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かもめアカデミー
能で読み解く源平の12人 明星大学人文学部日本文化学科教授
村上 湛
第3回 鞍馬山の大天狗
 天狗というと赤ら顔で鼻が高く……とは考えるものの、「そもそも天狗って何?」というのが皆さん一般の本音ではないでしょうか。さまざまな起源ある中、天狗像の中核をなすのは、「求法のため修学に励んだものの、みずからの自尊心や煩悩にとらわれ、かえって魔道に堕ちた僧の末路」。自尊心は知識・教養のプライド。煩悩は禁欲生活の中で封じた欲望。人として避けがたいごうが捨てきれず魔物と化すのですから、本質的にきわめて人間臭いのが天狗の本性です。
 それゆえに、能に描かれる天狗は大抵みな同じような性格。高徳の僧を魔道に引き入れようと企み、かえって手痛い失敗を喫することが普通です。
 そんな中、陰険や邪悪といった負の性格を一切持たず、偉大な神霊のようにおおきな人間愛を示す特別な大役。それが能〈鞍馬天狗〉のシテ・大天狗です。


月月岡耕漁『能楽図絵』より能〈鞍馬天狗〉
牛若丸(右)に兵法の奥義を伝授し、別れを告げようとする大天狗(左)。元服前の稚児(ちご)の髪型は愛らしい前髪立ちだが、この牛若は実戦同様の大童(おおわらわ・兜のかぶりやすい放髪)である。大天狗の突く葉付きの杖を、能では鹿背杖(かせづえ)と称する。


 都の北・鞍馬の山中。現れた山伏(前シテ)は花見の稚児ちごたちに出会う。中に、仲間と離れた稚児が1人。平家全盛のいま、寺内で孤立する源氏の御曹司・牛若丸(子方)である。山伏こそ実は鞍馬山の大天狗(後シテ)で、みずから武術を教え、牛若丸は目覚ましく成長する。軍法の秘伝を授けた大天狗は末永く守護を誓い、名残を惜しみつつ消え去る。

 鞍馬山は山伏たちの集まる山岳信仰の修行場として有名で、天狗界の首領・僧正坊そうじょうぼうは当山に住むと考えられていました。「鞍馬天狗」とはこの僧正坊天狗を指します。その中心地・鞍馬寺には、将来は出家して高僧となるべく、上流階級の子弟が幼時から師僧に仕え行儀を見習う「稚児」として暮らしていました。源氏の棟梁・源義朝が常磐御前(近衛天皇の后・藤原呈子に仕えた下級侍女)との間にもうけた子・牛若丸、後の義経もその1人と伝えます。
 平地よりも遅く爛漫の春を迎える鞍馬山は、桜の名所としても知られていました。能の舞台には、稚児役として小さな子方(幼児役者)が何人も出、この役を「花見」と通称します。いずれも権門の若君ですので、いつの間にやら花見の宴席に入り込んだ卑しい山伏は嫌われ、稚児たちは早々に退場してしまいます。
 舞台に残るのは山伏と牛若丸。「嫌われた者同士」の孤独が、2人の仲を急速に接近させます。

 中世社会で男性同士の交情「男色なんしょく」は広く認知されていました。女人禁制の寺院で稚児はその対象とされ、出家前の美少年は女装同然の美麗な姿で師僧や兄僧に仕えたのです。女人禁制という点では、戦場で命を投げ出す武家社会も同じ。12歳の世阿弥が年上の3代将軍足利義満に見出だされ、天と地ほど違う身分を超えて寵愛されたのも、この男色習俗あってのことでした。年長の「念者ねんじゃ」は自身の知識や経験を伝え、年下の「小人しょうじん」は敬愛の念を尽くしてこれに応える……男色とはこうした精神的紐帯に基づくもので、これが能〈鞍馬天狗〉における山伏/大天狗と牛若丸との強い結び付きを彩ります。

 シテと子方がいったん退場し扮装を替える間、天狗界の下っ端・木の葉天狗に扮した狂言方たちが牛若丸の修業ぶりを讃えます。やがて凛々しく登場した牛若丸は、威風堂々たる師匠・大天狗の前でこう語ります。「小天狗ども来たり候ふほどに、薄手をも斬りつけ、稽古のきわを見せ申したくは候ひつれども、師匠にや叱られ申さんと、思ひ止まりて候」……「自分の腕前を試すため木の葉天狗たちに軽傷を負わせてやろうかと思ったが、お師匠さまに叱られるからやめました」。大天狗はこの思いやり絶賛し、高祖・劉邦りゅうほうに仕えた大軍師・張良ちょうりょうを引き合いに出して牛若丸を励まします。謎の老人・黄石公こうせきこうから秘伝書『六韜りくとう三略』(俗に言う「虎の巻」)を伝授され、漢王朝開創の大業を支えた張良の故事はきわめて有名でした。能では大天狗が黄石公、牛若丸が張良に見立てられているわけです。

 「これまでなりや、御暇おいとま申して立ち帰れば、牛若、たもとにすがり給へば、げに名残あり。西海四海の合戦かせんといふとも影身を離れず、弓矢の力を添へ守るべし。頼めや頼めと夕蔭暗き、頼めや頼めと夕蔭鞍馬の、梢にかけつて失せにけり」……あらゆる軍法を教え、みずからの役を果たして消え去る大天狗。尽きせぬ名残を惜しむ牛若丸。師弟の情愛の極まるところ、能は終わります。

 全山満開の桜を強くイメージさせる美感がこの能の根柢にあります。そうした春景色を背景に、源平の人々の外側にこのような魅力的な天狗が存在した……昔の人の発想には、何とも深い含蓄があるものです。(つづく)
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【むらかみ・たたう】
明星大学教授。石川県立音楽堂邦楽主幹。財団法人観世文庫評議員。演劇評論家。早稲田大学・大学院に学ぶ。文化庁芸術祭審査委員、芸術選奨選考審査員、国立劇場おきなわ研修講師ほかを歴任。能の復曲・新演出・新作にも数多く携わる。朝日新聞歌舞伎劇評担当。日本経済新聞能・狂言評担当。著作『すぐわかる能の見どころ~物語と鑑賞139曲』(東京美術)、『村上湛演劇評論集~平成の能・狂言』(雄山閣近刊)。
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