2020年2月。横浜港に停泊中の客船で新型コロナウイルス患者が出て騒がれていた最中、イタリアに取材に出た。正直なところその後あんなに長い時間、コロナ禍が続き、人々の生活を変えるような出来事になるとは思ってもいなかった。
行き先はシチリアとナポリだった。まずはシチリアのカターニャ県にある小さな港町アーチレアーレで開催されるカーニバルの取材に向かった。日本からシチリアに行く場合は、直行便がないので乗り換えをして到着は夜、空港から離れた街であればかなり遅い時間になってしまう。
ようやく予約したB&Bに着くと、4人で3部屋予約して1部屋はツインのはずだったが残念ながらダブルだった……。部屋の空きもベッドの予備も無く、深夜に別の宿を探すわけにもいかず、宿の女性フランチェスカさんはすまなそうな顔をして困惑していたが、スタッフの女性一人がソファで寝ることでその場は収まった。明日は部屋探しからだな、と思いながら僕も寝た。
早朝、とりあえず僕らはカーニバル取材に出た。巨大フロート(山車)が街を巡行するのが最大の見どころで、路地のあちこちに出番を控えたフロートが駐車されている。この日の朝はイベントの一つとしてマラソン大会が開催されていた。街を周回する10キロ程度の短いランのようで、まじめに走る人、思いおもいの仮装で走っている人もいる。祭りだから、朝からテンションは高めだ。
最初の取材はカーニバルに付き物の菓子。ミルク粥と小麦粉、オレンジの皮を混ぜて揚げ、最後にはちみつのシロップをかける「ゼッポレ・ディ・リーゾ・アッラ・ベネディティーナ」だ。老舗の「ドルチェリーア・アッラ・ベネディティーナ」では期間中に毎日30キロも作っているというのだ。他にもマジパンやカンノーロなどシチリアらしいドルチェもショーケースに並んでいる。地元の人はバールのように、ちょっと寄っては、小さな菓子と一緒にカフェを1杯飲んで出ていく。もちろんこの季節はカーニバルの菓子がメインだ。

店主のオラッツィオさん
包装紙に包まれた詰め合わせの菓子がショーケースに並ぶ、昔ながらの佇まいを残した小さな店には、早い時間から客がひっきりなしにやってくる。店主のオラッツィオさんは、いい感じでキャッシャーに座って客と世間話をしていた。カウンターの中で対応しているのが息子のアンジェロさん。タトゥーの入った腕で菓子を袋に詰めたり、カフェを入れたりしている。最近のイタリアではタトゥーはよく見るし、それで料理をしたり、サービスしたりするのはよく見る光景だが、日本人(昭和世代)には微妙ではある。でも気さくでサービス精神旺盛のアンジェロさんは揚げたての熱い菓子を袋に入れてポーズを取るなど、何かと撮影に協力的だった。

笑顔がすてきなアンジェラさん
そこに現れたのは白髪にヴィオラ色のニットと艶やかな口紅をまとった女性だ。店内の皆とニコニコ挨拶を交わしているその女性の放つオーラが凄い。聞けば、店主の奥様アンジェラさんだった。
母親に「いつも笑顔で、前向きにあなたの舞台を生きるのよ」と育てられたというアンジェラさん。毎朝口紅をつけて「ようこそ私の舞台へ!」と自分が楽しみながら、毎日店に立っているのだそうだ。決して経営は楽ではない……とも漏らすが、100年続く老舗を自分たちの代で潰すわけにはいかないと、幸せのシャワーをかけるようにお客さんを笑顔で包み込んでいた。
早朝の取材を終えて、宿に戻って朝食としてセットされていたレモンのケーキ(これがシンプルでとてもおいしかった)を食べながら宿をどうするか話していると、フランチェスカさんが親戚から借りてきたという折り畳まれたベッドをゴロゴロ押してやってきた。どうみても新品である。買ってきたに違いなかった。それはうまく部屋に収まり、ベッド2台のツインになったことで、部屋探しの煩わしさも回避できた。

