× close

お問い合せ

かもめの本棚に関するお問い合せは、下記メールアドレスで受けつけております。
kamome@tokaiedu.co.jp

かもめの本棚 online
トップページ かもめの本棚とは コンテンツ一覧 イベント・キャンペーン 新刊・既刊案内 お問い合せ
美しいくらし
わたしのバルト三国ひとり旅 旅する食文化研究家
佐々木敬子
第6回 森の家とバターケース《リトアニア》
リトアニアには、主要な街にインフォメーションセンターがあります。そこには旅行者に必要な情報があり、窓口のスタッフもその地域に関して詳しいので、道中で困ったときには立ち寄ることにしています。
リトアニア中部の都市パネヴェジース(Panevėžys)に到着し、コンビニでスマートフォンの通信・通話のためのSIMカードを買ったものの、インターネットに繋がらないという問題を相談するため、インフォメーションセンターに入ったときのこと。2人のスタッフのうち、英語を操るアグネ(Agnė)さんがSIMカードを起動させる解決策を教えてくれました。彼女はその後、インフォメーションセンターを辞めて転職しましたが、パネヴェジースに立ち寄るときはアグネさんに会ってリトアニアのおすすめ情報を聞くことが、恒例のようになっています。

陶器工房「アマトゥ・カルネリス(Amatų kalnelis)」(写真手前)と母屋

昨年の8月にパネヴェジースを訪れた際、いつものように彼女におすすめの場所を尋ねると、「アニクシチェイ(Anykščiai)という街は周囲に自然が多く、癒しの場所としてリトアニア人に人気があるんですよ」と教えてくれました。それを知ったら、行きたくなるのが私の性分。運よく空いていた日があったので、急きょアニクシチェイに向かうことしました。
パネヴェジースから路線バスで約1時間半。アニクシチェイの小さなバスターミナルに降り立つと、早速インフォメーションセンターを発見。そこで観光地図をもらい、行きたい場所をいくつか見つけてマークをしました。

工房のオーナーのレナタさん

翌日はそのうちのひとつ、陶器工房の「アマトゥ・カルネリス(Amatų kalnelis)」へ行くことに決め、街の中心からタクシーで向かいました。車を走らせることおよそ15分、そこは森の中の未舗装の道でした。あまりに田舎のため電波がなく、スマートフォンで現在位置を特定することができません。工房への行き方がわからず、とうとうドライバーさんが車から降りて、近くの家の人に場所を聞くことになりました。
何軒か訪ね歩いて、ようやく工房の場所がわかる人が見つかったと言いながらドライバーさんが戻ってきたのは、それからしばらく経ってから。タクシーを停めた場所からもう少し先に進むと行き止まりの道の向こうに小川があり、その向こうの小高い丘に陶器工房がある、と教えてもらったそうです。そこで行き止まりまでタクシーで向かい、そこからドライバーさんと一緒に小川を渡り、丘を駆け上がって陶器工房の敷地に入っていきました。

すると、正面のエントランスから入らなかったためか、「いったい誰がうちに来たの!」と、まるで不審者を見つけたように母屋から家主の女性が勢いよく飛び出してきました。彼女がこの工房のオーナーのレナタ(Renata)さんでした。
私が日本から来たこと、リトアニア文化に興味があること、そしてリトアニアで自分のお皿を作ってみたかったことを話すと、「たった2日前まで日本人とリトアニア人のカップルがここに泊まっていたのよ。人生であなたが2人目の日本人よ!」とうれしそうに語り始めたではありませんか。そして、藁葺き屋根の伝統的な建築方法で建てられた母屋、サウナ小屋、陶器工房の棟、その上のフロアにある宿泊客用のベッドルームを案内してくれました。

可愛らしい装飾の施された窓枠、茅葺き屋根、そして木のテーブルと時代を感じさせるベンチが置かれた玄関ポーチ……どこを切り取っても絵になるような情景です。
レナタさんは15年前にこの土地を見つけ、茅葺き屋根の伝統建築を建てられる職人を探し、母屋やサウナ小屋、そして陶芸工房を建てたそうです。平日はパネヴェジースで仕事をしつつ、週末だけこの森のコテージに来て陶芸のワークショップや宿泊施設の運営をしています。ひとりでコテージを作る財力があることはもとより、彼女の実行する熱意にも圧倒されました。
陶芸のワークショップには事前準備が必要なので、残念ながら今回は作れないけれども、必ず次のリトアニアの旅でもう一度訪れて陶器を作りたい……レナタさんにそう伝えてから、彼女が作った陶器のパンジー柄の洗剤スタンドを出会いの記念に購入し、森のコテージを後にしました。

