ロレッタの家を訪ねる日がやってきた。
ネローネ山はマルケ州の北部にある標高1500メートルの山で、イタリアの背骨ともいえるアペニン山脈の山の1つだ。ここはちょうど中部アペニンと呼ばれていて、紀元前1000年以上の青銅器時代から人類が活動していた発掘物が残っていたり、後期ジュラ紀のアンモナイトが大量に出たりと、なかなか古い歴史のある地域として知られている。現在も多様性があるとても豊かな自然が残っていて、私は日々その恩恵に与り、少しずつこの山の魅力に取りつかれ始めていた。

緑に萌えるネローネ山。煙は炭焼き作業から出ているもの
確か彼女の生まれはお隣の県、エミリア・ロマーニャ州の街リミニのはずだから、なぜここを住処(すみか)として選んだのか、ゆっくり話を聞いてみたいものだと思いながら、春の緑に萌える山道を車でゆっくり登っていった。我が家から車で約25分、こんな近くに探していた魔女さんはいたのだなあ、と運命の不思議を思いながら彼女の住むカルデッラという集落に到着した。
ネローネ山にあるいくつかの集落でもここは小さいほうで、石造りの古い家が15軒ほどあるのみ。でも、ほとんどは週末や夏のバカンス用に使われるアパートになっているらしく、ひっそりとしていて人の気配はない。玄関前には名前も知らない植物が茂っており、古く愛らしい木のドアが見えた。ドアをノックするとすぐに「入っていいよ」と彼女の声が聞こえてきた。その瞬間考えたことは、アッ! 手ぶらで来てしまった……だったことは、ここだけの話にしておこう。
家に入ると目の前に2階に上がる階段があり、1階の右と左にはそれぞれ部屋があった。右の部屋には小さな流しと暖炉があり、左はどうやら居間のようだ。家全体から何種類もの草の香りがしてくる。

薪ストーブでハーブティー用のお湯を沸かすロレッタ
居間に通されて、そこに座っていいよと言われた椅子に座ると、大きなやかんからお茶を注いでくれた。居間には至る所に大小の瓶やら缶やらが並べられていて、心地よい隠れ家のように客人を迎えてくれる。これは何? あれは何? と聞きたい気持ちを抑えながら目だけはきょろきょろし、気もそぞろでお茶をすすると、その美味しさに思わず声が出た。春の野の香りがした。
「美味しい! 何が入っているの」「野生のフェンネルに、メリッサに、あとはいろいろ」
いろいろかあ、そこが知りたいんだけれどなあと思いながらカップの中のお茶を眺めていると、「それで? ユキコは何がしたいの?」と聞かれた。そう、いつでも彼女ははっきりと、「あなたはどうしたいの」と聞いてくる。
私は正直に答えた。「せっかくここに住んでいるのだから、この土地の薬草に詳しくなりたくて。小さなころからひどいアトピーで、今でも疲れやストレスが溜まるとどっと出てくるの。ひどい症状が始まってしまうと塗り薬では効果がなく、飲み薬を始めるしかなかったんだけれど、それも回数を重ねると効かなくなってくるのね。それでまずは体質の改善と自然療法を自分に試してみたい。あとは、単純に、とてもこの世界に惹かれているから。学生時代に学んだ薬壺を見てからずっと、薬草の世界の扉を開きたかったの。家の周りに宝の山があるのに、知らないのはもったいないでしょう」
思いきって私がそう語ると、ロレッタは「ただ薬草を使いたいだけなら、ハーバリストはこの近郊にいくらでもいるし、私でなくてもいいんじゃないの?」と少々寂しいことを言った。
そう、ここイタリアでは、ハーバリストという職業がある。自称ハーバリストではなく、講座を受けて取る資格でもない、大学で修める学位のことだ。大学で3年の学業を修めて得られる学位で、この学位がないと薬草薬局で働く資格を得られないし、顧客のための薬草茶の調合も出来ない。イタリア語では、薬草薬局はエルボリステリア(Erboristeria)、ハーバリストはエルボリスタ(erborista)だ。ハーブつまり草の総称がエルバ(L’erba)なので、やはり草にまつわる言葉の響きを持つ。
確かにエルボリスタの友人は数人いるし、信頼もおける。でも、でも……。
「それでもやっぱりあなたから習いたいことがたくさんあるの。できるだけ迷惑はかけないようにするから……」するとロレッタはにやっと笑って「迷惑ならここで今、既にかけているでしょう、質問攻めは勘弁だよ。……いいよ、時々なら」と言ってくれた。

ロレッタの作るティンクチャー(ハーブをアルコール溶液に漬けて作る抽出液)
そのあと彼女は家の中を案内してくれた。居間の奥には部屋がもう1つあり、そこに置いてあるガラス棚の中にはいくつもの小さな茶色の瓶が並んでいた。彼女の作るティンクチャー(ハーブをアルコール溶液に漬けて作る抽出液)だ。瓶に貼られたラベルには使われた薬草の名前が書いてある。窓の近くの天井からは、乾燥したさまざまな薬草が入った紙の筒が何本もぶら下げられていて楽しいインテリアのようだ。ティンクチャーの瓶が並ぶガラス棚の反対側の床に置かれた低いガラスケースには、たくさんのリキュールが置かれている。
2階へと続く階段を挟んで、暖炉がある右の部屋の壁には本棚があり、そこに並べられたたくさんの本をざっくり見るとどうやら植物に関するものがほとんどのようだ。床には大きな紙が敷いてあり、がさっと知らない植物が置いてある。何か選別の作業をしていたようだ。2階に上がると大きなロフトがあり、靴を脱いで入る板の間になっていた。そこには現代アートの作品のごとく大量の草がぶら下げられていた。美しい空間だなあと見とれていると、「ここはよく乾燥するんだよ」とロレッタはにっこり笑った。
彼女は季節ごとに摘んできた植物を乾燥させたり、アルコール溶液に漬けたりして、さまざまな製剤や薬草茶、ティンクチャー、リキュール、粉末、ハーブソルトなどを作っていた。ミステリアスで何が入っているか分からない大瓶もいろいろあった。それらの瓶が何なのか、またの機会にでも聞いてみよう。聞きたいことが多いほど、またここに来る理由を作れる。根っこのようなものも籠に入ってたくさん並んでいる。まるで中世のエルボリスタの家に迷い込んだようだ。彼女の知識がとても長い時間をかけて蓄積されたもの、植物へのリスペクトと愛情を持って育まれたものだということは、この環境を見ただけでしっかりと感じ取れた。

