
焼きたてのパンケーキ
ラトビアは西部のクルゼメ(Kurzeme)、南西部のゼムガレ(Zemgale)、北東部のヴィドゼメ(Vidzeme)、東部のラトガレ(Latgale)、南東部のセーリヤ(Sēlija)と5つの文化的歴史的地域に分かれています。私は2022年にこのうちのひとつ、ラトガレを訪問しました。
このときの旅では、ラトガレ地方で焼かれているラトガレ陶器について知りたくなって、ラトガレ文化史博物館(Latgales Kultūrvēstures muzejs)にも行きました。ひととおりの見学を終えた後、この近くに見学できそうな陶器工房があるかを博物館の入口で質問しました。すると、その場にいた親切なスタッフがさまざまな場所を教えてくれ、おかげでいくつかの工房を見学することができたのです。そのスタッフが、ラウラ(Laura)さんでした。
2024年秋に再びラトビアを訪れることにした私は、ラトガレ地方で家庭料理を教えてもらえる場所を知りたくて、ラウラさんに聞いてみることにしました。すると早速、彼女から「アンドルペネ田舎の家博物館(Andrupenes lauku sēta muzejs)という野外博物館があるから、そこに行くと料理を教えてもらえるはずだよ」と返事がきました。
これまでラトビアの野外博物館といえば、首都のリガ(Rīga)郊外にあるラトビア野外民俗博物館(Latvijas Etnogrāfiskais brīvdabas muzejs)の存在しか知らなかった私は、地方にも野外博物館があるなら、行ってみよう」そう、心に決めたのでした。
ウェブサイトで調べてみると、取材の場合は希望する見学内容を書いて申請すると対応可能とありました。私は覚えたてのChatGPT(人工知能BOT)を使ってラトビア語で申請書を作成したのですが、あまりにも簡単にできてしまったことに不安を感じ、本当にChatGPTが翻訳したラトビア語が正しいかをラウラさんにチェックしてもらったところ、彼女の答えは「パーフェクト!」
一発でラウラさんの太鼓判を押してもらった私は、ChatGPTの翻訳力のレベルの高さを感じつつ、すぐに博物館へ申請メールを送信しました。博物館からの返事をドキドキしながら待っていると、「料理を教えることができますよ。それと、クラースラヴァ(Krāslava)にあるラトガレ郷土料理伝承センター(Latgale Culinary Heritage Center)にも行きませんか? ラトガレ地方の伝統料理を体験できます」という返信が届いたのです。
アンドルペネ田舎の家博物館とクラースラヴァまでのバスの運行時刻を調べると、遅くとも午後1時前には博物館を出ないと伝承センターのオープン時間には間に合わないことがわかりました。アンドルペネはかなりの田舎なので、バスが1日に何本も来るわけではないのです。午後1時のバスがその日のクラースラヴァ行きの最終バスです。私はその日、クラースラヴァからさらに路線バスで1時間半ほどかかるダウカフピルス(Daugavpils)の宿に向かう必要があったので、クラースラヴァに今回行くのは難しいという結論になりました。
そこで、「せっかくのご提案なのですが、バスが運行している時間にダウガウピルスに向かう必要があるので、今回はアンドルペネ田舎の家博物館だけ訪問します」と返信しました。
約束の日、私はロシアとの国境近くの街ルッザ(Ludza)を早朝に出てバスを乗り継ぎ、博物館を目指しました。博物館の最寄りのバス停に到着したのは午前9時。バス停では私しか降りず、観光名所があるような案内板もなく、普通の住宅が広がる場所です。バスも去り、心細くなるもののGoogleMapの案内を信じて、徒歩10分ほどの場所にある博物館を目指すことにしました。

