ワイナリーは元マッシュルーム工場
スペインには14の生産地域、70以上もの原産地呼称制度で保護されたワイン産地があり、ワインが生まれ故郷を名乗るためには様々な要件をクリアしなければならない。スペインワインを知りたければ、まず押えるべき産地は北のリオハ、南のヘレス、1980年代以降に名を挙げたリベラ・デル・ドゥエロやプリオラートなどといったところだろう。スペインの力強い大自然の下で育まれたワインには、否が応でもテロワール(生産地の気候風土)が反映されていて、その多彩な個性が魅力である。
ひるがえってこれから向かうマンチュエラは、よほどスペインに詳しくない限り、ソムリエでも知らない無名の産地だ。伝統的に大量生産用のワインを造ってきたここラ・マンチャ地方の東端に、ひっそりと収まっている。専門家も「特筆すべき点はない」と一蹴してきたほどで、およそスペインで最初に訪れるべき産地ではない。
自分のマイナー好きにも呆れつつ、「私のスペインはあのワインから始まる!」という2年越しの思い込みに突き動かされてまっしぐらにやって来た。目的地まであと少し。車の中で走り出したいくらいに興奮が止まらない。
「着きましたよ」。マヌエルに促されて驚いた。だって目の前にあったのは、ただの古びた大きなガレージだ。「これがワイナリー?!」。強風に煽られながらよろよろと車を降りると、「寒いのにようこそ」と笑顔の青年が出迎えた。彼の名はフアン・アントニオ・ポンセ、当時弱冠26歳。このワイナリーのオーナーにして醸造家である。すっかりリラックスした様子からは、南仏で会った彼が別人のようだ。「やあ、久しぶり」。マヌエルとしっかりとハグをする姿は、いかにもスペイン人らしい。
品の良さを感じたあのワインは、こんな所で造られていた。あまりのギャップといえばギャップ。フランスでは貴族が所有していたシャトー(城)といわれる壮麗なワイナリーや、小さくても歴史を感じる家族経営の醸造所を訪問してきたから、この外観には本当に驚いてしまった。ガレージのような建物でワインを造るベンチャーの存在は聞いていたものの(彼らのワインをガレージワイン、シンデレラワインなどという)、実際に目にしたのはこれが初めてだった。
中に入るとガランとした空間に、大人の背丈の倍以上はありそうな大きな木製の発酵槽とたくさんの樽が整然と並んでいた。建物は簡素でも清掃が行き届いていて、床には埃ひとつない。醸造を終えた冬の季節、次の仕込みを待つまでの間、道具はこうしてきれいに手入れして保管されている。奥は熟成庫になっていて、鉄の扉を開けると、なじみあるセラーの香りに包まれた。「ああ、やっぱりここはワイナリーだ」。内心やっと安堵した。
「僕の家は代々ずっとブドウ栽培をしてきたんだ。でも僕は栽培するだけじゃなく、いつかワインも造りたいと思ったんだ」というフアン・アントニオ。20代でワイナリーを持つという確かな夢があったのだが、若くお金もなかったからこの施設を再利用した。もともとはマッシュルーム工場だったこの建物。見た目はガレージでも冷蔵設備があり、温度管理が必要なワイン造りには最適なのだ。マッシュルームを育てていた奥の部屋を熟成セラーにし、加工場だった入り口の広い空間が醸造所となっていた。
普段は父親と弟の3人で働き、収穫のときだけ6人ほどの仲間に手伝ってもらう。「偉大なワインを造るのに、必ずしも高価な設備は必要ない」ということを最初に教えてくれたのが、このフアン・アントニオなのである。
南仏で私を魅了したワインは、「ボバル」という品種で造られていた。野趣あふれる風味に品が同居したあの不思議な感覚。この珍しいブドウこそが、あのとき覚えた違和感の正体だ。
ひと口にワインといっても、実は様々なブドウ品種で造られている。100%同じブドウ品種のワインもあれば、いくつもの品種がブレンドされることも多い。世界には何百種類もの品種があり、そのなかにはカベルネ・ソーヴィニョンやシャルドネのように故郷を離れて世界中で愛されるようになった国際的スターから、名脇役、ローカルタレントのような地産地消のブドウまで多種多様だ。
