第9回 魔女が教えてくれた“本当の魔女”のお話・その1
日も短くなり始める9月。まだまだ残暑はあるのだが、太陽の光が憂いのある金色を帯びてくると、初秋なのだなと実感する。野に茂る植物たちは実や種を結び、次世代の繫栄に備える。ネローネ山一帯には野生のヘーゼルナッツやクルミの木がたくさん生えており、リスたちはきたる冬ごもりのために木の実の熟れ具合を熱心に下見している。我が家にやってくる利口なリスは、木の実が地面に落ちる前に穴をあけて中だけ食べてしまう。殻だけが地面にごろごろと転がる庭の様子を見るたび、リスが可愛いような憎らしいような気持ちになる。そんな季節だ。

ハロウィン用のカボチャはスーパーでも定番
そんな季節……のはずなのだが、季節感のない出来事も人間界では多々起こる。10月31日のハロウィンに向けて、町中では早くも9月中旬ごろからハロウィングッズが店頭を賑わせる。季節をどんどん先取りして、ばんばんグッズを売ろうではないかということなのだろうが、残暑を感じながら見るハロウィングッズは正直何の色気もない。
ある日ロレッタの家でハロウィンの話になり、「大体これだけ消費主義が過ぎては、せっかくの季節行事もロマンがなくなるというものよね!」と愚痴をこぼしていた私は、ふとこう口にした。「そもそもイタリアでもハロウィンがこれほど盛大に祝われるなんて知らなかったわ。息子が小さいころ、お菓子をもらいに村をまわりに行くのを見て、イタリアでもアメリカと同じ習慣があるのに驚いたもの」
というのも、イタリアでは11月1日はカトリック教会の祝日である「諸聖人の日」で、翌日の11月2日は「死者の日」、いわゆる日本のお盆のような日だ。私がイタリアで暮らし始めた20年以上前は、諸聖人の日のイブにあたる10月31日は、ハロウィンをささやかに祝う人がわずかにいるのみだったと記憶している。

息子も友達と混ざってハロウィンのお祭りに参加
ここ数年でのハロウィンの変わりように驚く私に、ロレッタは「そんなことも知らんのかい」といった顔でこう言った。
「いま祝われているハロウィンはアメリカから来たお祭りのスタイルだろう。近年は商業戦略としてアメリカのハロウィンを模した商品が出回っているけれど、ハロウィンは古代ケルトのサウィン祭が源流だよ。農業にまつわる、実りへの感謝と次の季節の豊穣を祈る祭りだね。そして、この日はこの世とあの世の境目がなくなる日でもあったのさ」
ロレッタによると、ケルト文化の中心地であるアイルランドとイタリアは何のつながりもなさそうに思えるかもしれないけれど、それは間違いだという。紀元前400年ごろ、ケルト人は今のアイルランドからスペイン、フランス、イタリア北部までその生活範囲を広げていたからだ。ヨーロッパに広くケルト文化が源流として残っているのはそのためだ。それから数世紀を経て、巨大な権力を握ったカトリック教会は、ケルトの祭りをキリスト教の祭りとして広めるようになった。「信者を増やすにはさまざまな古い祭りをキリスト教のものとして塗り替える必要があったのさ。イタリアはそんな祭りだらけだよ」と言って、ロレッタはにやりと笑った。
「でもなぜハロウィンには魔女の姿がイメージとして使われるのかしら」と尋ねる私に、ロレッタはこうも語ってくれた。「夏至の話を思い出してごらん、季節の変わり目の特殊なエネルギーを帯びる日に、あちらの世界とこちらの世界が近くなる。遠い昔の人間にとって“あちらの世界の者”とは、超自然現象的なことを起こすことが出来る者たち、魔法を使える者たち、と考えられていたんだよ。そうすると魔女のようなシンボリックな存在が思い起こされるのは簡単に想像ができるだろう? 死者と交信し怪奇現象を起こす不思議な魔女たち……なんて死者の日に持ってこいのイメージさ。もっとも教会側にとってそんな魔女たちは煙たい存在でしかない。だから教会は、自分たちの権威や秘密の知識を少しでも脅かす可能性のあるもの、例えば薬草の使い方をとてもよく知っている婦人などを、何も悪いことをしていなくても魔女だとでっち上げて魔女狩りをしていたのさ」

中世の魔女退治の指南書に出てくるイラスト
“魔女狩り”という言葉を聞いて、私はにわかに身震いした。こんにち持たれている魔女のイメージ――ほうきにまたがり空を飛んだり、鍋に薬草やヤモリを入れてぐつぐつ煮たり――が出来上がるまで、多くの“魔女”と呼ばれる女性はどんな運命を辿ってきたのか。もちろんロレッタが普段しているようなことだって、昔であれば魔女呼ばわりされたに違いない。私はロレッタのことを「魔女さん」と呼ぶこともあるし、実際この連載でも彼女を「薬草の魔女」と呼ばせてもらっている。でもこれが500年前だったら……。そう思うと、私は言葉を失ってちょっと黙っていた。
そこへロレッタがこんな言葉をかけた。「ああ、魔女といえば、面白い本があるよ。ユキコの家からそう遠くないところに、ファルネータという小さな集落があるだろう? あそこにね、昔、魔女狩りにあったラウラという女性がいたんだよ。彼女がウルビーノ公国の裁判にかけられたときの書類がウルビーノ大学の図書館の書庫に保管されていたのを、ある研究者が見つけていろいろ調べて本にしたのさ。裁判の内容を徒然(つれづれ)に書いてあるから、読んでいて気持ちのいい本ではないけれど勉強にはなるよ。読んでみるかい?」
近くの集落に実在した“魔女”と呼ばれていた女性。その物語を記した一冊の本。しかもこのラウラという女性は、私の住むカッリという村で1520年ごろに生まれたという。偶然か必然か、500年の時を経て同じ村に暮らしたご縁だ。私はこの本を手にとってみることにした。
さて、ラウラの物語はどのようなものだったのか。500年前の魔女の裁判とはどのように行われていたのか。次話で私なりにひもといてみようと思う。(つづく)
(写真提供:林由紀子)
【ラファエロの丘から】
http://www.collinediraffaello.it/