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食べるしあわせ
旅して、食べて、イタリア フリーマガジン『イタリア好き』編集長
松本浩明
最終回 ミラノの伝統的クリスマス菓子

イスキア島の玄関口、イスキア・ポルト

ナポリ湾に浮かぶいちばん大きな島イスキア。
ナポリ港からフェリーで約1時間(フェリーの種類によっても時間は異なる)。何度か訪れたことのあるプローチダ島を過ぎて、玄関口の港イスキア・ポルトに初上陸したのは、2024年5月17日だ。

フリーマガジン『イタリア好き』vol.58夏号でパネットーネ特集を組んだ。
日本でもにわかにブームになりつつあるパネットーネ。イタリア各地の職人を訪ねて、その奥深い魅力と秘密を探ってみた。いくつかのリクエストを伝え、パネットーネに詳しい女性にコーディネイターにお願いして、取材先の候補リストを挙げてもらった。そのリストには、どんな経歴の職人で、大会でどんな賞を取ったかなども記されていた。

パネットーネは、北イタリアのミラノ発祥で、伝統的クリスマス菓子として知られている。その伝統は今やイタリアでも全土に広がっていて、シチリアにも、南イタリアのプーリアやバジリカータ、カンパーニアにも、すばらしい職人がたくさんいることを認識させられた。そのなかから取材する職人を厳選し、パネットーネの父といわれるマエストロと発祥の地ミラノのベテラン2名、それに南イタリアのカンパーニアとプーリアの若手3名を取材先に決めた。
3人の若手は、申し分のない実力に比例するように、“個性も強い”とのことだった。「地元のもの」ではない食文化に挑戦し、賞レースで勝ち上がるだけの力を付けている彼らは、それ相当の覚悟でパネットーネに打ち込んでいるはずだろう。その中の一人がイスキア島のアレッサンドロ・スラマだ。

地元の常連客で賑わうアレッサンドロの店

パンやピッツァ、惣菜などが並ぶ店内


伝統的クリスマス菓子と南の島、どうもイメージがしっくりこない。しかも取材が5月だったこともあり、島はもう夏だった。フェリーの玄関口のイスキア・ポルトからほど近いところに店はある。アレッサンドロが迎えてくれた。ちょうどランチタイムも終わりかけの頃で、忙しさも一段落していたようだった。店はおじいさんの代から数えて彼で3世代目になるパン屋だが、ピッツァや惣菜も売っていて、店内で食べることもできる。地元の人にとっては便利な店だろう。
「小さな頃から粉まみれだったんだ。パン作りは遊び感覚で楽しんでいたよ」というくらいだから根っからのパン職人かと思いきや、高校を卒業したときには警察官になる道に進むも、結果的に20歳でパン屋を継ぐことに決め、各地で修行をしてから、パン職人として働くようになったという。

やがてパン作りから発酵の世界に深く足を踏み入れ、2007年に50個のパネットーネを作ったところから、アレッサンドロはパネットーネの沼へとのめり込んでいくようになった。島を離れてイタリアスイーツ界の巨匠ローランド・モランディン氏に師事し、パネットーネの命ともいわれる基本のリエヴィト・マードレ(天然酵母)の製造と管理から、パネットーネの製法まで、みっちり鍛えられた。

イスキアからの挑戦


生地全体にカカオを混ぜてチョコチップを入れることで、水分調整が難しく、パサついたり、ダレたりしやすいチョコレートのパネットーネ。それをしっとり、縦に割けるように焼き上げるのはアレッサンドロの技術力の高さにほかならない

「心にイスキアの魂を持って旅に出て行ったんだよ」と、先代でマンマのアンナマリアさんは、覚悟を胸に島を出て行ったアレッサンドロの当時を振り返った。彼のパッシオーネと弛まぬ努力は実を結び、見事にパネットーネ・ワールド・チャンピオンシップの初代チャンピオンに輝いたのだ。南イタリアのイスキア島の職人が、北イタリア、ミラノの伝統菓子のチャンピオンになったことで話題は駆け巡り、一躍注目されるようになった。
しかし、アレッサンドロの目的はチャンピオンになることだけでは無かった。彼には心に秘めた島への強い思いがあったのだ。

