第4回 マナーハウスが教えてくれたこと《ラトビア》
ラトビアの首都リガ(Rīga)から北東へおよそ90km、バスに揺られて2時間後に私が降り立ったのはツェーシス(Cēsis)という街です。ここは13世紀後半からある街として知られ、14世紀以降はハンザ同盟都市として貿易の中心的役割を果たしていました。
街の中心には、ドイツ十字軍が13世紀前半に建築開始したツェーシス城(Cēsu pils)があります。城は紆余曲折の歴史をたどり、崩壊と再建を繰り返しました。その後、1777年にシーバース(Sievers)伯爵がこの城を所有。その際に、彼の邸宅が城の東側に建てられました。この建物は1949年から歴史博物館と美術館として利用されています。城の周りにはツェーシス城公園が作られ、庭園の面影を再現した風光明媚な場所となっており、ここを中心に街が広がっています。
私がツェーシスを訪れた理由は、豆のペーストや惣菜を製造販売している方を取材するためでした。しかし、その方が急に体調を崩してしまい、取材ができなくなってしまったのです。
旅先での突然の予定変更ですが、私は少し変わった性質を持っているかもしれません。どのように対処するかを試されているような気がしてがっかりするよりも、むしろワクワクしてしまいました。幸いこの旅ではツェーシス駅近くのマナーハウス(荘園)に泊まることにしていたので、マナーハウスでの滞在を楽しむことに舵を切りました。

ルッカスマナーハウスの外観
マナーハウスとは、貴族や領主が自身の所有する広大な土地(荘園=マナーハウス)に建てた邸宅のこと。今もラトビアには1000以上ものマナーハウスが存在します。ドイツ、ポーランド、スウェーデン、ロシア帝国、ソ連と、時代とともに支配する国が変わっていったラトビアではその都度、マナーハウスの持ち主が変化していき、現在ではレストラン、学校、博物館や宿泊施設など新たな用途で使われている場所が数多くあります。旅行者にとってマナーハウスに泊まることはそれほど難しいことではなく、宿泊施設さえあれば、宿泊予約サイトから予約ができます。
私が予約をしていたルッカスマナーハウス(Ruckas muiža)は1577年に建てられました。「ルッカス」とは、1584年にこのマナーハウスを所有したポーランドの貴族の苗字「ルツキー(Rutzky)」に由来しています。1919年にラトビアがロシア帝国から独立し、まもなくソ連に占領されたため、マナーハウスは国有化され、鉄道駅となったり、敷地内に結核病院が設置されるなど、時代とともに用途が変化していきました。
芸術家の人々が使うアートレジデンスとして利用されていた2016年に火災に見舞われ、それ以降は利用されることはなくなっていましたが、再び転機が訪れたのは2023年。公益団体のライブ・ラトビア(Live Latvija)と実業家のレナルス・スプロギス(Renars Sproģis)氏の管理のもと、レストラン、イベントホール、宿泊施設、展示施設として再び利用されることとなったのです。

ルッカス公園を通り抜けてマナーハウスへと向かう
宿泊予約日の午前11時ごろ、私はマナーハウスの入り口に到着しました。入り口とはいえ、建物の前ではなく古びた門の前です。門から先はルッカス公園(Ruckas Park)という公園の敷地となっているため、誰でも入ることができます。
ちょうど10月中旬の紅葉の季節だったため、門から公園へと続く一本道には、オークの木の落ち葉が重なり合い、黄色い絨毯の上を歩いているような気分になりました。建物までは歩いて5分ほど。T字路を右に曲がると、車が走る世俗的な音が完全に消えました。
門から続く一本道はテーマパークのようにきれいに整備されてはおらず、縁石が崩れ、舗装も割れている状態が、逆にリアルに歴史を感じさせてくれます。
重いスーツケースを引きずりながら車の轍(わだち)の凹凸を感じると「昔はこの道を馬車が通ったのだろうな」と考えると、脳内には馬の爪音が響き渡り、貴族たちが馬車に乗ってこの道を通っていった時代にタイムスリップしてしまいそうな感覚になりました。
やがて、薄ピンク色の建物がひっそりと佇んでいる様子が視界に入りました。マナーハウスの建物です。壁の薄ピンク色が少し剥げていて、少々痛々しい印象を受けました。しかし、ラトビアの古い建物はマナーハウスに限らず、外側はぼろぼろでも内装は美しくリノベーションされているケースをたくさん目にしてきたので、取り立てて驚くことはありません。
モスグリーンのドアを開けると、天井が高く木の温もりを感じるドアと同じモスグリーンのエントランスホールが目に飛び込んできました。しばしエントランスの内装をぐるりと眺めていると、大きな植木鉢を抱えた男性たちがエントランスを出入りしています。何かイベントがあるのかと思いながらその様子を見ていると、スタッフの一人が私に気づいてくれました。
「寒くなるので冬を越せるように植物を室内に移動させているんですよ。部屋は準備していますので、2階に行きましょう」と、チェックイン時間の午後3時まではまだ時間があるのに、部屋へ案内してくれました。私のスーツケースを軽々と2階まで運んでくれたのは、大きな植木鉢を運んでいた先ほどの屈強な体格の男性です。
部屋まで案内をしてくれたスタッフに、予定していた料理の取材がなくなってしまったので早く来てしまったことと、このマナーハウスでゆっくりじっくり過ごしたい旨を話すと、「夕方に1階のキッチンの案内をしますよ。今日の宿泊はあなただけなので、鍵がかかっていない部屋は全部開けて見ていいですよ」と言ってくれたのです。