ロレッタの家の2階の薬草を乾燥させる部屋

キッチンに並ぶ薬草の瓶や筒。手製の筒が美しい
「ねえ、ロレッタは大学で薬草学を修めてエルボリスタになったの?」と聞いた。
「私は大学では薬草の勉強はしていないよ。製薬会社に勤めていたんだよ」
その答えを聞いて私はびっくりした。てっきり彼女はエルボリスタだと思っていたからだ。
「どうしてこういう暮らしをするに至ったか聞いてもいい? だって山の中の集落で、初老の女性がたった一人で山の薬草を摘みながら魔女のような暮らしをしているなんて、そうそうあることじゃないでしょう」
魔女という言葉をロレッタに直接言うのは少しためらったが、周りがそう言っているのを彼女が知っていることは必然だったし、実際のところ誰が見ても本物の魔女に見えるのだ。ただ、ヨーロッパでは魔女狩りという暗黒の歴史が実際にあったので、この言葉が持つ意味合いはなかなか重い。日本の人たちがイメージする「可愛い魔女さん」というのとはわけが違う。
そんなふうに思っていると、「今でこそハーブだ、薬草だ、ともてはやされてユキコみたいのがたくさん私のところにやってくるけれど、昔はただの奇人扱いだったよ」と言って、ロレッタはふふふと笑った。そしてゆっくり話し始めた。その話は次のようなものだった。
*
彼女が町を捨てて田舎で暮らすようになったのは、学生運動のあった1960年代。皆が高度経済成長期に町に移り仕事をするようになり、多くの農地が放置され、小さな農家はどんどんなくなり、田舎は活気をなくしていたころだ。ロレッタはそれに逆流して町から田舎に行った異端児。「おひとり様革命ってところかね。見様見真似で農家を始めたのさ」と、彼女は私に当時のことを教えてくれた。畑を耕し、ヒツジを飼ってチーズを作り、ニワトリの卵を売ったり、ブドウでワインを造ったり。昔の農家は、生活に必要なものは自分たちでなんでも作っていた。道具作りも、保存食も、祖父母から父母へ、そして息子らへというふうに伝承されていた時代。学校に行っていなくても、文字が読めなくても、彼らの知識は本当にすごかったという。
「初めのうちは散々だったよ、生きていくので精いっぱい」と振り返るが、少しずつ、少しずつ経験を重ねて、農家仕事のやり方をつかみ、周りの農家からも変な目で見られるようなことはなくなり、やっと農家仲間だと認められはじめて生活は回るようになっていったそうだ。

ジュニパーベリーを仕分けるロレッタ
ある時、ふと自分の畑に生えている雑草、昨日までは邪魔だと抜いていたような草たちを眺めたロレッタは、植えて育てるものと、野生で育つものの違いを考えたという。それ以来、作物を“管理しよう”とすることをやめた彼女は、野生で生えてくる草花を食べ、山の植物を知り、観察し、いろいろな古い文献や見聞きした知識を蓄えて、野生の植物で食や健康を考えるようになっていった。そして自分の考える薬草製剤を実験的に作って使い始めて、やがて知り合いがやっていたある製薬会社の摘み師に。トスカーナの山で暮らしながら、野生の薬草を摘み、アルコールに漬けて会社に届けるという生活を長い間続けた後、自分や周りの友人のためだけの薬草仕事でいいから、自分の思うように存分に薬草と過ごしたいと、製薬会社の仕事を辞めて植物の豊かさに溢れたこの山に来たという。
「時代は変わって、健康志向や流行りだけで、薬草だ、採取だ、という輩もたくさん出てきた。そんなのが私の噂を聞きつけてわらわら来るようになって、追い払うのにもひと苦労なんてこっけいな状況になったり。変なもんだね、昔は奇人扱いされて見向きもされなかったのに」と笑う。そして、「自然のしくみをリスペクト出来ない人間は植物のことも理解できないし、プロセスの大切さもわからない。名前や薬効を覚えるだけではその植物を理解したことにはならないんだよ」と私に語りかけた。
*
その日、私は心からのお礼を告げて彼女の家をあとにした。ゆっくりと彼女の言葉を咀嚼(そしゃく)しようと、何度も頭で繰り返してみたが、メッセージはあまりに貴重で大きくて、まだ興奮冷めやらぬ頭の中で持て余していた。
とにかくロレッタの家に通うことは許された。あまりしつこくない程度に、時々お邪魔させてもらおう。そして、まずはゆっくり観察させてもらおう。四季折々のネローネ山の植生とともに生きる、ロレッタの視点に寄り添わせてもらえれば、それでいい――。
春の夕暮れの山道を自分のポンコツ車で下りながら、次の訪問に何を持っていこうかと考えていた。(つづく)
(写真提供:林由紀子)
【ラファエロの丘から】
http://www.collinediraffaello.it/