第5回 星の巡礼、カミーノ・デ・サンティアゴをゆく:後編(中)
2日間で来場者3500人、240のワイナリーが出展し6900本ものワインが開くこの試飲会。手渡された冊子には、今を時めくスペインきってのワイナリーの名前がびっしりと並んでいた。無機質なメッセ会場とは違うオーラに満ちたこの美しい空間で、これほどのワインが一堂に会すとは、本場でなければできないことだ。マヌエルと別れ、熱気でむせ返る会場で目を皿にして歩いていると、重厚な柱の一角で、右へ左へと慌ただしくワインを注ぎながら身振り手振りを交えて熱心に説明をしている青年が目についた。

バルセロナの高級試飲会
その姿に吸い寄せられるように近づくと、「彼女に場所をあけてやってくれよ」と立ちふさがる客に声をかけ、「さあ、どこから飲む?」とテーブルのワインを意気揚々と披露した。ふと目を落としたボトルには、いかにも上等な白い紙にそっと乗せた赤い文字で、「La Mala(ラ・マラ)」と書いてある。恐らく畑名だろう。産地は探していたリベラ・デル・ドゥエロだ。
輝くようなルビー色を湛えたグラスの奥深くから、芳醇な果実の香りが立ち上がってくる。サクランボやカシスのジューシーな味わいに、ラベンダーやローズマリー、カモミールなどのハーブの香りがそこはかとなく漂っていて素晴らしい。このワイン、かなり育ちが良いはずだ。年産わずか837本。18カ月の樽熟成を経て、女王のような気高さを身に着けた単一畑の赤ワイン「ラ・マラ」と、その生みの親、ベルトラン・スルデとの初めての出会いである。
私の様子に満足したベルトランが、次のワインを勧めてくれた。合格、ということだ。ワイナリーの名は「ドミニオ・デ・アタウタ」。4つの地区に分かれるリベラ・デル・ドゥエロでも、銘醸ひしめく西部の反対、過疎が進む東のソリアにある新しいワイナリーだという。ブドウ畑は標高1000mを超える天空にあり、複雑なテロワール(自然環境)に恵まれて、同じティント・フィノ(黒ブドウ品種テンプラニーリョ※リベラ・デル・ドゥエロでの別名)でも、区画ごとに全く違うワインになる。そこは未曾有のフィロキセラ禍(19世紀末にヨーロッパのブドウ畑を壊滅させた害虫被害)さえ免れたという、驚くべき情報も飛び出した。

石灰岩がむき出しのアタウタのブドウ畑
しかし、今やスペインで最も人口の少ないソリアが、ここ最近ワインで注目されたことなど記憶にない。それでも興奮しきりのベルトランから、とにかく凄いということだけは明らかだった。リベラ・デル・ドゥエロでこれほどのワインなら、買値は一体いかほどか。心配になりつつも、絶対に仕入れると心はすでに決まっていた。
熱心に話し込む私たちを見かけたマヌエルが、「さすが凄いのを見つけたね!」とやって来て、「Kayoは僕の友だちだからよろしく」と口添えしてくれた。そこはマドリッドのトップソムリエ、顔が広い。ひと通り試飲が終わると「ほかに探しているものはない?」とベルトランが聞くので、「ここにないのは分かっているのですが、シノン(フランス北部のワイン産地)を探しています」と答えると、「なんだって?!俺はシノン出身で、ワインも造っているよ!」と言うではないか。日焼けはしていてもスペイン人にしては色が白いと思ったら、フランス人だった。
リベラ・デル・ドゥエロとシノンは決して近くはない。ところが、「車で9時間もあれば通えるさ」と、ベルトランは言ってのけた。何というエネルギー。
この日多くの醸造家と知り合ったが、この先何年がかりで取り組む覚悟をしていたリベラ・デル・ドゥエロと、北フランスに行かなければ買い付けできないと思っていたシノンが、ここバルセロナで同じ醸造家から買えるなんて、神様がいるとしか思えない。
ソリアへ
バルセロナでベルトランに出会ってから半年、彼のワイナリー「ドミニオ・デ・アタウタ」を訪ねて乾いた大地にやって来た。「9カ月の冬と3カ月の酷暑」といわれるこの地域。いつもなら冬に旅する私がこの時ばかりは5月で助かった。日差しは強いが過ごしやすい。白い石灰岩が剥き出しの山肌を横目に仰ぎながら、リベラ・デル・ドゥエロの奥地、ソリアへと進むにつれていよいよ荒涼としてくる景色。こんな所にワイナリーがあるなんて信じられない。
「さあKayo、これだよ。これを見てくれ!」。岩山の頂で車を止めて歩いていく彼の背中の向こうに、大空のように開けたメセタの大平原が広がっていた。どこまでも続く地平線。すべてを受け入れる母なる大地の姿である。

