バルト三国における宗教は実にさまざまです。エストニアはヨーロッパでは非常に珍しく無宗教の人々が54%とかなり多いのですが、それに続いて正教が16.2%、福音ルーテル派が9.9%います。ラトビアでは福音ルーテル派が36.2%と最も多く、カトリック19.5%、正教19.1%と続きます。リトアニアではカトリックが74.2%と多く、正教が3.7%です(出典:CIA The World Factbook 2024)。3カ国が地続きの小さな国にも関わらず、信仰する宗教がさまざまであると初めて知ったときは驚きました。
信仰する宗教は違っても、復活祭(イースター)、夏至祭、クリスマスと、キリスト教にちなんだ祭りは季節ごとにそれぞれの国で毎年欠かさず行われています。これらはバルト三国の人々にとってなくてはならない大きな年中行事なのです。ただし、例えばイースターの卵の柄やクリスマスにテーブルに並ぶ料理など、細かな部分でそれぞれ違いがあります。

懺悔の火曜日に開催されるリトアニアの祭り「ウジュガヴェネス(Užgavėnės)」
復活祭、夏至祭、クリスマスほど大々的ではありませんが、「懺悔の火曜日」という行事があります。この行事は、復活祭(イースター)から数えて46日前の水曜日、キリストが荒野で絶食を始めたと伝わる「灰の水曜日」の前日の火曜に行われます。復活祭は移動祝祭日のため、懺悔の火曜日も2月中旬から3月上旬とその年によって違いますが、当日は肉や高カロリーなものを食べて賑やかに過ごします。そして翌日の水曜日(灰の水曜日)から一変! キリストにならって断食を開始し、厳かな祈りの日々に入るのです(現在ではほとんど断食していないと思いますが……)。

エストニアのお菓子「ヴァストラクッケル(Vastlakukkel)」
エストニアでは懺悔の火曜日に、丸いパンの中にラズベリージャムを入れてその上に生クリームをのせた「ヴァストラクッケル(Vastlakukkel)」というお菓子を食べます。もともとは、脂肪分が多く甘いお菓子を食べて翌日からの絶食を耐えしのぐ、という意味があったそうです。近年では懺悔の火曜日よりもだいぶ早く、クリスマスが過ぎるとスーパーやカフェでヴァストラクッケルが並び始めます。
ちなみに、懺悔の火曜日に甘いお菓子を食べる習慣はほかの国にもあります。エストニアの北のフィンランドでは「ラスキアイスプッラ(Laskiaispulla)」、フィンランドの西隣のスウェーデンでは「セムラ(Semla)」という名の、ヴァストラクッケルと似たお菓子を懺悔の火曜日に食べます。
「では、エストニアの南のラトビアやリトアニアでは、懺悔の火曜日に何か食べるのだろうか?」と私は知りたくなりました。ラトビアをよく知る友人に聞いてみると、ラトビアでは薄いパンケーキを食べるそうで、エストニアで食べられているヴァストラクッケルのようなお菓子は見たことがないと言いました。

祭り会場で木彫りのマスクを被る人々

雪景色のサモギタン村博物館
続いてリトアニアに住む友人に質問すると、ラトビア同様、薄いパンケーキを食べるという情報とともに、懺悔の火曜日には「ウジュガヴェネス(Užgavėnės)」という祭りがあるとのこと。冬に終わりを告げて春を迎えるための祭りで、木彫りのマスクや仮装をして踊り、冬の化身をした大きな人形を焼き払って健康や豊作を願うのだと教えてくれました。しかも、「サモギタン村博物館(Samogitan Village Museum)でウジュガヴェネスがあるから連れて行ってあげるよ」と誘ってくれたのです。祭りは年に一度のチャンスです。思い立ったが吉日とばかりに、航空券をすぐに予約しました。
私をウジュガヴェネスの祭りに誘ってくれたのは、リトアニア北西部にあるサモギティヤ(Samogitija)地方の中心都市テルシェイ(Telšiai)に住むイングリダ(Ingrida)さんと夫のアウレリウス(Aurelius)さんです。サモギティヤ地方の博物館を統括する組織の副ディレクターとして働いているイングリダさんとの出会いは2年前。リトアニアの首都ヴィリニュスに住む方に料理を教えてもらったときに「リトアニアの地方にも行ってみたい」という話をしたところ、「それならば、サモギティヤ地方に行くべきだよ」と言ってイングリダさんを紹介してくれたことがきっかけでした。
初めて彼女と会ったときに私を連れて行ってくれたのが、今回の祭りの会場でもあるサモギタン博物館。19世紀後半から20世紀初頭にサモギティヤ地方で建てられた民家や馬小屋、納屋など、16棟の建物を移築した野外博物館です。
街の中心でイングリダさん夫婦の乗る車にピックアップしてもらい、車で10分くらいのサモギタン村博物館を目指しました。祭りが開催されるのは「懺悔の火曜日」の前週の土曜日。この日は特別に博物館が無料開放となり、祭りの開始時刻の午後1時を目指して人が徐々に集まってきました。車の扉を開けると、そこはひんやりとした雪景色のリトアニアでした。

