× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
ワインと旅するスペイン ソムリエ・ライフスタイルデザイナー
河野佳代
第5回 星の巡礼、カミーノ・デ・サンティアゴをゆく:後編(上)
 「Hablas castillano muy bien!(スペイン語上手だね!)」。外国人の私がスペインでスペイン語を話せばどんなに下手でもこう褒めてもらえるのだが、このとき彼らは母国語をして「español(スペイン語)」とは言わない。スペインにスペイン語は存在せず、現地では「カスティリャーノ」と言うと知ったときは驚いた。

 カスティリャーノはもともとスペイン北西部、現在のカスティーリャ・イ・レオン州一帯にあったカスティーリャ王国で話されていた言葉である。だからだろう。旧都バリャドリッドの人々は、今でも美しいカスティーリャ語を話すことで知られている。日本に例えれば、江戸があった東京の山の手言葉を基に標準語が作られたようなものだ。しかし、昔から多くの民族や宗教の異なる王国が統合や分裂を繰り返してきたスペインでは、方言のレベルを超えてまったく異なる言語が存在する。そのため現在はカスティーリャ語(スペイン語)以外に、バスク語、カタルーニャ語、ガリシア語、バレンシア語、アラン語の5つが公用語として認められている。

 全17州から成るスペインのなかで最もスペインらしいといえるのが、カスティーリャ・イ・レオン州だろう。国土の5分の1を占める最大の州、というだけが理由ではない。周囲を高い山々に囲まれた高地には、イベリア半島の7割を覆う乾燥高原「メセタ」の北半分が広がっている。この半島で最も古く、最も複雑な地質構造を持つというメセタ。その一面の土の色、いや、広い大地に描かれたセピア色の世界こそが、この国を象徴する風景である。
 「城」が転じたカスティーリャの名が示すように、この地域には長く続いたレコンキスタ(国土回復戦争)で多くの城塞が築かれた。破壊や風化を免れた旧跡は、今ではパラドール(古城や修道院などの歴史的建築物を改装した国営ホテル)や博物館となって人々が集い、メセタの大平原をゆけば、丘の上に取り残された廃墟の山城が辺りを悠然と見下ろしている。

メセタ(乾燥高原)の黄色い矢印はサンティアゴ巡礼の道標


 リオハを後に「フランス人の道」(連載第4回参照)を西へと進めば、次はカスティーリャ・イ・レオン州だ。巡礼路の要所には、ブルゴス、レオンといった中世の大都市が待っている。フランスのシャルトル大聖堂にも並ぶ美しいステンドグラスで名高いレオン大聖堂や、スペインゴシックの最高傑作と謳われるブルゴス大聖堂の厳かな光の空間に身をおけば、中世の王国の凄まじい財力と、その財力が築いた神の世界に目もくらむような思いがする。日本から来た通りすがりのワインバイヤーがこうなのだから、メセタを歩いてここまで辿り着いた巡礼者たちの感激はいかばかりであろう。乾いた大地に今も残る王国の栄華をたっぷりと味わえるのが、この巡礼路の魅力である。

 州内には法律で9つのワイン産地が認められているが、カスティーリャ・イ・レオンといえば「リベラ・デル・ドゥエロ」抜きには語れない。スペインを象徴する大河、ドゥエロ川に沿って(リベラ・デル・ドゥエロはドゥエロの川岸という意味)、東西115km、幅35kmにおよぶこの地は、黒ブドウの一種であるテンプラニーリョの赤ワインでリオハと双璧をなす世界的産地。スペインのロマネ・コンティとも称されるレジェンド、「ボデガス・ベガ・シシリア」の故郷でもある。
 19世紀後半にはその存在がワイン通の間で噂され、1929年のバルセロナ万国博覧会で満を持してヴェールを脱ぐこととなったスペインの至宝、ベガ・シシリア。「唯一」を意味する代表作「ウニコ(Unico)」は、ブドウから醸造に至るまで一切の妥協を許さず品質を究めた名品であり、出荷されるまでに10年以上の歳月を要する希少なワインである。

 長い伝統を誇るリオハと違うのは、原産地に認定されたのが1982年と意外に遅いことだ。今でこそ300軒以上のワイナリーが技を競っているが、当時はたったの9軒しかなかった。「偉大なブドウ畑とそのワインを世界に知らしめたい」と願った人々の小さな運動がきっかけとなり、それ以降、世界に注目されることとなっていく。
 リベラ・デル・ドゥエロの父、故アレハンドロ・フェルナンデスの「ペスケラ」、30数年にわたりベガ・シシリアを磨き抜いたマリアーノ・ガルシアの「アアルト」、1995年に掘っ建て小屋で造ったデビュー作がパーカー100点満点(世界的ワイン評論家ロバート・パーカー・Jr.氏の採点法)をつけた「ピングス」など、スターワイナリーには事欠かない。この広大なカスティーリャ・イ・レオン州のワインを、さて、どうやってものにしていこうか。

