森と湖に囲まれた豊かな自然と、中世の面影を残す美しい町並みが残るバルト三国――エストニア、ラトビア、リトアニア。バルト海の東岸に並ぶこの3つの国にひとり飛び込んで、そこで出会ったおいしいものや人々の暮らし、文化を発信している佐々木敬子さん。そんな彼女の旅はなぜかいつも笑いとハプニングがいっぱい! おいしいものを探す旅は、ガイドブックには載っていないバルト三国の素顔に出会える旅でもあるのでしょう。佐々木さんのバルト三国ひとり旅のエピソードを綴る新連載の始まりです。
アコーディオン工房を営むアウリマスさんのご両親が夏に過ごすサマーコテージ
夫婦二人でアコーディオン工房を営むアウリマス(Aurimas)さんと出会ったのは、2023年の夏。在日リトアニア大使館のスタッフの方の薦めで、中南部の都市ビルシュトナス(Birštonas)を取材旅行で初めて訪れたときのことでした。リトアニア第二の都市カウナス(Kaunas)から南におよそ30km離れた場所にあるビルシュトナスは、保養地として知られる街。ミネラル豊富な水が湧き出る土地ということから、その水を利用したサナトリウムやスパ付きの宿泊施設が数多くあり、ヨーロッパそして世界各地からたくさんの人々が心身ともに癒されに訪れます。
アウリマスさんの工房があるのは、このビルシュトナスの街の中心部から車で10分ほどの場所に位置するシレネイ(Šilėnai)村です。工房の隣には、アウリマスさん夫婦の両親家族のサマーコテージがありました。彼らは夏(5月~9月中旬)の間だけこのサマーコテージで過ごし、それ以外の季節はビルシュトナスの街で暮らしているのです。
シレネイ村を訪問してからきっちり1年後の2024年夏、私はもう一度この村を訪れました。それがちょうど365日ぶりだったことに気づいたのは私ではなく、アウリマスさんのフェイスブックのお知らせ機能でした。シレネイ村訪問1周年記念を教えてくれるなんて、さすが現代の便利ツールです。
1年前と同じようにすがすがしい青空の日。村に到着して車から降りると、夏の日差しが強いせいか、少し湿った草の香りが歩くほどに強くなりました。深呼吸をすると新鮮な空気を身体いっぱいに取り込めた気がしてうれしくなりました。でもそれ以上にうれしかったのは、アウリマスさんの両親の元気そうな笑顔です。1年ぶりに訪れた私を温かく迎えてくれました。

アウリマスさんのご両親
あいさつの後はさっそくランチの準備です。聞くと夏の間の晴れた日はほとんど外で食事を食べるそう。アウリマスさんのお母さんは、庭に置かれたガーデンテーブルにランチを作るための調理道具を慣れた手つきで準備していきます。

パンケーキの生地を焼く
「さあ、今日は畑で採れたズッキーニのパンケーキを作るわよ!」
お母さんはズッキーニとニンジンをチーズおろしですりおろし、青ネギとディルを切りながら、アシスタントと化したお父さんに卵や小麦粉を家のキッチンから持ってくるよう手際よく指示します。料理に使うのは、すべてこの庭で採れた野菜というのだからうらやましくなります。
野菜の中に小麦粉と卵を混ぜて生地が野菜全体にまとわりついたら、熱したホットケーキプレートの上にその生地を落として上下のプレートで挟んで焼きます。日本のお好み焼きとは違い、ハート型の縦10cmくらいの薄いパンケーキの出来上がりです。ハートはとんがった場所を中心にクローバーのような形になっているので、1度に5枚焼くことができ、それをみんなで分け合って食べます。

焼き上がったパンケーキを皆で分け合う

サワークリームに塩、こしょう、パセリ、ニンニク、タマネギを混ぜたソース
香ばしいパンケーキの香りに釣られて、夏休みでサマーコテージに来ていたアウリマスさんの10歳の娘さんもランチにやってきました。3世代そろった庭のランチの始まりです。初めて食べたズッキーニのパンケーキはサクサクしていて、軽い口当たり。それにサワークリーム、塩、こしょう、パセリ、ニンニク、タマネギを混ぜたソースを好きな分だけたっぷり載せて食べるのですが、これがまた、おいしいこと! 気づけば私は次から次に口に入れているではありませんか!!
外で新鮮な空気を吸いながらみんなと同じ釜の飯……いや、同じプレートのパンケーキを食べることがこんなにおいしいものなのかと、久しぶりに屋外での食事を満喫しました。

写真左から、アウリマスさんの娘さん、アウリマスさん、アウリマスさんのお父さん
ランチが終わると次はデザートタイムです。すると、アウリマスさんの義理の両親が向かいのサマーコテージからやってきました。アイスクリームや庭で摘んだカゴいっぱいのラズベリーを抱えての登場です。夏の日照時間が15〜16時間と長いリトアニアでは、日光をたっぷり浴びたラズベリーは夏の人気フルーツです。アイスクリームとラズベリーを一緒に食べると口の中で甘味と酸味が相まって、贅沢なスイーツに変身します。
今度は、アウリマスさんのお父さんがどこからか長い棒のようなものを持ってきました。これからいったい何が起こるのか気になっていると、手に持っていたのは高枝切りバサミ。庭いっぱいに実っているリンゴの収穫が突然始まったのです。聞けば、リンゴが大豊作でとても困っているそう。どうやらリンゴは2年ごとに多く実をつけるようで、私が訪れた年は豊作の年なのだとか。リンゴ好きの私からすると、うらやましい話です。

豊作のリンゴ
樹齢36年になる20本のリンゴの木は、アウリマスさんの両親がこのサマーコテージを建てたときに植えたもの。最初は20個ほどしか実をつけなかったそうですが、年を経るほどに数は多くなり、とうとう今年は家族だけでは食べきれないぐらいの量になってしまったそうです。ふと、36年前になぜこんなにたくさんのリンゴの木を植えたのか気になって尋ねると、「植えたときは膝の高さくらいだったのよ! リンゴに悩まされることになるなんて、ほんとに想像できなかったの!」とお母さん。その悲鳴にも似たひとことに、その場にいた全員が爆笑しました。
おなかいっぱい食べた後、食後の運動代わりにアウリマスさんとお父さんの案内で、彼らのサマーコテージの前を通る村のメインストリートを散策しました。と言っても家を出てから真っすぐ歩いて4軒ほど通り過ぎたところで行き止まりです。あっという間に村の端まで来てしまいました。仕方がないので引き返し、ゆっくり歩きながらアウリマスさんの両親の庭に近づくと、大量の小さなオレンジの実をつけた背の高い木が庭にそびえていることに気づきました。

小さなオレンジの実をつけたナナカマドの木
「あの木はね、ナナカマドだよ。リトアニアではナナカマドには『家が繁栄する』という意味があるんだ」。お父さんはそう教えてくれました。
サマーコテージの庭にナナカマドを植えたころ10歳だったアウリマスさんはいつしか大人になって結婚し、彼の娘も10歳に成長しました。そして、アウリマスさんの妻の両親もこのメインストリートを挟んで向かいに住むようになりました。夏の日の午後、家族は庭に集まり、庭で育った食材で作られた料理をみんなで囲み、話に花が咲く……。ナナカマドに込めたお父さんのあのころの願いは今、見事に叶っています。
そんなお父さんの次なる願いは、冬の間に食べきれなかった大量のリンゴを全部載せ、春になったら一気に捨てられる大きなワゴン車に乗り換えることだそうです。(つづく)

村のメインストリート
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