焼きたてのパンケーキ

寒空の下でパンケーキを焼く
広大な敷地の奥へと足を運ぶと、たくさんの屋台が見えてきました。手作りのパンケーキやロールケーキなど、地元の人々が作ったおいしそうなお菓子ばかり並んでいます。どれにしようかなぁと屋台を前に悩んでいると、「ウジュガヴェネスではパンケーキ食べないとだめだよ!」と店のおばさんが言って、薄く焼かれたパンケーキの上にたっぷりといちごジャムが添えられた紙皿をドーンと押し付けるように渡してくれました。
イングリダさんの同行者ということだからか、値段があるのになぜかお金を受け取ってくれません。困っていると、イングリダさんにもパンケーキを受け取るように促され、ありがたくいただくことにしました。私はシャイでクールな印象のエストニア人やラトビア人と比べると、リトアニア人のどこかの親戚のおばちゃんのように熱烈で、暑苦しいところが嫌いではありません。

祭りの仮装をした人々
熱々で香ばしいパンケーキを口に入れると、氷点下5度前後の寒さに震えていた身体がたちまち温まります。雪が積もった真っ白い世界に真っ白なパンケーキの湯気がふわっと立つと、幻想的な世界に入り込んだような気がしました。背の高い木々の間の小径へと誘われるまま歩みを進めると、冬のひんやりした空気の中に天然のフレグランスさながら緑の香りが身を包み、ぜいたくな森林浴をしている気分です。

お粥を食べるイングリダさん
すると今度は、豚を丸ごと一頭入れた麦のお粥がグツグツと火にかけられている屋台に出会いました。イングリダさんが購入したお粥を少しお裾分けしてくれましたが、豚肉のいわゆる豚骨のようなコクがあり、身体の芯から温まります。エストニアのヴァストラクッケル同様、「懺悔の火曜日」の翌日の「灰の水曜日」からは絶食に備えて栄養が豊富なものを口にする、という慣習に則った食べ物が勢ぞろいしています。この日おなかいっぱいになったら、1年間は食べ物に困ることがないともいわれているそうです。
冬に終わりを告げて春を迎えるためのウジュガヴェネスの祭りで象徴的なものは、ふたつあります。ひとつ目は、鼻が大きく口は歪んでいる見た目が怖い不気味なお面をつけて仮装した人たち。ヤギや魔女や鳥の姿に扮した人もいて、会場内を異様な格好でうろついているのです。幼い子どもだったら彼らの不気味さは悪夢になりそうですが、不気味な姿をしているのは、冬を追い払うため。わざと恐ろしく醜い外見にして、彼らはずっと子どもを驚かせてみたり、道行く人々を突っついて、ちょっかいを出して前に進ませないようにしたりもしています。
ふたつ目は、藁で作られた巨大な人形「マレ(Mare)」です。マレはセクシーな女性の姿で、人を惑わせる「冬」を擬人化した存在です。マレが博物館の奥から山車のように引っ張られて広場に運ばれてくると、「ジエマ、ジエマ、ベクイシュキエモ! (Žiema, žiema, bėk iš kiemo!/冬よ、冬よ、外へ出ていけ!)」という掛け声のもと、全員がマレを囲んで踊り始めます。あれ? 日本の節分の掛け声の「鬼は外、福は内」に近い気がしてきました。

マレが燃え尽きると春が訪れる
「あなたも入って、一緒に冬を追い払うわよ! 」と知らない人に強引に手を引かれ、「あれれ」という間に、見よう見まねで私も一緒になって掛け声と踊りに加わることとなりました。そして私の声もだんだんとみんなの掛け声になじんできました。
「ジエマ、ジエマ、ベクイシュキエモ!」
輪にどんどん人々が加わり大きくなると、いよいよ祭りのフィナーレです。巨大なマレの周りに油をかけ、火をつけて一気に燃やすのです。冬を模した巨大なマレが燃え、勢いよく火柱が10mほど立ち上がりました。火柱の熱が我々の顔にも伝わってきます。マレが燃え尽きると祭りは終わって冬は去り、これをきっかけに明るい春がやってくるということになるのです。
リトアニア人にとって寒くて暗い冬は11月から3月末まで。長くてつらい冬を乗り越えるために、ウジュガヴェネスの祭りで冬と激しく闘い勝利します。それに対してエストニア人は「懺悔の火曜日」に高カロリーなヴァストラクッケルを食べて英気を養い、寒くて暗い冬をじっと耐えて乗り切ろうとします。実に対照的で興味深いのです。
私はときどき、リトアニア人の陽気さと情熱さを「バルト三国のラテン系」と形容することがあります。バルト三国最北のエストニア人と比較すると、リトアニア人はいつだって表情豊かでアツいのです。そして私は彼らのアツさを感じたいがために、何度もリトアニアを訪れているような気がしてなりません。(つづく)
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