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美しいくらし
ワインと旅するスペイン ソムリエ・ライフスタイルデザイナー
河野佳代
第2回 長い歴史が磨くブドウのエッセンス (中)

創業1729年の矜持


 初代フィリペ・アントニオ・サルサナ・スピノラがワイナリーを創業したのは1729年。ペドロ・ヒメネスという品種から、今でも昔ながらの天日干しにこだわった極甘口シェリー、「ペドロ・ヒメネス」を造っている(ブドウ名とワイン名が同じ)。

 天日干しとは文字どおり、収穫したブドウをゴザに並べて天日で乾燥させ、ブドウの糖分を凝縮させることをいうのだが、ただ置いておけばよいというわけではなく、均等に乾燥させるために毎日天気と相談しながら、7~8時間ごとに一つ一つひっくり返しては向きを変え、夜露の心配があるときはカバーをかけてブドウを守るという手間のかかる仕事だ。


 この作業を炎天下で21日間続け、その結果、収穫の7割を失い、得られる果汁は1トンのブドウからわずか200ℓという効率の悪さだが、彼らの非効率はまだまだ続く。樽に仕込んでから完成するまで実に15年、並みの何倍もの年月をかけて234の樽を毎日試飲し、樽ごとの状態を確かめながら丁寧に育てていく。現役最古の樽は1918年のものだから、もう100年以上も継ぎ足していることになる。そうしてやっと完成しても、「品質を守る」という家訓により、1年の販売は1万2000本が上限。実際にはそれをはるかに下回るから、最高品質にかける想いの強さがわかるというものだ。

 300年の歴史をひもとけば、戦争や経済危機など苦難は何度も訪れた。そして、良くも悪くも社会を変えた産業革命と、続いて起きた未曾有のフィロキセラ禍(19世紀末にヨーロッパ全土のブドウ畑を壊滅させた害虫被害)を機に、ヘレスでは手間のかかる天日干しは廃れ、代わって近隣の産地から干しブドウを購入して造る、手ごろなペドロ・ヒメネスが登場した。この逆境においても、「品質」を選んだボデガス・ヒメネス・スピノラ。
 古くからスペイン王室をはじめ、ヨーロッパの上流階級を顧客としてきた名家であるが、その高い品質ゆえに極めて生産が少なく、長く知られざる存在だった。本来、一介のバイヤーである私が話などできる相手ではない。それがこうして訪ねることができたのは、実のところただの偶然だった。

「本当にペドロ・ヒメネスだけなんですか? 辛口シェリーはないんですね?」と私は何度も念を押してみた。「ええ、本当にそれだけです。私たちのペドロ・ヒメネスはとても高価ですが、あなたがご存じのものとは全く味わいが違うはずですよ」と、流暢なクイーンズイングリッシュを操る電話主の朗らかな答えが返ってくる。
 彼女の名はアンヘリーヌス・ガロス。ボデガス・ヒメネス・スピノラのマネージャーだ。9代目の当主に代替わりして初めて一般に向けて門戸が開かれ、仲間から“日本なら、まずKayoだ”と言われて私に電話がかかってきたというわけだ。売り込みの電話を嬉々として受ける私が相手で、彼女は(そして私も)ラッキーである。
 ワインには造り手の哲学が現れる。だから「何を」と同じくらい、「誰から」買うかが肝心だ。探しているジャンルや値段はさておき、この人のワインなら飲んでみよう、買ってみようと思わせる人がいるものだ。アンヘリーヌスとは、まさにそんな人だった。

 お互い近々バルセロナに行くことがわかったので、落ち合って試飲をしようということになったのだが、会って驚いたのはその容姿。生粋のヘレスっ子というのに、金髪碧眼、スラリと背が高く、どう見てもドイツ人にしか見えない。聞けば遠い祖先にドイツの血が流れていて、それが彼女には強く現れた。実は、ペドロ・ヒメネスというアンダルシアの白ブドウは、16世紀にドイツの兵隊ピーター・シーメンスがもたらしたという説がある。こんな所にも多民族の交流が透けて見えるのは、地続きのヨーロッパならではの面白さだ。

 唯一の商品というそのシェリーは、グラスに注いだ瞬間からあらゆる点で違っていた。ペドロ・ヒメネスにしては茶色がかっていて透明度が高く、サラサラとしている。香りは妖艶なまでに芳醇で、飲むと天然の干しブドウが液体になって空中から流れ込んでくるような感覚だ。心の琴線に触れ、魂の栄養となる異次元のクオリティ。「これは何としても日本に紹介しなければ」。使命感にも似た感動を覚えて、次はワイナリーを訪ねる約束をして別れた。