観光業が盛んなイスキア島だが、ハイシーズンは春から夏の4カ月と短い。その間に島民は観光客相手に商売に勤しむ。ところが総合大型リゾートが出来てからというもの、多くの観光客は施設内ですべてを完結させてしまうため、島民の収入が減って生活が厳しくなっているという。
地元民を相手にしているアレッサンドロだから実感として分かるのだろう。だからこそ、イスキア島の実力派パネットーネ職人となって名前を売ることで、さまざまな可能性や選択肢が生まれると考え、真剣にパネットーネと向き合った。そして先の大会の後も、いくつもの大会で実力を発揮して賞を獲り、今では10カ国ほどに輸出するまでになっている。しかし、その程度では島へ人を呼び込むにはまだまだ足りないのだとアレッサンドロ。

写真左からアレッサンドロ、マンマのナポレオーネ・アンナマリアさん、妻のキアラさん


店は、朝食から夕食まで休み時間なく営業している。マンマ、奥さん、娘たち家族皆でやっている店に、客が絶えることはない。そして店じまいは夫婦二人で行う。朝から晩まで働き通しだ。
人と会うことと、新しいアイディアに挑戦するのが仕事の楽しみであり、常に情熱を持ってやっているのだと言う。

チョコレートのパネットーネ

実はこの取材の数日前に、心臓病を患っていた弟が亡くなっていた。マンマも悲しみに暮れ、取材をそのまま受けるかどうか迷っていたそうだ。でも、いつまでも後ろ向きではいられないし、マンマも伏せっていてもしょうがないからと、取材を受けることにしたんだと話してくれた。
「弟とはこれからレストランを始める計画を立てながら、いろいろと夢を語っていたけど、今はすべて白紙に戻ってしまったよ。でも、前進するしかない。弟もきっと応援してくれているから」と、取材中はそんな素振りはまったく見せなかったアレッサンドロが、最後に胸の内を話してくれた。

この先どんな絵を描いていくか、彼のパッシオーネは、悲しみや辛さを乗り越えて、これからも家族と共にイスキアを盛り上げてくれるのだろう。
チョコレートのパネットーネは甘く、ほろ苦い味がした。(おわり)

※写真:藤原涼子(Ryoko Fujihara)

好きなのはイタリア人



『イタリア好き』本誌の取材で出会った、印象に残っているイタリア人にフォーカスして書いてきたこの連載は、今回で最終回となります。
イタリアのどこが好き?と聞かれると、僕は迷わず「イタリア人が好き」と答えます。自分好き(ときに少し自分勝手)で、常に前向きで、情熱的(お節介)なところは、厄介に感じる人もいるかもしれませんが、僕はそういうイタリア人が本当に魅力的に感じるし、好きなんです。だからイタリア人たちが作る「もの」がすばらしく、魅力的だと感じています。

これからも『イタリア好き』を通して、イタリアとイタリア人の魅力を発信していきますので、応援よろしくお願いします。
1年間ご愛読ありがとうございました。

松本浩明

※フリーマガジン『イタリア好き』の公式ホームページ https://italiazuki.com/
★松本浩明さんのインタビュー記事「だから、イタリアが好き!」はこちら⇒
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【まつもと・ひろあき】
1965年神奈川県横浜市生まれ。広告会社、出版社勤務を経て、2006年に株式会社ピー・エス・エス・ジーを設立。2010年3月、フリーマガジン『イタリア好き』を創刊(年4回発行)。イタリアをテーマに、観光地を巡るのではなく、その土地に根ざした食を味わい、地元の人たちとふれあう旅を提案している。著書に『イタリア好きのイタリア』(イースト・プレス)がある。 
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