13世紀の集落
こんな乾ききった大地にも、ぽつぽつと小麦やブドウ畑の緑があるのは人が暮らしている証し。半分埋もれたようにも見えるあれが村だろうかと目を凝らしていると、「あれは13世紀の集落だよ。昔はワインの名産地だったんだ」とベルトラン。

廃墟の家
この辺りはローマ人がワインを造っていたことが分かっているが、記録に残る最初のブドウ畑は1201年に登場する。ブドウがあったならワイナリーもあったはず。彼に誘われて遺跡に分け入ると、屋根もすっかり崩れ落ちた家々には朽ち果てたかまどや木製の圧搾機が残っていた。今も昔も、人の営みは何も変わらない。
「こんな優れたテロワールがずっと埋もれていたなんて」とベルトランが語り出した。リベラ・デル・ドゥエロの土壌は主に、粘土、石灰、石や岩から成る。しかし、ここソリアは砂質という点が珍しく、それが蟻地獄のように害虫を吸い込んでみごとに被害を食い止めた。この天空の地はワイン醸造の、いや、民族学の宝石のような場所である。それにも関わらず、時代とともに過疎が進み、やがて大量生産の時流に飲み込まれて消えていった。
800年前と現代が同時に目に映るワイナリー。彼らは、ティント・フィノ(黒ブドウ品種テンプラニーリョの別名)が表現しうる、あらゆる美徳をワインに写し取るためにここにいる。そんなワイナリーに偶然出会って、今、ベルトランと二人この岩山に立つ不思議。すると不意に、「どこのお嬢ちゃんだい?」と、すり減った石畳の坂の上から小柄な老人がゆっくりと下りて来た。「日本? 日本は少し遠いんだろ?」
人に会うこともめったにないのに、日課の散歩をしていたら外国から来た女の子に会えたと喜んでくれた。「お嬢ちゃんの友だちは大したもんだ」と、ベルトランの肩をたたきながら。

村のおじいちゃんが下りて来た
訪ねて来て分かったことだが、ドミニオ・デ・アタウタはメセタの風景に溶け込むようにデザインされた立派なワイナリーだった。そしてベルトラン・スルデといえば、ドミニオ・デ・アタウタで醸造家としてデビューしてわずか数年で、「スペイン最優秀醸造家賞」を何度も受賞したことのある新進気鋭の人物だった。本人が言わないから、後で調べて分かったことである。そんなことより、畑を這いつくばって土やブドウの樹の根っこを見せながら、いつも必死に説明してくれるのが、私の知っているベルトランだ。(※現在は同じソリアでワイナリーを持ち独立)
さてこの岩山、てっきり廃墟の山城だと思っていたが、ここがはるばる目指して来たアタウタ村なのであった。中世には交通の要だったソリアにあって、かつては周囲を堅牢な壁で守られていたのだろう。今は風化した壁の向こうで、わずか59人(2019時点)がひっそりと暮らしている。(つづく)
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