
マンマの取材で訪ねたグラッツィエッラさん
2018年2月発行の『イタリア好き』vol.32でトスカーナ州キアンティの特集を組んだ。キアンティといえばワインの銘醸地として知られているので、行ったことがある、聞いたことはある、という人も多いと思う。僕はかつて訪れたことはあったが、1週間ほど腰を据えて滞在したのはこのときが初めてだった。
朝散歩での偶然の出会いから奇跡的に取材できた人やそこからつながっていった人、取材は難しいと聞いていた店のシェフ、訪ねて行った生産者、そんなキアンティジニ(キアンティ人)たちの溢れんばかりの愛とパッシオーネ(情熱)に触れられた、熱く、実りある取材だった。イタリアは比較的どこでもそうだが特にこのときは余計にそう感じたのだ。
特にマンマの取材で訪ねたグラッツィエッラさんは火傷するかと思うくらい熱かったし、怒っていた!
宿からいくつかの丘を越えてたどり着いた小高い丘の上の、レジェッロという小さな村にグラッツィエッラさんの自宅がある。そこそこ年季の入ったアパートで暮らす、ごく普通のマンマだ。部屋は掃除がきれいに行き届き、廊下に飾られている何枚かの写真のなかには睦まじい夫婦の姿もあった。キッチンには薪窯オーブン付きのストーブがあり、すでに予定していた2種の煮込み料理がそこに置かれている。
挨拶をして会話を始めるやいなや、料理そっちのけで、なぜか最近の若者のダメさ加減を訴えてきた。早口の機関銃トークを炸裂させるグラッツィエッラさんに呆気に取られた。当時76歳(1941年生まれ)のグラッツィエッラさんは、病気だった母親の介護を13年間続けてきた。そしてどんなに大変な思いをしても、人に任せたり、施設に預けたりしなかった。「そうするくらいなら、同じ苦労を何度でもやるわ!」という彼女は、母を敬い、愛する気持ちが強かったから耐えられたという。そんな彼女が、最近の若者は「Rispetto(尊敬)」「Pazienza(忍耐)」「Amore(愛)」が足りないと、声高に話すのだった。

パンを切るグラッツィエッラさん
この日の料理は、冬のトスカーナを代表するリボッリータと定番のトリッパ(牛の胃袋のトマト煮込み)。どちらも煮込み料理なので出来上がりまでに時間がかかるからと、途中まで調理したものがストーブの上に用意されていた。とはいえ、誌面に掲載するためのレシピ取材なので、作る行程を見せてもらう必要がある。そこで撮影用の材料を別に準備してもらい、そろえてもらった材料の写真も撮った。ところが調理が始まると、写真には撮っていない材料が突然出てきたり、撮っていたけれど使われない材料があったりと翻弄されることに。しかしそういうマンマに正確さを求めても始まらないし、むしろ魅力の一つでもある。
リボッリータは手元にある野菜や豆を煮込んで固くなったパンを再利用する料理で、グラッツィエッラさんが固いパンを腹に当て、豪快にナイフで切るところなんかは見ていて楽しいし、かわいい。それにしてもどれだけの量を仕込んだのか、大きな鍋3つ分のリボッリータが完成した。すると息子を呼び、一つを隣人に届けるように伝えたので付いていくと、車椅子の隣人が現れ「グラッツェ(ありがとう)」と、うれしそうに受け取っていた。こんなふうによく世話をしているようだ。
リボッリータもトリッパも手間と時間がかかる。そうやってマンマが手作りした料理を、家族や友人、知人、たくさんの人と食卓を囲んで食べる。食事をしながら交わされる会話で、それぞれが感じ、得られることはたくさんある。愛や敬う気持ちはそういうところで育まれるのだと、グラッツィエッラさんは言う。だから、ディスコに遊びに行って、ファストフードなどの適当な料理を食べている若者に喝を入れたいのだ。

完成したマンマの料理を家族みんなで味わう
取材は2017年の12月だった。日本では自民党が衆院選で大勝し安倍首相が大躍進し、アメリカではトランプ大統領が誕生した年だ。耳障りのいいなんとかファーストといった言葉もよく聞かれ、日本の最優先課題は経済成長、そんな時代だった。その後コロナ禍が世界を席巻した。
固くなったパンと残り野菜や豆、旬のカーボロネーロという球体化しない葉キャベツを使って作るこの季節ならではのリッボリータは、「クチーナ・ポーヴェラ」(手元にある食材を無駄にしないで工夫して美味しい料理を作る庶民の料理のことをいう)といわれる身近な食材で作る質素な料理ではあるが、そういう時代だからこそしみじみと味わいたいと、グラッツィエッラさんの話を聞きながら思ったし、キアンティ取材で出会った人たちの、世界経済の渦の中にいても立ち位置の揺るがない、愛と信念を感じた取材だった。(つづく)

冬のトスカーナを代表する煮込み料理・リボッリータ
※写真:遠藤素子 endo motoko
※フリーマガジン『イタリア好き』の公式ホームページ
https://italiazuki.com/★松本浩明さんのインタビュー記事「だから、イタリアが好き!」は
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