アンドルペネ田舎の家博物館の看板
博物館までは砂利道、しかもかなりの急な坂道です。「勾配きついなぁ……」と顔をしかめながら坂と闘っていると、ふと斜め上から視線を感じました。竹箒を手に学校の庭を掃除していた女性が、まるで宇宙人を発見したかのような顔で手を止めて、こちらをじぃっと見ていたのです。それはそう、普段見かけない風貌のアジア人が大きなスーツケースを引きずって坂を上ってくるのですから……怪しみながらこちらを凝視する彼女の気持ちは理解できます。
ラトビアは2004年にEUに加盟し、今ではシェンゲン協定によりEU加盟国間の人の移動が自由になったため、たくさんの外国人が訪れていますが、田舎はまだまだ外国人が訪れることも少ないのです。特にアジアからアンドルペネまで来る人はほとんどいないので、彼女が驚くのも無理もありません。こちらから挨拶したら、少しは安心するかもと思って「ラブディエン!(Labdien!)/こんにちは!」とラトビア語で声をかけてみると、怪しい人ではないのかもしれないという安堵にも似たような返事があり、再び竹箒で掃除をする音が聞こえてきました。
学校を通り過ぎると、ようやく小さな木の看板が見えてきました。ほっとしながら博物館に入ると、古民家が立ち並んでいます。私のスーツケースの音に気づいたのか、古民家から女性が飛び出してきました。
「ようこそ! 」この方が、メールでやり取りしていた方のおばさまのパウリーニャ(Pauliņa)さんでした。荷物を置くために別の棟に案内してくれた後、「好きなだけ博物館を見学していてね」と、私に言い残して、パウリーニャさんはキッチンのある母屋に戻っていきました。
私がこの日訪れたアンドレペネ田舎の家博物館は、およそ100年前に建てられた民家、サウナ小屋、納屋など6〜7棟を移築して作った小さな野外博物館です。陶器の展示や鍛冶場、サウナ小屋などすべての建物を見学してから母屋の向かいの家に行くと、すでに入り口近くの暖炉の火が焚かれていました。

暖炉に入ったパンケーキ

サワークリームとはちみつ
少しすると、パウリーニャさんがボウルに入れたホットケーキの生地を持ってきました。
「暖炉で焼きますよ〜」暖炉の中には油で光った、柄のない鉄のフライパンが温められていました。パウリーニャさんは長めの鉄板掴みを器用に扱いながら、熱々のフライパンを暖炉から取り出し、その上にパンケーキの生地を落として、再びフライパンを暖炉の中に入れました。パンケーキを暖炉に入れて焼くのはラトガレ地方独特の作り方だそうです。
焼き上がったら、爽やかな酸味のサワークリームとこの近くで採れた濃厚なはちみつを、ふわふわで熱々のパンケーキにたっぷりかけて食べます。サワークリームの酸味とはちみつの甘さが見事に調和して、何枚でもおかわりしたくなってしまいました。

パンケーキを焼くパウリーニャさん
パンケーキをたらふく食べてからハーブティーをいただいていると、パウリーニャさんに「それでは、クラースラヴァのラトガレ郷土料理伝承センターに行きますか?」と誘われました。
あれ? 私はメールで「行けない」と返信したのですが、伝わっていなかったか……とクラースラヴァに行けない理由を彼女に説明すると「いやいや、私の車でクラースラヴァまで送ってあげるわよ」と言うではありませんか。それならばクラースラヴァの伝承センターに立ち寄っても、路線バスで今日の宿泊予定地のダウガフピルスに行くことができるわけです。申し訳ないと思いながら、パウリーニャさんの善意をありがたく受け取ることにしました。
クラースラヴァへは車で30分。のどかな田舎道を彼女の運転で颯爽と進んでいきます。クラースラヴァに到着し、パウリーニャさんはラトガレ郷土料理伝承センターのオーナーさんに私を引き渡して「それじゃ、またね!」と、アンドルペネへと戻っていきました。
意外なほどあっさりとした別れだったのですが、彼女のおかげでラトガレ地方独特のパンケーキの作り方を見ることができ、時間の関係で行けないと諦めていたクラースラヴァにも立ち寄って郷土料理を試食させてもらうことができました。そして、その日の夕方には予定通り、目的地のダウガフピルスの宿に到着できたのでした。
旅から戻った後、私はラトガレ地方の皆さんの真心が繋いでくれた日を思い出して、あの日教えてもらったパンケーキのレシピを家で作って食べることにしました。口に入れたパンケーキは香り、温かさ、そして味が、ラトガレ地方まで私を運んでくれたような気持ちになったのです。
アンドルペネのパウリーニャさんに教えてもらったレシピは、大切にしたい旅の思い出のひとつとなりました。(つづく)

アンドレペネ田舎の家博物館の母屋
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