客室
「なんと、今宵ひとりきりでマナーハウスに泊まるの! そのうえ各部屋を見ることができるだなんて、うれしすぎるでしょ! 」
高揚する気持ちと、古くて大きなマナーハウスに私だけが泊まるのは不安になり、そのふたつが入り混ざったなんとも表現できない気分になりました。それでも部屋に荷物を置くや否や、私は他の部屋の探索を始めました。全部で客間は6部屋あり、どの部屋もピンク、ブルー、グリーンなどの色でトータルコーディネートされています。装飾がばっちりあるゴージャスな家具や小物で華やかです。
ふと部屋の窓から外を眺めると、庭は茶色から黄色までの落ち葉のグラデーションで鮮やかに彩られていました。窓を通して差し込む秋の光は柔らかく、自動車や人の声すら届かない、なににも邪魔されない静寂な時間と歴史を感じる空間がそこには広がっていました。貴族はこの日射しを眺めながら、日々をどう過ごしていたのだろうか――と再び遠い昔に思いを馳せてしまいました。
泊まる部屋の隣には住み込みで管理しているスタッフと猫が暮らしているそうです。そういえば、エントランスを入ったとき、階段の上段から私を見下ろす猫がいたのを思い出しました。

マナーハウスの看板猫
キッチンを見せてもらう約束した夕方までの時間、日本から持ってきた本を読み進めようと、本を片手にマナーハウスの外に出ると、10月中旬のひんやりした空気が私の体を優しく包みました。
裏庭まで歩くと、リンゴの木が数本植えられていました。わずかに残っている黄色いリンゴを鳥たちが突いています。そういえば、ラトビアだけでなく、エストニアやリトアニアでも、「冬に餌がなくなって困った鳥のために残しておくのよ」と言って、庭になったリンゴの実を全部収穫せずに少しだけ残しておく人がいました。本当の「豊かさ」とは、他者のために「分け与える」という心の余裕ではないか……と思いながらも、「リンゴを採り尽くして全部食べてしまいたい」と考える自分の卑しさに呆れてしまいます。
太陽がやや傾いたころ、エントランスの前にいる猫に挨拶をしながら建物に入ると先ほど案内してくれたスタッフのマルガリータ(Margarita)さんが待っていてくれました。「ここのレストランの名物はピザなので、まずはピザを召し上がってみませんか? そのあとにキッチンを案内しますよ」
エントランスの奥にあるのがマナーハウス内の「トラットリア(Trattria)」という名前のイタリア料理のレストランです。どれでも好きなピザをオーダーして欲しいというではないですか……せっかくの善意に応えるほうがよいのだろうかと「モッツァレラとツナのピザ」をお願いすることになりました。

植物に彩られたレストラン
ピザが出来上がるのを待っている間、マルガリータさんにこのマナーハウスの話を伺いました。2023年10月から営業が始まり、少しずつリノベーションをしながら徐々に使える場所を増やしているそうです。この場所を人々にとって心地よい場所にすることを目指していると教えてくれました。
チェックインをするときに私が見た植物は、近隣の人々に「あなたの家にある不要な植物をください」と声を掛け、人々からの善意で集められたものだそうです。それらを客室、レストランやホールに配置して緑に囲まれた空間を演出しています。お金を使わずとも、心地よい空間は唯一無二の存在となりつつあります。限られた人しか入ることができなかったマナーハウスにさまざまな形で関わることで、近隣の人々にとってもこの場所が確実に身近な存在になっているようです。

焼きたてのピザ
アツアツのピザがテーブルに運ばれてきましたのでさっそく頬張ると、もっちりした生地です。東京のピザの専門店で、同じような生地のピザを行列に並んでようやく食べたことを思い出しました。日本で食べるピザとの大きな違いは、モッツァレラチーズが想像以上にたくさん載せられ、ずっしりと重いこと。2切れ食べたところでおなかいっぱいになるほどです。ラトビアでいちばんおいしい本格的なナポリピザを提供するレストランだと確信しました。
「イタリアのピザ店で働いたシェフにナポリピザの作り方を教えてもらって、天然酵母からピザ生地を作っているんですよ。それではキッチンに行ってみましょう」
マルガリータさんの案内でキッチンに入ると、ピザを焼く大きな釜が鎮座しており、450度で熱された部屋はいるだけで汗が吹き出しそうです。そんな暑さの中、シェフのカスペルス(Kaspars)さんがさわやかな笑顔で出迎えてくれました。
「食だけでなく、いろんなことに気持ちを込めることが大事なんだ。ピザを作るときは必ず笑顔でね! 」
最高のピザの秘密。それを私はラトビアで知りました。
キッチンから出ると、スタッフが廊下の天井から落ち葉を糸で吊り下げていました。まるで落ち葉のシャンデリアのようです。高価なインテリアを買わなくても、庭にある無数の落ち葉を使うことで美しい秋を演出できるのです。斬新でかつ素晴らしいアイデアに感心している私の様子を見て、「すごいでしょ! このアイデアは彼女が提案してくれたのよ」
マルガリータさんは落ち葉のシャンデリアを作ってくれた同僚を讃えていました。
翌日、私はチェックアウトをして、マナーハウスを後にしました。黄色いナラの木の落ち葉で敷き詰められた道を歩きながら、マナーハウスの外へ出る門へ向かいつつ「ありがとう」と心の中でつぶやき、私は次の目的地へと向かったのでした。(つづく)
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