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かもめアカデミー
能で読み解く源平の12人 明星大学人文学部日本文化学科教授
村上 湛
第4回 武蔵坊弁慶
 源平軍談の登場人物の中には正体のよく分からない人物も沢山います。その中でもまずナンバーワンの知名度と高い人気を誇るのは、何と言っても武蔵坊弁慶でしょう。紀州・熊野別当(本宮・那智・速玉「熊野権現」三社の統括職)の子と伝えられ、比叡山延暦寺に入山して修学を積み、後に源義経配下随一の忠臣として文治5年(1189年)奥州・衣川ころもがわの戦いで壮絶な最期を遂げました。
 能では、幼い牛若丸時代の義経と京都・五条橋での出会い(〈橋弁慶〉)、命運の傾いた義経の逃亡を援ける側近(〈正尊しょうぞん〉〈船弁慶〉〈摂待〉)など多くの能に登場。中でも弁慶本人が知略を尽くし危機を切り抜け八面六臂の活躍を見せるのが、後に市川團十郎家の当たり芸〈勧進帳〉に翻案されて歌舞伎界でも絶大な人気を誇る物語の原作・能〈安宅〉です。


月岡耕漁『能楽図絵』より能〈安宅〉
源義経(左)を強力(ごうりき・山伏の下僕)に偽装し、関所を越えようとする名場面。
弁慶(右)は比叡山の学僧だから剃髪の円頂たるべきところ、山伏に変装し長髪を撫で
付けた仮の姿。義経の携えた金剛杖を取り上げ、このあと散々に打ち叩くことになる。


 加賀国(現在の石川県)富樫の某《ワキ》は、源頼朝と不和になって奥州へ逃亡する義経《子方》を探索のため新関「安宅の関」を据えている。知将・武蔵坊弁慶《シテ》に率いられ、東大寺大仏再興勧進の山伏に変装した義経一行12人は関を越そうと試みるが、正体を見破られかけた主君を打ち据えてまで従僕だと言い張り、富樫を圧倒する。辛くも関を越えた一行を、富樫は謝罪の酒宴でもてなす。弁慶は得意の舞で宴席を盛り上げ、命からがら窮地を脱する。

 3げん(約5.4メートル)四方の能舞台は極小空間。登場人物はおのずから限定されます。この能では「主従以上十二人」と謡われますので、よほどの事情がない限り、シテ・弁慶、子方・義経、間狂言・強力、ツレ(同行山伏を略して「同山」と通称)9人、合計12人の旅団が舞台に出ます。対するワキ・富樫、間狂言・下人も加わりますので、この多人数をよくもまあと思うほど手際よく入れ替えつつ、起伏豊かな場面を処理してゆく演出力にはうならされます。
 弁慶は能面を用いない直面ひためん。これは「素顔が能面」ですから、舞台人としてよほどの充実を伴わないと映えません。音吐朗々たる美声を持つ偉大な風貌の能役者が演ずると、歌舞伎よりもリアルな感に打たれるものです。

 一般には能は抽象的、歌舞伎のほうがリアル、と考えられがちですが、どうでしょうか?
 この能を原作と仰ぎ、全編を長唄で綴った一幕劇(そんな前例は歌舞伎にありませんでした)〈勧進帳〉は江戸時代後期の天保11年(1840年)5代目市川海老蔵(前名7代目市川團十郎)が能の様式を採り入れて作り上げ、後に明治の名優9代目團十郎が改定して今あるかたちになったもの。そこでは、義経を打ち据える弁慶の苦衷を察した富樫がその暴力を押しとどめ、「判官殿ほうがんどの(義経)にもなき人を疑へばこそ、かく折檻せっかんをもし給ふらめ」と、涙ながらに見て見ぬふりをします。
 が、人情にほだされたこんな甘いセリフは原作の能にはありません。富樫は弁慶たちの激しい気迫にされ、思わず関の通過を許してしまう。その疑念が晴れぬまま富樫は一行を追い掛けて山中で酒宴を張り、弁慶もまた最大限の警戒を緩めぬうち、ついに虎口を脱する……弁慶と富樫と、最後まで緊張関係が解けず手に汗を握る腹の探り合いに終始する能の設定のほうが、よほど「リアル」ではないでしょうか。

 「勧進」とは宗教的な寄付勧誘のこと。奈良の悪僧(僧兵)を敵視した平家によって東大寺が焼かれ、大仏もまた破壊されました。源頼朝は新たな最高権力者として後白河法皇と力を合わせこれを再興します。莫大な費用は広く浄財を募ることとなり、そのための使者が全国に派遣されます。彼らが携えた寄付趣意書が「勧進帳」。東大寺建立の勧進山伏を名のる以上、求めがあれば勧進帳の朗読をするのは当然です。「作り山伏(ニセ山伏)」ですからそんなものなど持っていない弁慶が、富樫の面前でありあわせの巻物を勧進帳と称し、難解な名文を即興の脳内作文によって美事に読み上げる……能でも歌舞伎でもこんなふうに解釈されて、ここは弁慶役者最大の見せ場になっています。
 ところが、能本来の演出はちょっと違うのです。難解を極めた勧進帳の文章を、シテ・弁慶と9人の同山たち、合計10名もの男声合唱で連吟するのが本来の型。能の地謡(合唱隊)は通常8人ですので、それよりも強大な声のパワーです。「これではお互い示し合わせたようで変だ」との理由で、現在では弁慶個人の知略を示す演出として大半の場合は独吟に変えられているのですが、さて、どうでしょう。

 義経探索のため置かれた新関は安宅だけではありません。行く先々に同じく幾多の危機が待ち受けており、それを承知で勧進山伏に変装した弁慶が「勧進帳不所持」のまま呑気な旅を続けるでしょうか? もちろん本物の勧進帳は持たぬにせよ、文章そのものは弁慶があらかじめ偽造し同山全員が周到に暗記しているくらいでないと、「作り山伏」に変装することは不可能なのではないでしょうか
 10人の能役者による壮大な勧進帳連吟は、そうした水面下のドラマを暗示します。現在この演出が滅多に見られないとは実に残念なことです。

 〈安宅〉にはこのほかにも大小さまざまな見どころがあります。「三塔(比叡山全山)随一の遊僧」である弁慶が富樫に気を許さぬまま勇壮な[男舞]を舞い上げる最後の最後まで、能のドラマのリアルさ、奥深さを愉しませてくれる傑作。源平軍談の裏話として随一の舞台作品が能〈安宅〉であると評しても過言ではありません。(つづく)
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【むらかみ・たたう】
明星大学教授。石川県立音楽堂邦楽主幹。財団法人観世文庫評議員。演劇評論家。早稲田大学・大学院に学ぶ。文化庁芸術祭審査委員、芸術選奨選考審査員、国立劇場おきなわ研修講師ほかを歴任。能の復曲・新演出・新作にも数多く携わる。朝日新聞歌舞伎劇評担当。日本経済新聞能・狂言評担当。著作『すぐわかる能の見どころ~物語と鑑賞139曲』(東京美術)、『村上湛演劇評論集~平成の能・狂言』(雄山閣近刊)。
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