織田信長や豊臣秀吉、徳川家康ら名だたる武将たちに愛され、14世紀半ばから650年以上にわたり途切れることなく演じられてきた「能」。現在はユネスコの無形文化遺産に登録され、海外からも高い評価を受けている日本の伝統芸能です。一方で、その凝縮された所作や能舞台に漂う緊張感に、近寄りがたい感じることも。ですが、弁慶や牛若丸といったおなじみのキャラクターが登場する芝居、と聞くと親しみを感じませんか? 能・狂言を中心とする古典演劇・芸能に精通している村上湛先生の連載がスタート。能の見どころや楽しみ方について教えてもらいます。 今年(2022年)は平安時代末から鎌倉時代初めに活躍した源氏・平家の武将たちにスポットの当たる機会が多いようです。江戸時代までの人々に身分を超えて最も親しまれた歴史文学は疑いもなく『平家物語』で、史実はともあれここに描かれた源平の盛衰が、現代のわれわれの認識にも深く影を落としています。
『平家物語』を題材にした後続ジャンルと言えば、中世では能。近世では義太夫浄瑠璃。どちらも燦然と輝く日本最高の劇文学です。このうち、どちらかといえば親しみに欠ける能に、どれほどすばらしい源平の人間ドラマが語られているか……今月から1年間にわたり、筆者自身「推し」の12人を採り上げ、ご紹介申し上げたいと思います。
*
『平家物語』全体を貫く一人だけの主人公はいません。場面に応じ印象的な人物が、それぞれ忘れがたい言動を残します。その中でも後半、最も活躍する人物は疑いもなく源義経でしょう。頼朝の義理の弟に生まれ、輝かしい戦果を挙げて平家を壇ノ浦で滅亡させたものの、兄にうとまれ流浪の身となって、奥州・平泉で無念の最期を遂げる……「
九郎判官」と通称された義経は、究極の「愛されキャラ」として歴史に刻印されました。弱者を支持する同情心を「
判官贔屓」というほど、悲劇の主人公たるその地位は揺るぎません。
源氏の棟梁・義朝を父に、近衛天皇の中宮(皇后)に仕える下級侍女・
常盤を母に生まれた義経は、幼名・牛若丸。ほぼその全生涯が作劇の題材になっており、能にこれほどまで繰り返し採り上げられた人物は他にないはずです。
ざっと数えてもこうなります。京都・鞍馬寺の稚児だった幼少期が〈鞍馬天狗〉〈橋弁慶〉。寺を出奔した武者修業時代が〈関原与一〉〈烏帽子折〉。名戦・屋島合戦を指揮した武勇を語る〈八島〉。平家滅亡後の逃亡生活を描く〈船弁慶〉〈忠信〉〈安宅〉〈摂待〉……牛若丸=義経が実際に舞台へ登場する能だけでもこれほどある上、関連作を加えればさらに増えます。能の現行曲は約250番。ほぼその一割は「義経関連の能」ということになるのではないでしょうか。
先ほど「判官贔屓」と記しましたが、能の牛若丸=義経は
子方(小児の役者)が演ずることが多いのです。牛若丸は年齢相応ですが、
大の大人である〈船弁慶〉〈安宅〉などの義経を子方が勤めることについては諸説あります。子方は添景人物であることが多く、「本来の主役=シテ(〈船弁慶〉ならば静御前と平
知盛、〈安宅〉ならば弁慶)と競合すると舞台効果を
殺ぐため」、とするのが合理的説明かもしれません。
そんな中、堂々たる雄将のシテとして大舞台を圧するのが〈八島〉の義経です。香川県の地名としては「屋島」ですが、曲名には縁起をかついで末広がりの「八」の字を用いるのが昔からの通例でした。

月岡耕漁『能楽図絵』より能〈八島〉
生前の軍装で出現した後シテ・義経の霊の雄姿。左上の色紙形に小さく描かれたのが〈那須〉を語る狂言方。常の間語リではしない平伏姿がそれを示す。また、半袴ではなく格式のある長袴を着用しているのも〈那須〉の故実である(流儀・芸系による)。
平家滅亡後、屋島の浦を訪れた旅僧の前に現れた老人は、屋島合戦のさまざまな逸話を語る。老人は義経の霊であって、やがて本体を現した義経は「弓流し」の武勇を語り、死後も敵将・平教経(のりつね)と戦いを重ねるさまを見せ、春の夜は明ける。 義経は小柄な体型で、用いる弓も大弓ではありません。誤って海に取り落とした弓を命がけで拾い、その無謀を側近に嘆かれますが、「惜しむは名のため、惜しまぬは一命」と言い放ち、「小弓が敵の手に渡り嘲笑される恥辱を避けたのだ」と、名誉を重んずる自負が人々の心を打ちます。この「弓流し」のみならず、屋島合戦には数多くの軍談が著名です。源氏・
三保谷四郎と、平家・
平景清が力業で対決し引き分けになった「
錣」の物語は能の前場で語られますし、特筆すべきは「那須〈那須ノ
語〉」。源氏の若武者・
那須与一が義経の厳命もだしがたく、平家が高く掲げた扇の的を一矢で美事に射抜く迫真の物語です。
能では、シテが扮装を替える間、前後の場を狂言役者が語リでつなぐことが多く、これを「
間語リ」と称します。狂言は単なる「お笑い」ではなく確固たる舞と謡の技量に支えられる人間ドラマですが、それとは別に能に加入して語る「間語リ」では究極のコトバの力がモノを言います。特にこの「那須」は狂言役者にとって重大な演目。「仕方話」と称して動きのある演技を伴うダイナミックな語りで、一度言い出したら聞かない義経の短気、
主命に逆らえぬ若武者の緊張、やがて夕空に
征矢一箭、ハッタとばかりに射抜かれた
紅の扇が春風に揉まれ、白波の間にサッと落ち入るまで、鍛え抜いた声の力のみで描破するのです。この「那須」は特別の機会にのみ、特殊演出として加えられます。
こうした盛りだくさんの趣向の中、能の
要となって存在感を示すシテ・義経がいかに大役であるか、ご推量頂けるでしょう。作者は世阿弥とおぼしく、雄渾無比な修辞は詩劇の最高峰というべき魅力です。
能のシテは死後の幽霊ながら、〈八島〉は大勝を描くめでたい能として、江戸時代には盛んにもてはやされました。武士たちにとって屋島合戦の義経は、「理想の名将」と仰ぐべき存在だったのです。(つづく)