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美しいくらし
ワインと旅するスペイン ソムリエ・ライフスタイルデザイナー
河野佳代
最終回 スペインの異世界、ガリシア(下)

海のワイン、リアス・バイシャス


 リベイロからアビラ川を南下すると、やがてミーニョ川に合流する。その先はいよいよ大西洋。ワイン産地は「リアス・バイシャス」だ。世界に冠たるスペインの白ワイン、アルバリーニョ(ブドウの名がワイン名)の故郷にして、大海の気風を感じる海のワイン産地。どれをとってもクオリティが高く、きれいな酸、爽やかな柑橘の風味、すっきりとした辛口で、ほんのり塩味を感じる味わいは、何と言っても食事との相性が抜群だ。
 和食を始め、ハーブやスパイスの効いたセビーチェやタコス、シーフードのパスタなど、世界中の料理と幅広く楽しめる。しかし、食と言えば、やはりリアス・バイシャスの海産物だ。さっと茹でた海老や軽くグリルした魚介類を、アルバリーニョでグイっと流し込むときの美味しさといったら、もうたまらない。


 「さあ着いたよ。海の席を予約しておいたからね!」。車を止めるなり足早にレストランに向かったのはアルバリーニョの名手「バルミニョール」のオーナー、カルロスと、スタッフの仲良しコンビ、クリスティーナにエリックだ。ヨーロッパ各地の展示会で1年に1度は必ず会う気心の知れたメンバーだが、3人ともこの日ばかりはソワソワしていた。その後を追う私だって興奮が止まらない。10年越しの約束が、今果たされようとしているのだから。
 その約束とは、「次は必ず夏に集まって海でワインを味わおう!」という至って単純な、しかしワインを愛する者にとっては大真面目な話である。前回ここに来たのは冷たい雨の降る冬だった。辺りは鉛色の空と霧に覆われて、まるで『ハリー・ポッター』の世界みたいに幻想的だったが、ベストシーズンを望むのは造り手も私も同じこと。問題は、ガリシアが遠いということだ。またすぐに、次は必ずと言っていたらこんなに時間が経ってしまった。

 初夏の風に吹かれながら色んなことを思い出していると、テーブルにはめくるめく海鮮料理が次から次へと運ばれてきた。冷えたアルバリーニョのグラスを片手に仲間と囲むランチは素晴らしい。時刻はもう16時。「スペイン人は何でもゆっくりと時間をかけてするのが好きなんだ」と、エリックがウィンクした。まだまだ終わらないよという合図である。

リアス・バイシャス名物の棚仕立て


 リアス・バイシャスが原産地に認定されたのは1988年。赤ワインのイメージが強いスペインで、今や世界のソムリエが愛する白ブドウ品種「アルバリーニョ」の白ワインで早くから国際的に成功した、スペインでは異色の産地である。その伝来には諸説あるが、少なくとも千年前にはすでに栽培されていたことがわかっている。一年を通して雨が多く、元来ブドウ栽培が難しいこの土地に千年の時をかけて順応し、シトー派修道士たちが伝えたであろう高度な技術で品質が磨かれてきた。大量生産や人気品種への植え替えが進んだ1980年代にあって、アルバリーニョ種を愛し、産地の目玉に据えた人々の信念が今日の成功をもたらしたのは間違いない。

 細かくは内陸から沿岸部まで5つの地域に分かれるリアス・バイシャスで、ワイナリーは最南部のオロサルにある。ミーニョ川の河口にあり、川を渡ればポルトガルでコーヒーブレイクもできるという立地にあり、ガリシア州でも特に温暖で川や海の影響を受ける地域だ。そこでリアス・バイシャス名物、「棚作り」のブドウ畑が生きてくる。この産地、訳すと「低いリアス式海岸」を意味するとおり、海岸とほぼ同じ高さに畑があり、雨に加えて、川や海がもたらす湿気でブドウが上手く育たない。棚を作って樹を高く仕立てることで、――上を向いての剪定や収穫という苦労と引き換えに――品質を守る工夫がされている。

