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美しいくらし
ワインと旅するスペイン ソムリエ・ライフスタイルデザイナー
河野佳代
第2回 長い歴史が磨くブドウのエッセンス (上)

 艶やかな黒髪をモーニョと呼ばれるまとめ髪に結い、頭の上には大きな花飾り、耳には大ぶりのピアスをつけ、デコルテの開いた色とりどりの民族衣装「トラヘ・デ・ヒターナ」、またの名を「トラヘ・デ・フラメンカ」に身を包んだ女たちは、まさにいま咲き誇る大輪の花のよう。
 日焼け美人が憧れの的というが、なるほど、この装いは褐色の肌と豊満な肉体があってはじめて成立する。一度見たら忘れられない彫りの深い顔立ち、強烈な視線を放つ大きな瞳と濃い眉。唇にひかれた真っ赤な口紅は、これほどの女っぷりがなければ似合わない。

 「私、こんなにきれいなのよ」と言わんばかりの堂々とした美女たちに目が釘付けとなったが、落ち着いてあたりを見渡すと、老若男女、誰もが夢のように美しく着飾り、煌びやかな装飾で飾り立てられた馬や馬車が、鈴の音を響かせて歩いていた。
 18世紀の乗馬服にコルドベス帽(フラメンコや乗馬でも用いられるアンダルシア地方の帽子)で颯爽ときめた男女の騎手のなかには子どももいるが、皆ピンと背筋が伸びて騎座がよく、騎手に伴われたロングドレスの婦人が横鞍に乗る姿もまたこの上ない。タイムトラベルさながらに、歴史のなかに迷い込んだような錯覚すら覚えた。ここは旧市街の中心にあるゴンザレス・オントリア公園。世界に名高いヘレスの馬祭り、「フェリア・デ・カバリョ」の会場だ。

 フラメンコとアンダルシア馬(Pura Raza Español/スペインの純血馬)の産地として有名なスペイン南部アンダルシア地方の歴史ある街、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ。この街が1年で最も輝く5月上旬の1週間、紀元前にまでさかのぼるという馬飼育の技の粋が結集する。

 大きなヤシの木ほどの高さのある華やかなイルミネーションで彩られた広場では、祭りの起源となった馬の品評会だけでなく、伝統の馬術ショーや馬車競技など、連日さまざまなイベントが催されている。本場スペインでもなかなか見ることができない騎馬闘牛の舞うような優雅さや、スポーツ馬術とは一線を画す王立アンダルシア馬術学校の特別公演、壮麗な馬車の大パレードは、祭りのクライマックスだ。
 盛装した御者や騎手の馬さばきは名人芸であり、人馬一体となって繰り出す華麗なターンや、一糸乱れぬステップの数々に息をのむ。馬を愛し、その美しさを磨いてきた駿馬の伝統は、ヘレスの文化遺産だろう。

 祭りの会場には200以上のカセタ(飲食ができる仮設の小屋)が並び、気さくなカマレロ(ウエイター)たちのきびきびとしたサービスのなか、人々はワイングラス片手に食事を楽しみ、あちこちから聞こえてくるフラメンコのリズムに、誰ともなく歌い、奏で、踊り出す。
 「カルメン、さあ、おまえも踊ってみな」、とうながされた小さな女の子が、大人の足の間からするりと出てきた。「大丈夫かな」。不安になって見ていると、少しの間をおいて、ゾクッとするような指先の動きとともに足を踏み鳴らし、両腕をしなやかに広げて踊り出した。パルマ(手拍子)とハレオ(かけ声)にはやし立てられて、大人顔負けの血沸き立つみごとなパフォーマンス。
 「あんな小さな子まで! すごい! 踊りはみんな習うのですか?」と隣の美人に尋ねると、「ノー」と肩をすくめるや、私に向かってこう歌い踊り出した;「Nadie!  Nadie! Nadie!  Nadie! ――誰も習ったりしない、自然に、こうして、出てくる、出てくる、出てくる、出てくる!」。すかさず手拍子でリズムを送るカンタオール(男性の歌い手)に、「そうだ! そうだ!」とかけ声で盛り上げる仲間たち。
 ここでは誰もがいっぱしのパフォーマー。忖度なんか一切なし。感情をそのままに、喜怒哀楽を秒速で昇華するこの熱量。これがアンダルシアの、ヘレスの人々が人生を謳歌する姿だ。

