、自然へのリスペクトは自ずと生まれてくるし、もっと自然を理解できる、といった内容だった。

確かに人間が自然を支配し、管理しようと驕(おご)れば驕るほど、そのどんでん返しのように自然災害は起き、その脅威の前には我々人間は悲しいほど無力だ。人間にとっては災害であるけれど、地球にとっては起こるべくして起こる自然現象の1つにすぎないというのに。
そんなロレッタの話を聞いて、人間を世界の中心として考える近代文明の生活のなかで生まれ、高度経済成長の真っただ中で育ってきた自分の世界観や立ち位置を考えたのを覚えている。少し、私の時間軸が動き始めたきっかけだったと言ってもいい。

ロレッタがきっかけで出会った古書


「ああ、それからね」とロレッタが続けた。
「現代の植物図鑑は、あれも毒性、これも毒性だから絶対に使わないように、と書いてあるけれど、毒を毒たらしめるのはその量であり、使いようによっては毒にも薬にもなるというのがこの時代の捉え方なんだ。正直、私はこの昔の考え方のほうが信頼できるのさ。もちろん猛毒の植物は別だけれどもね。実際、過去には薬草として使われていて現在は毒草と言われているものを、ほんの少しだけ摂取して、体がどんな反応をするか試すこともあるよ。でも、こうしてピンピンしてるでしょう!」と言ってイヒヒ、と笑った。
その様子があまりにロレッタらしくお茶目で、私も一緒になって笑った。

「人体実験はいいけれど、まだしばらくは頼りにしたいんだから、毒もほどほどにね」とユーモアたっぷりに私は言った。でも、その日の帰り道、こっそり車の中でアリストロキアの葉を少しだけ齧(かじ)ってみたことは、ここだけの秘密にしておこうと思う。(つづく)

(写真提供:林由紀子)

【ラファエロの丘から】http://www.collinediraffaello.it/
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【はやし・ゆきこ】
1999年からイタリア在住。現在はマルケ州のアペニン山麗で暮らす。ファエンツア国立美術陶芸学校卒業。陶芸家として現代アートの制作に携わる傍らマルケ州をはじめとする中部イタリアの美術工芸、食文化、薬草文化などの学びと体験の旅をコーディネートする「ラファエロの丘から」を主宰。2018年、現地の食の歴史家や料理家とともにアソシエーション「Mac Caroni」を立ち上げ、消えゆくマルケ州の食文化を継承するための活動にも尽力している。近年は植物民俗学的視点からの薬草文化を研究、近郊の山で学びのフィールドワークを進めている。京都芸術大学通信講座非常勤講師。
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