 しかし、かといって全てがそうではないということをこの旅で知った。カルロスたちとのランチの翌日、山の畑に登ってみると、――山といっても一番高い所で標高150メートルと、800メートル級のブドウ畑が連なる北スペインでは拍子抜けするような低さだが――、下とは違って見晴らしがよく、大西洋の涼しい風がここにまで届いていた。「みんなリアス・バイシャスは棚作りだって思い込んでいるけど、場所によるんだ。ここは斜面で風も強いから棚は作れない。それに日当たりもよくて乾燥しているから、そもそも必要ないんだよ」とエリックはいう。山の畑は松やユーカリの森に囲まれていた。これが天然のフィルターにもなって、海や川からの湿気を防いでいる。10年前もここに来たのに霧で何も見えなかった。

 「上手いことできてるなあ」と感心していると、栽培家のテレサがブドウの葉を手にやって来た。「これを見て!今年は本当に良い年よ。こうして毎日見ているけど、初めてミルデュー(カビの発生で感染するブドウの病気)を見つけたわ。それもこの一枚だけ。今年のワインはますます期待できそうね!」。彼女はこうして毎日畑に出て、ブドウの葉を一枚一枚手に取って病気がないか確かめている。17ヘクタールの畑をたった一人で!「表だけ見ていちゃダメよ。裏もしっかり見るのよ」と、弾ける笑顔でまた仕事に戻っていった。教科書ではわからない、こうしたことが実感できるのだから、どんなに遠くても、どんな山のなかでも、産地を訪れることは大切だ。

 もうすぐ正午。冷涼産地とは言っても、ブドウ畑は日当たりが良すぎて喉が渇いてきた。そんな私に気が付いたのか、「そろそろ帰ろうか」と折よくエリックが車の準備を始めたのだが、なんだか妙に素っ気ない。「この道を下りるとワイナリーまでの近道に出るんだ。でも車だと危ないから、先に歩いて行ってくれるかな。僕は遠回りしてあっちの道から戻るから」と言い残して、そそくさと行ってしまったのだ。こんな所で取り残されるなんて。変だなと思いながらも、言われた道を下っていったのだが、さて、どこにも近道らしきものは見当たらなかった。

スペイン定番のタパス「トルティージャ」

 まさか、こんな所で迷ったのかな? 不安になって辺りを見渡すと、「Kayo!」と森の方からこちらに向かって歩いてくる人がいる。クリスティーナだ! 今日は別の仕事で会えないと聞いていたのにどうして。「お腹が空いたでしょう?」と言う彼女の傍らには、かわいらしいピクニックのテーブルに、タパス料理(小皿料理)とバルミニョール特性のベルムット(日本ではヴェルモットが一般的。白ワインにニガヨモギ、その他のハーブやスパイスを加えて風味を移したフレーバードワイン)が、グラスに氷を浮かべて涼やかに並んでいた。トルティージャはクリスティーナのおばあさんのお手製だ。

 「今朝焼いてもらったのよ。彼女は本当に料理上手で、これは彼女のが一番なの。さあ食べて」と皿を差し出し、「ジャガイモの切り方からして違うのよね。本当はこうして包丁の角でカリッと削るのよ。私は料理が苦手だからできないけど」と肩をすくめて、コツを伝授してくれた。トルティージャはスペイン定番のタパスだ。要はジャガイモが入った卵焼きだが、シンプルなだけに意外と難しい。まさか家族に頼んで作ってもらっていたなんて胸が一杯になる。

 「Bienvenido a Rias Baixas! Bienvenido a Valminor!!(ようこそリアス・バイシャスに!ようこそバルミニョールに!)」と、エリックや他のスタッフも加わって、森のランチが始まった。「驚いた?これは私たちからのプレゼントよ!」とクリスティーナが私を抱きしめ、「近道があるなんて嘘をつくのに苦労したよ」と、正直者のエリックが頭をかいた。
 この時まだ12時過ぎ。スペインのランチにしては少し早いのだが、これが彼らの心遣いだということはわかっていた。長旅を続ける私を気遣って、軽い食事にしてくれたのだ。仕事を越えたスペイン人の愛情とガリシア人の誠実さを嚙みしめながら、「取引先がやがて友になる」というワインの世界の常識を、この時ほど思い知ったことはない。それを知ってか知らずか、「今日の日をKayoはずっと覚えているから大丈夫ね」とクリスティーナがほほ笑んだ。