今でこそ地品種を活かして産地の個性を競う「テロワールワイン」は主流になったが、フアン・アントニオがデビューした当時(最初のワインは2005年)、端役のブドウを主役にしてワインを造る醸造家は珍しかった。田舎で変化を起こすのはいつも変わり者かよそ者、そして若者だ。彼は誰よりも「ボバル」という品種を知っていた。だからこの品種に賭け、無名のブドウでも最高のワインができることを世に問うたのだ。

ボバルの畑(春)
12歳の夢
連れて行ってもらった畑には、ほとんどが樹齢60年を超えるという立派なボバルの古木が植わっていた。「僕の原点は畑でおじいさんやお父さんと過ごした幼い頃にあるんだ」と、じっと畑を見つめてフアン・アントニオは語り出す。
春に咲く花の種類でその年のブドウの出来がわかること、古い樹ほど気候にうまく自分を合わせて毎年質の高い果実をつけること、土壌のバランスが取れている所には雑草が均等に生えていること。何もかもが幼い彼にとっては“curioso(不思議)”だった。「curioso」とは、フアン・アントニオの口からよく出てくる言葉だ。幼い彼の“なぜ”にいつも的確な答えをくれたのが祖父や父だったから、彼らが一番の師匠であり、とても尊敬しているという。
スター性のある醸造家を目指す人が増える一方で、畑の“野良仕事”を厭う者は多い。フアン・アントニオの強みは、栽培家として自ら土に向き合っていることだろう。どの樹が優れているか、どの区画が良いか、何が本来の味なのかを熟知している。受け継いだ品種に誇りと自信を持っているから、流行に流されることもない。
そんな彼のスタートが凄かった。12歳のある日、「将来、家族の畑から自分の手でボバルというブドウの本当の美味しさを表現したワインを造る」と決意したのだ。まだ飲酒年齢に達していない14歳で隣町の栽培醸造学校に入学させてもらい(もちろん特例で!)、年上の同級生たちと一緒に5年間ワイン造りを学んだ。
卒業後は普通ならワイナリーで醸造アシスタントをして修行を積むところ、19歳の若さでスペインの著名な醸造家のワイン造りを任されるという異例の抜擢。スペイン国内のほとんどすべての生産地域を回って経験を積み、産地ごとの魅力、見習うべきこと、してはいけないこと、造ったワインを売り切るビジネスマインドを身につけていった。フアン・アントニオは言う。「人より早くにスタートした自分は幸いだった。なぜなら人より10年早く修正ができ、10年長くワインに向き合えるから」

ボバルの古木とフアン・アントニオ
故郷を大切に思うのは人情だが、それだけでは弱いワインになる。外の世界から俯瞰できたからこそ、彼は「宝物」を輝かせることができたのだろう。量産用と見なされていたブドウに向き合い、「これがあのボバルのワインだなんて信じられない!」とプロを唸らせるまでに洗練させたフアン・アントニオ。そんな彼の話は何もかもが新しく、名うてのテイスターたちに聞かせても白熱の質問が止まないほどの魅力がある。
ワインが美味しいはもちろんのことながら、「ボバル」という珍しい品種や若い彼の哲学がとても魅力的で、誰もがそれに惹かれるのだ。
私は「ボバルを栽培するうえでの鍵は何ですか?」と聞いてみた。他の栽培家と何が違うのか知りたかったのだが、「最も大切なのはブドウをよく知ること。その品種がほかの品種と同じだろうと妙な憶測をしないこと。そして1日でも長く経験を積むことだ」という哲学めいた答えが返って来た。
考えてみれば同じ畑は2つとないのだから、一流の栽培家が単純にプロセスなど答えないのももっともだ。「その土地に長く根づいた品種には力があり、ブドウが自から置かれた環境に合わせて適応する。それこそが大切だ」と言う彼の説明は、何もかもが自然の摂理にかなっている。
今思うと、モンペリエでフアン・アントニオに出会ったのは本当に縁だった。あのとき黙っていたのは英語が話せなかったからというのもあったそうだが、それよりもとにかく緊張していたらしい。独立して初めて造ったワインで、初めて参加した試飲会が不慣れな外国。ワインのラベルも名前も決まっておらず、ホームプリンタで急ごしらえをしたのだった。「凄く心細くて不安だったんだ」という顛末なのだが、私がこれを知ったのは、この出会いから4年も経ってのことである。(つづく)
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