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美しいくらし
ワインと旅するスペイン ソムリエ・ライフスタイルデザイナー
河野佳代
最終回 スペインの異世界、ガリシア(中)

黄金の道でみつけた名品


 雨上がりのリベイラ・サクラを後にミーニョ川を南西に抜けると、隣の産地「リベイロ」に入る。山一面に立ち込めた朝の霧に包まれて、まるで別世界に入っていくような神秘的な山道が続いていた。ここには10世紀にフランスのブルゴーニュ(あのロマネ・コンティのある高級産地)からやって来たシトー派修道士の歴史的銘醸畑がある。当時スペインで最高級と絶賛されたこの畑のワインが、とにかく絶品なのだ。

シトー派の歴史的銘醸畑


 「目利きのワイン商が厳選した北スペインのワインが出る」と聞いて向かったのは、片田舎の小さな試飲会。噂に違わずどれも見事なセレクションだったが、中でもずば抜けて美味しかったのがこれだ。骨格があり、端正な酸とミネラルに溢れた、スペインらしからぬ直線的な白ワイン。ソムリエが安易に美味しいなんて言ったら叱られそうだが、本当に美味しかった。そして一流の味がした。
 美味しいワインと一流の差は紙一重だが、それがそう簡単に埋まるものではないということを私は知っている。選び抜かれたロケーション、気が遠くなるほど丹念な手入れ、そうした小さな積み重ねが時に磨かれて確固としたスタイルになるのだ。このワインの造り手は「コト・デ・ゴマリス」。千年の歴史を紡ぐ銘醸畑の現在の継承者である。「どんな人たちだろう。どんな畑だろう。見てみたい!」と、霧の峠道を越えて早速ワイナリーに向かったのだった。

ワイナリーの眼下には集落が広がっている


 神々の自然美が広がるリベイラ・サクラと違って、同じ山でもリベイロという産地は少し集落が開けていて人の匂いがする。ブドウ畑はここでもやっぱり段々畑だが、暮らしの中にすっと収まっている感じだ。しばらくすると、目印と聞いていたアビラ川が見えて来た。この川を北上し、古い大修道院を越えた先にワイナリーがある。
 「待っていたよ、Kayo。こんな所までようこそ」。玄関で出迎えてくれたのは、オーナーのリカルドだ。山の頂にあるワイナリーからは、遠くポルトガルの山並みと、眼下には今通って来たばかりのアビラ川、その周辺に点在する集落が一望にできる。まるで鳥になったみたいで気持ちがいい! こんな絶景を独占しているコト・デ・ゴマリスというワイナリーに胸の高まりを覚えつつ、私が彼に真っ先に尋ねたのはその名の由来だ。「ゴマリス」という不思議な響き。古い言葉で「ブドウの芽」を意味するゴマリサからついた村の名前であった。となれば、ワイナリーの名は「ゴマリス村のブドウ栽培保護区」みたいな意味になる。これは面白い話がたくさん聞けそうだ。

手入れが行き届いた醸造所

 中に入ってすぐ、立派なオルホ(ブドウの搾りかすで造るガリシアの蒸留酒)の蒸留所を通り、ピカピカに手入れされた醸造所や熟成セラーを見学し、一通り説明を聞いたところで、いよいよ歴史的銘醸畑と対面の時が来た。てっきり車で畑に行くのかと思ったら、「まずはここから見て欲しい」と言って、リカルドがテラスに続く大きな扉を開けた。その瞬間、ぱっと差し込む光の先に現れた、圧巻の段々畑。何というか、そのスケールと石積みの様子が全然違うのだ。
 城の石垣か古代遺跡と見まがうような精巧な石工の技。それが日当たり、斜面、川や山の位置、風向きといった、あらゆる栽培条件が絶妙に絡み合う地形にある。ヨーロッパ各地に赴いてワインを造ったシトー派の畑は、クロという独特の石塀で囲まれているのが特徴だ。日中、石に蓄えられた太陽の熱が夜になると畑を暖めてブドウの成熟を助けるという、冷涼地ならではの驚くべき工夫である。それが段々畑になるとこうなるのか。

ブドウ畑の中に佇む伝書鳩の小屋

 実際に畑も歩いてみた。「石の色を見てごらん。こっちの黒っぽい部分がシトー派時代のもの。白いのが後の時代に積みなおしたものだよ」とリカルド。「へーえ。そんなの言われないと気が付かなかった」。感心しきりで段を上ると、畑にポツンと佇む石造りの小屋に着いた。休憩所にしてはやけに丁寧な造りだなと思って聞くと、「あれは昔の鳩小屋なんだ」という予想外の答えが返って来た。修道士たちは日々変化する畑の様子を克明に記録し、手入れを行き届かせるために伝書鳩を使っていたのだという。そんな話、これまで聞いたことがない。
 「さしずめ昔のSNSだね!」と笑うリカルドだが、急に真面目な顔に戻ると「私の父がここに来た1970年代後半は、すっかり荒れ地だったんだ。フィロキセラで畑が全滅してから、百年以上も放置されていたからね。それでもこの畑を一目見て悟った父は、8年もかけて元の姿に戻したんだよ」と言った。神に捧げるワインは最高のものでなくてはならないと信じ、フランスからピレネー山脈を越えてここに根を下ろした中世の修道士たち。その情熱にはただ唸るしかない。だが、千年のバトンを繋いでくれたこの家族にも、きっと語り尽くせない武勇伝があるのだろう。

テラスで白ワインを試飲する

「コト・デ・ゴマリス」のスタッフたち


 ワイナリーに戻り、今年リリースされるワインをテラスで試飲しながら、改めて畑を眺めてみた。どこまでも続く深い山並みのなかに、この畑だけ、まるでスポットライトを浴びたように日が差している。その様子を見て、かつてこの地が「ワインの黄金の道」と称された本当の理由がわかったような気がした。今やひっそりとしたリベイロで、こんな隠れた名品に巡り合えたことは私の密かな自慢である。世界的醸造家やワインテイスターたちとの食事会に、銘柄を伏せて持っていくのは決まってこのワインだ。「これが本当にスペインなのか?!」と驚く彼らの顔を見るのがうれしい。(つづく)

「コト・デ・ゴマリス」のテラスからの眺め


【河野佳代さんのinstagram】https://www.instagram.com/kayohanako/?hl=ja
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【こうの・かよ】
日本の酒類専門商社で17年間のワインの買い付けを経て、2020年よりパリの高級スピリッツ「ディスティレリ・ド・パリ」、スペイン王室御用達シェリー「ボデガス・ヒメネス・スピノラ」のブランドアンバサダーに就任。これまで買い付けたワインは、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリア、イギリス、ポルトガル、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニアの9カ国、52地域。延べ1000回以上のイベントセミナーを通して造り手と向き合い、本物のワインを広める活動を行っている“美味しく食べて幸せに暮らす”を実践し、お酒をきっかけに世界をつなげている。J.S.A.ソムリエ、トリリンガル(日本語、英語、スペイン語)。
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