やがて季節は夏から秋となり、再びリトアニアに訪れることとなった私は、11月最初の週末にレナタさんの森のコテージに滞在できることになりました。
パネヴェジースでレナタさんにピックアップしてもらい、車でおよそ1時間弱。森のコテージに到着すると、レナタさんは1週間ぶりに訪れた母屋の中を整えるため、床に溜まったちりやほこりを拭き取り始めました。ひと通り掃除を終えたら、今度は母屋の隣にあるサウナ小屋の裏から、白樺の木で作られたカゴに薪を入れて家に運んで来ました。そして休む暇なく、リビングにある立派な暖炉で火をおこし始めました。
街で買った食材を冷蔵庫の代わりに裏のベランダへ置いた後は、飲料水の確保です。蛇口から出る水は錆が混ざっているので、洗い物やシャワーには使えますが、飲料水には適していません。そのため大きなタンクをレナタさんと私の2人で持って、裏の小川に流れている水を汲みに行きました。

リトアニアの11月は午後5時少し前に日没を迎え、日を追うごとに加速度を増して太陽が沈む時間が早くなります。さまざまなことをしているとあっという間に暗くなり、加えて森には街灯ひとつありません。外が明るいうちに終わらせるべきことを森に住む人々はわかっているのだと、私は外が真っ暗になってから理解しました。

夕食を軽く済ませると、レナタさんの慣れた手つきによってリビングのソファがベッドに早変わり。滞在中はこのソファベッドで私が寝させてもらうことになり、レナタさんは就寝のために2階の部屋へと上がっていきました。
ひとりになってソファベッドに横たわると、周囲はシーンと静まり返っています。なんの物音もしないというこの状況に、都会で生活することに慣れきっている私は、落ち着くというよりも、そわそわしてしまってなかなか眠りに着くことができません。ウールの布団を被ってしばし天井を仰いでいると、暖炉の火が消えてもかなり長い間じんわりと暖かさが残っていて、電気とは違う、火が作り出すパワーを感じます。それでも次第に外の気温がぐんと下がってきたようで、やがてその冷たさは窓ガラスに伝わり、室内の暖かさと外気温が混ざり始めました。だんだんと寒さを顔に感じ始めたところで、私はどうやら寝てしまっていたようです。

翌日は朝から雨模様。午前7時半ごろに薄明るくなってきて、私は寝ていたソファベッドからゆっくりと起き上がり、少しずつ行動をし始めました。窓からリビングに入る光は厚い雲に覆われているためか、柔らかく差し込みます。ふと、窓にかけられた短く白いレースのようなカーテンが気になりました。よく見ると布ではなく、紙のカーテンです。続いて気になったのは、紙のカーテンの隣の壁に飾られた木彫りの天使の絵でした。真っ白い服を纏(まと)った天使は読書中か、はたまた瞑想中なのか……陰影のある彫りから奥行きが感じられ、角度によってさまざまな表情を見せるのです。見れば見るほどますます気になって、しばらく眺めていました。

レナタさんが作った猫型の調味料ケース

リビングにはほかにも、椅子やテーブル、木彫りの鳥の置物、ソダス(麦わらでつくられたシャンデリアのような伝統的室内装飾)、小さなスツールチェア、陶器など、丁寧に作られた工芸品が何げなく置かれています。だんだんと外が明るくなるに従って、これらがはっきりと見えるようになってきました。なぜか、土や木、紙、藁などの自然の素材で作られたこれらの品々が私の心を穏やかにしてくれます。朝の柔らかい光に照らされた工芸品は、古い工法で作られた木の家にすっと馴染んでいるからでしょう。