森のピクニック


 帰り道、少し遠回りをしてサンタ・テクラに立ち寄った。ここには紀元前7世紀頃からローマの支配が及ぶまでの千年以上にわたって、ケルト人が住んでいた「カストロ」という古代遺跡がある。最後にここを見ておきたかった。ガリシアに入ってから、ずっと感じていた人ならざる者の気配。「山には精霊が飛び交い、街にはガイタ(バグパイプ)が響き、魔女やおまじないが今でも生活のなかに溶け込んでいる。ここは本当に奇妙で不思議な話ばかりなのさ」と地元の人々は自慢げに言う。

 知らない土地に来てどこか懐かしさを覚えたのは、潤いに満ちた緑のせいだけではない。そこに自然を敬って生きた、古代の人々の息づかいを感じたからだろう。そう思った時、彼らのワイナリーのロゴに、「土、火、水、風」を表すケルト文様が刻まれていたことに気が付いた。ワインは生まれた土地の影響を受けている。土壌、太陽、湿度、風、すべてが影響しているから、たとえ隣の畑だって、場所が変われば違うワインになる。そんなワインには個性があり、私たちはその多様性をこそ楽しむのだ。
 たった1杯のワインかもしれない。でも、知りたいと願えば、そこから無限の世界を汲み取ることができる。これからもワインで色んな人と楽しく過ごしたい。そう思いながら眺める大西洋は、どこまでも穏やかにまだ見ぬ世界へと繋がっていた。

古代遺跡「カストロ」


 さあ、今回も長い旅だったけど帰国の時。やっとバルセロナに帰って来た。私のスペインの旅は、いつもバルセロナに始まりバルセロナに終わる。「おかえり、Kayo!今回はどうだった?美味しいワインは見つかったかい?」。空港で私を待っていたのは地元のタクシーの運転手、カルロスだ。まだ配車アプリなんか無かった頃、街で拾ったタクシーで、「君みたいな面白い仕事をしている人には出会ったことがないよ。これから君がスペインに来るときは、私が運転手だ!」と連絡先をもらって以来、ずっとお世話になっている。これまで楽しく旅を続けてこられたのは、こんな愛すべきスペインの人々のおかげだ。

 バルセロナに帰って来たのだから、最後はこの言葉で終わりにしよう。この未完の芸術作品を見る度に、人生はこうありたいと願う言葉である。

“La obra de la Sagrada Familia va lentamente,
porque mi cliente no tiene prisa”
Antoni Gaudí

サグラダ・ファミリアの建設はゆっくりと進む。
なぜなら、私のクライアント(神)は完成をお急ぎではないからだ。
アントニ・ガウディ


(おわり)


エントロイド ブランコ/ロホ

(アデガス・バルミニョール)

 品質志向の造り手「アデガス・バルミニョール」が本気で造ったベルムット※。スペインでは若者の間でリバイバルブームがあり、銘柄も増えたのだが、どれをとっても副産物の域を越えず、今一つピンと来なかった。しかしバルミニョールとなれば話は別。看板ワインの「アルバリーニョ」に21種類(ロホ。ブランコは12種類)ものガリシアのハーブ(ガリシアで手に入らないものは調達)を漬け込んで、大西洋の爽やかなテロワールを表現した。
 大ぶりのグラスに大きな氷を入れて飲むのがお勧めだ。ハーブやスパイスの効果で、暑い夏だけでなく、どんな季節でも気分をリフレッシュしてくれることを約束する。心地よい苦みとわずかな甘味があるので、タパスなど食事との相性も抜群だ。

※ベルムットとは、白ワインにニガヨモギ、その他のハーブやスパイスを加えて風味を移した「フレーバードワイン」というジャンルの食前酒。

【河野佳代さんのinstagram】https://www.instagram.com/kayohanako/?hl=ja
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【こうの・かよ】
日本の酒類専門商社で17年間のワインの買い付けを経て、2020年よりパリの高級スピリッツ「ディスティレリ・ド・パリ」、スペイン王室御用達シェリー「ボデガス・ヒメネス・スピノラ」のブランドアンバサダーに就任。これまで買い付けたワインは、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリア、イギリス、ポルトガル、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニアの9カ国、52地域。延べ1000回以上のイベントセミナーを通して造り手と向き合い、本物のワインを広める活動を行っている“美味しく食べて幸せに暮らす”を実践し、お酒をきっかけに世界をつなげている。J.S.A.ソムリエ、トリリンガル(日本語、英語、スペイン語)。
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