 「起伏の激しい峠の難所も苦しかったが、変化のない野ざらしのメセタを来る日も来る日も歩くのは本当にきつかった」と巡礼者たちは振り返る。最高のワインを求めてスペイン中を旅してきた私にとっても、きつかったと思い返すのはカスティーリャ・イ・レオンである。湿潤の小さな島国から来た身には堪えるメセタの乾いた大平原。ところが不思議なことに、そのメセタが心の原風景となっているのもまた事実である。それにしても、そうまでして人はなぜ歩くのだろう。それに、私はどうしてこんな所まで来てワインなど探しているのだろう。

ビギナーズラック


 時代の寵児といわれた醸造家ベルトラン・スルデに出会ったのは、初めて現地に買い付けに行ったときのことだった。場所はバルセロナのビーチから目と鼻の先にあるネオクラシック様式の壮麗なコンベンションホール。12世紀にさかのぼるというこの会場で、この日行われていたのは、招待状が届いたプロ以外、ワインを生業にしていても数少ない高額なチケットを買わなければ入ることができない高級試飲会だ。そこで私は、全く別人の名札をぶら下げてそれは必死に試飲をしていた。
 入るとすぐに、本来ならたやすく試飲などできない超高級ブランドの数々が目に留まった。狭いテーブルに並べられた数本のワインで40~50万円はする国宝級の名品を前に、醸造家本人が解説している。フランスでいえば、ボルドー5大シャトーのオーナーや最高醸造責任者がいるのと何ら変わらない。「Kayo、これを飲め、あれはパス、こっちに来い」とここでも私を導いてくれたのは、あのマヌエルだ(連載第3回参照)。

バルセロナの高級試飲会


 「この後はどうするの?」。マンチュエラでの別れ際にマヌエルからそう尋ねられ、「最後はバルセロナに行って展示会に顔を出し、その後は何か面白いところがないか探してみる」と答えたら、「僕も来週バルセロナに行くけど、あんな大きな展示会は僕が行くところじゃないね。時間があるなら僕が行く試飲会に来ればいいのに。凄い造り手ばかりが集まっているんだよ!」と教えられたのがこの試飲会だった。
 その時は疲れてしまって詳しく聞く元気もなかったから、バルセロナに着いたらまずはそれが何かを突き止めなければならない。マヌエルに電話をすれば済む話だが、私が登録した電話番号はみごとに間違っていた。見本市の会場で、会う人会う人に聞いてみたもののよく分からない。さあ、どこにあるんだ、その試飲会は? と考えながら自然とタクシー乗り場に向かって歩いていた私の耳に、「“〇〇のワイン”の会場に行ってくれ」と頼むスマートな男性客の声が入ってきた。ワインの会場に行く!?「あ、あなたが行くのは凄い生産者ばかりが集まるというあの試飲会ですか?」。慌てて聞くと、「そうだよ、君も行くならどうぞ乗って」と乗せてくれたのだ。

 この時期のワインのイベントといえば決まっているはず。それに凄い生産者と聞いて「Yes」と答えたのだから、きっとそうに違いない。勢いよく走り出したタクシーの中でくだんの紳士と世間話をしていると、マヌエルから電話がかかってきた。「さっきバルセロナに着いて試飲しているから、すぐにタクシーを捕まえてこっちにおいでよ。電話をくれたら場所は運転手に説明してあげるから」「マヌエル、私、いまタクシーの中!」。嘘みたいな話だが本当のことである。
 夕方の渋滞につかまってやっとの思いで会場に着くと、タクシーを降りるや待ち構えていたマヌエルが、「早く!急いで!」と手に持っていた名札を私の首にぐいっとかけた。「あんまり見せちゃだめだよ」とささやいて、受付で何やらまくしたてながら私の試飲グラスを確保してくれた。

 こうして私はこの高級試飲会に、「マドリッド、ホテル勤務、ダニエル・ゴメス」という名で入場したのだった! 並の展示会では使われない老舗ブランドの手吹きグラスに気を取られ、その時は、入るだけでも大変なのだと思う暇もなく。(※普通はこんな入場の仕方はできません)
(つづく)

【河野佳代さんのinstagram】https://www.instagram.com/kayohanako/?hl=ja
ページの先頭へもどる
【こうの・かよ】
日本の酒類専門商社で17年間のワインの買い付けを経て、2020年よりパリの高級スピリッツ「ディスティレリ・ド・パリ」、スペイン王室御用達シェリー「ボデガス・ヒメネス・スピノラ」のブランドアンバサダーに就任。これまで買い付けたワインは、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリア、イギリス、ポルトガル、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニアの9カ国、52地域。延べ1000回以上のイベントセミナーを通して造り手と向き合い、本物のワインを広める活動を行っている“美味しく食べて幸せに暮らす”を実践し、お酒をきっかけに世界をつなげている。J.S.A.ソムリエ、トリリンガル(日本語、英語、スペイン語)。
新刊案内