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食べるしあわせ
旅して、食べて、イタリア フリーマガジン『イタリア好き』編集長
松本浩明
第9回 15年60号の歩みの中で
2010年3月にフリーマガジン『イタリア好き』第1号を発行して、今年の2月の発行で15年60号を迎えた。これまで多くの人の協力に支えられて、ここまで来られたことに感謝の気持ちを禁じ得ない。
15年は長いようで、あっという間だった。60冊をすべて見直してみると、なかなかセンセーショナルな内容で、自分でもかなりおもしろいと自画自賛している。まあ、自画自賛を繰り返しているからこそ、ここまで続けられてきたともいう。

記念すべき創刊号の表紙

取材先の鮮度と衝撃を誌面に


取材先は初めて行くところがほとんどで、創刊当時は今ほどweb情報も豊富ではなく、事前情報は現地の人から聞く話が頼りだった。また、敢えてガイドブックとは違う視点で、地元に根付いた生産者や店を選ぶように進めようという考えもあった。だから取材先で見聞きするものすべてが新鮮で衝撃的で、そういう感覚をそのまま本誌に詰め込んで、リアリティのある誌面にしようと心がけてきたのだ。
創刊号の特集はリグーリア州だった。現地取材では、特に表紙に使うことを意識した写真を撮ってきていなかったので、7000枚近くあった写真の中から表紙用の写真を選び出すのもひと苦労。何度もデザイナーにやり直してもらい、上がってきたレイアウトに自分で何げなく吹き出しを入れたときに、「これだ!」と合点がいき表紙デザインが固まった。その後吹き出しは『イタリア好き』のシンボル的な要素になった。

もちろん事前に取材先のリストはあり、予定を組んで訪ねるが、取材中にピンときて飛び込み取材することも多くある。僕はそういう臭覚が鋭いのかもしれないが(笑)、飛び込み取材は概ね大当たりする。その後、長い付き合いをしている人も少なくない。その中の一人がマルケ州マチェラータ県にある「Albergo Ristorante Da Lorè」というトラットリアのセルジオだ。

食べたことのない味


カメリエーレ(ウエーター)が慣れた手つきでパスタを取り分ける

予定していた取材が思いのほか長くかかり、昼を取る時間があまり無くなったので、簡単にパニーノでも買って済ませようと、近くにあった店に入ったのがセルジオのレストランだ。食事をせずに持ち帰りのパニーノだけを作ってくれると言うので店内で待つことにした。
日曜日の昼下がり、店内は家族連れや友人同士の客で賑わっていた。奥の窓から薄い黄色のカーテン越しに差し込む西陽が、なんとも懐かしく、心温まる雰囲気の店内を浮かび上がらせていた。すると何やらワゴンに載せられた大きな皿が目に留まった。ワゴンがテーブルに着くと、カメリエーレ(ウエーター)が慣れた手つきでサービスを始める。見事な手さばきでパスタを取り分け、客も楽しそうだ。とても気になって尋ねると、「カルボナーラ」だと言う。「!!」先約があり、時間が無い……。でも迷いは一瞬にして吹っ飛び、急きょ店内で昼食を取ることに決めた。

オーナーのセルジオ

そこからは早い。時間が押していることを伝え、とにかくあのカルボナーラをお願いし、お任せで前菜も注文した。さっそく前菜が運ばれてきた。甘いカスタードクリームのフリットやチャウスコロ(マルケ州特産のソフトサラミ)など、マルケ州らしい前菜の盛り合わせだ。
そこへ恰幅がよく、いかにも食いしん坊に見える男がニコニコしながら現れた。オーナーのセルジオとの初対面だ。雑誌の取材でマルケを巡っていることを伝えた。やがてワゴンに載った例のカルボナーラが運ばれてきた。想像を遥かに上回る迫力だ。2人前以上でなければ作らないというそれは、スタッフ5人に合わせて、おそらくスパゲッティ1袋分は使っている。さっきと同じようにカメリエーレが慣れた手つきで取り分ける。立ち上る湯気と香り、たまらない。これは間違いない! 許可をもらって撮影をしつつ、食べる。「やばい!」今までのカルボナーラの常識を覆す、食べたことのない味だった。濃厚なのに重くない、どこか上品な味わい。興奮する我々を横に見て笑うセルジオは、1954年に両親が始めた店を1986年から引き継いでいるという。カルボナーラはマンマの味だった。最後はスイカまで出てきた。

「Albergo Ristorante Da Lorè」の店内

話は尽きないが時間が無かった。でも一気に距離も縮まり、とてもハッピーな昼食を終えた帰り際、支払いを受け取らない。「本誌に掲載することも約束できない」と伝えても、そんな見返りが欲しかったわけではない。寄ってくれたこと、味わってくれたことがうれしかったらしい。さらに注文したのを忘れていたチャウスコロのパニーノも持たせてくれた。感激だった。

僕らは移動の間、このカルボナーラとセルジオの話で持ちきりだった。そしてこのカルボナーラのことを僕は「悪魔のカルボナーラ」と命名した。食べ過ぎはよくないと分かっていても、ついつい食べてしまう、思い出すと食べたくなる、何かに取り憑かれたような悪魔の味だ。
セルジオとはその後も何度か会うことになる。続きは次回へ。(つづく)

「悪魔のカルボナーラ」


※写真:萬田康文
※フリーマガジン『イタリア好き』の公式ホームページ https://italiazuki.com/
★松本浩明さんのインタビュー記事「だから、イタリアが好き!」はこちら⇒
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【まつもと・ひろあき】
1965年神奈川県横浜市生まれ。広告会社、出版社勤務を経て、2006年に株式会社ピー・エス・エス・ジーを設立。2010年3月、フリーマガジン『イタリア好き』を創刊(年4回発行)。イタリアをテーマに、観光地を巡るのではなく、その土地に根ざした食を味わい、地元の人たちとふれあう旅を提案している。著書に『イタリア好きのイタリア』(イースト・プレス)がある。 
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