朝食に出たレモンケーキ
そしてこの出来事のお陰でフランチェスカさんとも距離が縮まった。僕らが雑誌の取材で来ていることを伝えて、レモンのケーキの作り方を聞いたり、カーニバルで食べるパスタの話を聞いたりした。すると、ちょうどマンマが作っているところだそうで、「お昼を一緒にどう?」と誘いを受けたので、「ぜひ!」と二つ返事でOKして、急遽家族の食卓におじゃますることになった。話はいつも急展開がおもしろい。
しばらくして、僕らの泊まっている部屋の上にある自宅を訪ねると、忙しく準備をしているマンマ、アンジェラさんを紹介してくれた。彼女は嫌な顔一つせずに「大したもてなしはできないわよ」と言いながらポルペッタ(肉団子)を丸めている。「食事の時間まで」と案内された屋上からはアーチレアーレの港と、反対にはエトナ山が見えた。暖かくなったらここでアペリティーヴォや食事をするのよと、小さな街に108ある教会のこと、家族のこと、祭りのことなどを話し、「暖かくなったらまた来てね」とフランチェスカさん。
部屋に戻ると、パパのフィリッポさんが歓迎ムードだ。各部屋を連れて回りながら、自慢の骨董品家具を一つずつ紹介してくれる。日本人なら部屋の案内はしないだろう。ましてや寝室は特に。でもイタリアではよくあることで、ベッドも骨董品だと見せてくれた。イタリア人の家に招かれたときはいつでもそうだが、部屋はきれいで掃除が行き届き、絵画や調度品をセンスよく飾っているのには感心するし、文化の違いを感じる。そしてやっぱり……。パパはカンティーナ(ワイン貯蔵庫)に行き、持ってきたのは自家製ワインだ。栓を抜き、味を確かめる「よし!」アンジェラさんはエトナ山の麓の村の出身で、そこでオリーヴオイルやワインを造っているそうだ。
テーブルにクロスが敷かれ料理の準備も整った。ホウレンソウのフリッタータ(卵焼き)とチーズとサラミの盛り合わせ、そしてパスタが運ばれてきた。カーニバルのときに食べるのはセッテブーキ(7つの穴の空いた)というショートパスタと決まっているらしいが、なんでそれなのかは不明。この後取材に訪れたトラットリアでも、パスタはそれしかなかった。それにポルペッタを煮込んだトマトソースをかけて食べる。ポルペッタはパスタと一緒に食べてもいいし、パスタを食べた後のセコンドとして食べてもいい。

ポルペッタ(肉団子)

サルシッチャ(イタリアのソーセージ)とポテトのオーブン焼き
自家製ワインが注がれて、昼食がスタートした。テーブルには3姉妹と親戚夫婦と、僕らも入れて10人になっていた。楽しい。いつも同じコメントになるが、こういうパスタが僕は好きだ。うまい! そしてセコンドはサルシッチャ(イタリアのソーセージ)とポテトのオーブン焼き。レストランの取材も控えているから「味見くらいに」と言っていたけど、結局〆の自家製レモンチェッロまでのフルコースに大満足の昼食は、フランチェスカさんの粋な心遣いと家族の温かい空気に包まれた時間だった。

セッテブーキのパスタ
結果的にこのワクワクした予定外の展開は、本誌(『イタリア好き』2020年のvol.42)に掲載し、朝食のレモンケーキとセッテブーキのパスタのレシピも紹介している。
シチリアの取材を終えてナポリ入りした頃に、北イタリアでコロナウイルスが猛威を振るい始め世の中全体がだんだん騒がしくなってきた。帰国は2月28日だったが、このあとすぐにパンデミックが起きて、ロックダウンになったのでギリギリだった。その後今にいたるまで、アーチレアーレの再訪の機会は無いのだが、そろそろあの屋上でのアペリティーヴォを楽しみたい。(つづく)
※写真:遠藤素子 endo motoko
※フリーマガジン『イタリア好き』の公式ホームページ
https://italiazuki.com/★松本浩明さんのインタビュー記事「だから、イタリアが好き!」は
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