午前9時ごろになってレナタさんが2階の寝室からリビングに降りてきました。
「どのカップで飲みたい?」レナタさんは朝のお茶を淹れてくれていました。リトアニアに限らず、お隣の国(ポーランド)のカップなど、さまざまなカップが置かれたコンパクトな食器棚から、私は小さめの紺地に白い水玉柄のポーランド陶器を選びました。下膨れのぽってりとした厚く丸いカップに入れただけで、お茶がいつもより香り高く、温もりが長続きしているように感じました。

ワークショップの作品

ゆっくりと朝のお茶を楽しんだ後に工房に移動して、午前11時から陶芸ワークショップが始まりました。参加者は私のほかに、事前に申し込んでいたリトアニア人の5人家族のグループでした。私は楕円のドーム型で下に受け皿があるバターケースを、手びねりで作ることにしました。形が出来たら、次は模様を描いていきます。私は今回の旅でたくさん見た、ナラの木の葉っぱとドングリをバターケースの蓋部分に描くことに決めました。
この日に作った作品は乾燥させてから好みの色の釉薬を塗り、高温で焼いて完成です。残念ながら滞在中に完成させることはできないので、その後の作業はレナタさんにお願いすることになりました。いわば、レナタさんと私の共作です。私が形づくったバターケースに彼女はどんな色を付けてくれるのだろうか。それもまた楽しみになってきました。

ワークショップが終わった後、レナタさんとワークショップに手伝いに来てくれたアシスタントのアスタ(Asta)さんと3人で夕食を共にしました。アスタさんが夕食用に鍋ごと持参したビーフシチュー、レナタさんはおろしたジャガイモをオーブンで焼いたもの、私はカレーライスをテーブルに並べて三者三様の料理を楽しみながらささやかな宴が繰り広げられました。

レナタさんが作ったマグカップ

すっかり日が落ちたころ、アスタさんは迎えに来た夫と一緒に帰宅し、再びレナタさんと私の2人だけになりました。間接照明に照らされた壁の絵を再び見ると、何枚かの木を合わせた箇所に少しだけ隙間があります。湿度による形状変化か、はたまた元からなのか……。絵の中の天使の白い服は丸みを帯びていますが、彫刻刀で削られたからか、表面は微妙にいびつです。窓に吊るされた紙のレースカーテンは、よく見ると紙に折り目がついており、模様の大きさが少しずつ違います。どうやら切り絵のように、折り重ねた紙をカッターやハサミで切り抜いて模様を描いているようです。
大きさの違うその模様を見ながら、紙のカーテンを作っている人を想像しました。
「いい味出てるなぁ……」人の手で作られたものには、いびつな線や歪みがありますが、それがなぜか心地よくあたたかみを感じて、私は心惹きつけられました。

翌朝、レナタさんが作った「Huggy(ハギー)」というマグカップを選んで、ホットミルクを飲みました。丸みを帯びたカップの「胴体」に、まるで万歳をしているかのような「両手」の取っ手が付いた、ユーモアたっぷりのマグカップです。ホットミルクの中にはちみつを入れ、両手でマグカップを包み込みながらミルクを口に含むと、気のせいかいつも飲むホットミルクよりも濃厚な味わいに感じられました。このマグカップもまた、人の手から心を込めて作られたものです。森の火が、土が、水が、空気が、人の手が、ミルクの味を作っているのでしょう。

私が作ったバターケースとの再会はもう少し時間がかかりそうです。でも、むしろそれがいいのです。バターケースはリトアニアの森の家にもうしばらく滞在していてほしい。心からそう思っています。(つづく)


★「エストニア料理屋さん」のホームページはコチラ⇒
★バルト三国の情報サイト「バルトの森」はコチラ⇒
◎佐々木さんのインタビュー記事「キッチンで見つけた素顔のエストニア」はコチラ⇒
ページの先頭へもどる
【ささき・けいこ】
旅する食文化研究家。料理教室「エストニア料理屋さん」、バルト三国の情報サイト「バルトの森」主宰。会社員時代に香港駐在を経験したのち、帰国後は会社務めの傍ら世界各地を旅して現地の料理教室や家庭でその国の味を習得。退職後の2018年からエストニア共和国外務省公認市民外交官としての活動を始め、駐日欧州連合代表部、来日アーティストなどに料理提供を協力。企業、公共事業向けレシピ開発やワークショップ、食文化講演なども行う。著書に『旅するエストニア料理レシピ』、『バルト三国のキッチンから』(産業編集センター)。
新刊案内