 それから1年、図らずも馬祭りのあの日。「今日はお祭りだから」と、モノトーンのパンツ姿に、赤い花飾りとショールを付けて出迎えてくれたアンヘリーヌスに案内され、私は9代目ホセ・アントニオ・サルサナと小さなボデガで静かに試飲を繰り返していた。まぶしさに目がくらむ表通りとは対照的に、中は薄暗くひんやりとして、古い蔵特有の湿った匂いが心地よい。優れたワイナリーというのは、どこもパワースポットのような良い‟波動”に満ちているが、小さな蔵に積み上げられた古い樽の気高さに、感動を超えて言葉が出ない。ほの暗い空間に、ホセ・アントニオが樽から汲み出したシェリーをグラスに注ぐ音だけが響いていた。

 王室と取引するような名家が私なんて相手にしてくれるのだろうか、という心配は杞憂だった。アンヘリーヌスとの“化学反応”も幸いして、ホセ・アントニオはずっと前からの知り合いのように、「訪ねてくれて本当にありがとう。私たちの情熱を知ってもらえてうれしいです」と喜び、壁に飾られた古いプレートや道具を指しながら、ワイン造りの歴史を熱く語ってくれた。ここにある物すべてに歴史があり、それぞれに関わった人々の魂が宿っている。長い伝統を支えた名もなき多くの人々の、息づかいが聞こえてくるような気がした。

時代を超えるもの


 アンダルシア地方はスペインでも独特の文化が残る地域で、人々は信仰心が篤く家族の絆が特に強いことで知られている。どの国でも北と南では人の“濃さ”が違うものだが、アンダルシアのそれは憧れすら感じるものがあり、それでいて空気のように自然体だ。大勢の集まりに異邦人の私が一人いても、不思議と疎外感を覚えたことがない。
 ここでは家族の合意が何よりも大切で、当主といえども独断は許されない。ブレンドから商売の細部に至るまで、家族全員が納得するまで話し合って決める。「品質を守る」という家訓がなければ、なかなかできることではない。

 ろうそくの下での幻想的な試飲は、いつしか物語の時間へと変わっていた。不意に居住いを正したホセ・アントニオが、「あなたにはぜひこの話を聞いてほしい」と切り出した。父の代で廃業するはずだったという、語られざるストーリーだ。
 「父には、“当家の歴史は偉大だが、ビジネスとしての将来を考えると、この先こんな仕事が長く続くとは思えない。自分の代で終わりにするから、お前は弁護士になり安定した人生を送りなさい”と言われていました」。時は大量消費の時代。息子の将来を思う父親がそう考えたとしても無理はないだろう。

 とはいえ、子どものころから祖父や父が働く姿が大好きで、ボデガの香りの中で育ってきたホセ・アントニオ。この仕事を心から愛しており、弁護士にはなりたくなかったそうだ。しかし愛する父に背くよりも、「弁護士になったら好きなことをしてもいい」という約束を取り付けて、いつか必ず跡を継ごうと決意。「好きなことではなかったから弁護士になるのに8年もかかりましたが、やっとこの仕事に就けたので、どんなに退屈な仕事でも、それが揉めごとの仲裁でも書類整理でも、関われていること自体がうれしいのです」と教えてくれた。

 人生には情熱を傾けるものがいる。誰だって何かしら、そうしたものを持っているはずだ。だが、三百年もの歴史を背負っているとしたら、その原動力は何だろう。歴史があることは幸いだと、彼らを見るにつけ思う。それは望んで手に入るものではなく、ましてやお金で買うことなどできない。激動となった20世紀をじっと耐え、9世代にわたって磨き抜かれたペドロ・ヒメネスは、一時の流行に左右されない完成度の高さがあり、すでにモノを超越した存在だ。だからこそ、現代の私たちにも新鮮な感動を与えている。お金儲けが目的では到底成しえない、時間がつくる偉業にこそ、私は感動しているのだろう。
 そう思いを巡らせながら、あらためてグラスを傾けた。これから長い付き合いになることを確信して。(つづく)

【河野佳代さんのinstagram】https://www.instagram.com/kayohanako/?hl=ja
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【こうの・かよ】
日本の酒類専門商社で17年間のワインの買い付けを経て、2020年よりパリの高級スピリッツ「ディスティレリ・ド・パリ」、スペイン王室御用達シェリー「ボデガス・ヒメネス・スピノラ」のブランドアンバサダーに就任。これまで買い付けたワインは、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリア、イギリス、ポルトガル、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニアの9カ国、52地域。延べ1000回以上のイベントセミナーを通して造り手と向き合い、本物のワインを広める活動を行っている“美味しく食べて幸せに暮らす”を実践し、お酒をきっかけに世界をつなげている。J.S.A.ソムリエ、トリリンガル(日本語、英語、スペイン語)。
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