ヘレスの至宝を訪ねて


 夢心地の一夜が明け、連日祭りで賑わう会場を背に旧市街を西へ行くと、うって変わって人影もなく、ひっそりとしていた。王宮から王立馬術学校にかけての入り組んだ通りに沿って、この辺りにはシェリーの白壁のボデガ(セラー/貯蔵庫)が並んでいる。
 はるばる来たのはもちろん馬祭りのためではない。この狭い通りのどこかに、“あのシェリー”が眠っている。はやる気持ちを抑えて向かう先は、最高峰の極甘口シェリーを造る「ボデガス・ヒメネス・スピノラ」。300年の伝統を今に伝え“ヘレスの至宝”と謳われる、この産地で最も小さな造り手だ。

 5月もまだ初旬というのにヘレスの日差しは刺すように強烈で、真上から降り注ぐ陽光が白い壁に反射してサングラスも役に立たない。それもそのはず。車で90分も行けば、アンダルシア最南端の町、タリファに着く。ジブラルタル海峡を挟んだ対岸は北アフリカというロケーションだ。路地を歩いていて、ふと気がついた。旧市街にワイナリーが密集しているというのは、ヨーロッパではあり得ない光景だ。当然ここにはブドウ畑もない。
 スペインがイスラムの支配を受けていた昔、城壁の外にあるブドウ畑を戦いから守るために、堅牢なボデガを街に集めて、いざという時の砦にしたと聞いた。ヘレス・デ・ラ・フロンテーラは「国境のヘレス」を意味しており、文字どおりキリスト教世界とイスラム教世界の「境」を表している。

 異文化が融合するこのエキゾチックな街で、フラメンコとアンダルシア馬に並ぶヘレスの銘産品がシェリーだ。地元では「ビノ・デ・ヘレス(ヘレスのワイン)」と呼ぶ、普通のワインよりアルコール度数を高めた保存性のある白ワインである。大航海時代には遠征隊の必需品として、コロンブスやマゼランも大量のシェリーを船に積み込んだ。特筆すべきはその製法。秘伝のタレに似て、何年もかけて樽から樽へと継ぎ足しながらゆっくりと味を育てていく。長年の継ぎ足し製法で備わる独特の風味には、世界中に熱烈なファンが多い。

 この街には今でも多くの蔵元が残っているが、辛口から極甘口まで幅広い種類があるシェリーのなかでも、主流は辛口タイプであり、シェリーの聖地ヘレス・デ・ラ・フロンテ―ラにあって、今どきさして需要のない極甘口に特化していると聞けば、ワインのプロなら誰もが首をかしげるだろう。

 日本語でも「甘い」と書いて「美味い」と読ませるほど、かつて人々は「甘み」に飢えていた。砂糖が普及する以前、ブドウ由来の甘口ワインは貴重であり、なかでも価値の高い「極甘口」は、王侯貴族さえ憧れた特別な飲み物だった。ルイ14世が「王のワインにしてワインの王」と絶賛したハンガリーの銘品トカイ、ドイツのトロッケンベーレンアウスレーゼ、フランスのソーテルヌ、スペインにはペドロ・ヒメネス シェリーがあり、どの国にもその極上を究める造り手がいる。

 本物の甘みというのは得難いものだ。1匹の蜂がスプーン1杯のハチミツを集めるのに一生を費やすように、自然から天然の甘みを取り出すことは、人間とて計り知れない情熱を要する。だが、そうして得られた甘露には、濃厚な甘味に加えて透明感とキレがあり、後味はうっとりするほど長く美しい。極甘口ワインは日持ちがするので、少しずつ何日もかけてボトルを開ける楽しみがあるし、食事会の終わりにデザートのように楽しめば、みんなが幸せな絆で結ばれる。

 そう、消えゆく極甘口ワインは、忙しい現代人の心の救世主なのだ。最高のワインがもつ美学。ヘレスの至宝といわれるボデガス・ヒメネス・スピノラには、どんな物語があるのだろう。知りたい、と強く思った。(つづく)

【河野佳代さんのinstagram】https://www.instagram.com/kayohanako/?hl=ja
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【こうの・かよ】
日本の酒類専門商社で17年間のワインの買い付けを経て、2020年よりパリの高級スピリッツ「ディスティレリ・ド・パリ」、スペイン王室御用達シェリー「ボデガス・ヒメネス・スピノラ」のブランドアンバサダーに就任。これまで買い付けたワインは、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリア、イギリス、ポルトガル、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニアの9カ国、52地域。延べ1000回以上のイベントセミナーを通して造り手と向き合い、本物のワインを広める活動を行っている“美味しく食べて幸せに暮らす”を実践し、お酒をきっかけに世界をつなげている。J.S.A.ソムリエ、トリリンガル(日本語、英語、スペイン語)。
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