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食べるしあわせ
にっぽん塩の教科書 ソルトコーディネーター
青山志穂
第11回 工夫と苦労を重ねてきた塩づくりの歴史(その1)
◆日本の辛い塩事情
海に囲まれている日本はいくらでも海水が汲み放題で、塩の原料には困らないと思っている人が多いのではないでしょうか。しかし、すでに結晶化している岩塩と違って、海水を原料にした海水塩は、海水の水分を蒸発させて約10倍まで濃縮し、それを結晶化させなければ塩を採取できません。岩塩層や塩湖がない日本は、労力とコストを投入してでも海水から塩をつくらざるを得ない、塩資源に乏しい国なのです。
2022年の統計では、全世界で年間に約2億8000万トンの塩が生産されていますが、日本の生産量は世界第37位です。この順位は人口や国内総生産(GDP)を考えると非常に低い位置にあると言えます。ちなみに第1位は、世界の塩生産量の約2割を占めている中国で、第2位のアメリカ、第3位のインドを大きく引き離して年間536万トンを生産しています。中国の生産量が抜きんでている存在とはいえ、アメリカ、インドも広大な大地に海水、岩塩、塩湖、地下塩水などの塩資源が豊富な国々です。

日本の塩事情を見ていきましょう。2022年の国内消費量は約710万トン、そのうち国内生産量は約90万トンで自給率はたったの13%ほど。つまり日本ほそのほとんどを輸入に頼っている塩輸入大国ということになります。ところが、家庭や飲食店、食品加工の食用として消費する塩の量は年間約74万トン(2023年の実績)。私たち人間が生きる上で欠かすことができない食用は国産でほぼ賄えている計算になります。では大量に輸入した塩はいったい何に使われているのでしょうか? 
実は塩の用途は食用だけでなく、石鹸、アルミ、ビニール、ガラス、パルプの原料のほか、凍結防止剤や道路融雪剤としても多用されています。つまり工業用として使われる塩のほうが食用よりはるかに量が多く、その分を海外から調達しなければならないというわけです。

メキシコのゲレロ・ネグロにある大規模塩田。収穫された塩の山が広がっている

日本が塩を輸入している主な国はメキシコとオーストラリアです。メキシコには東京23区の広さに匹敵する巨大なゲレロ・ネグロ塩田が、オーストラリアには四つの大規模塩田があり、開発に日本の大手商社がかかわっています。メキシコでは世界最大級を誇る3万3000ヘクタールの天日塩田事業を展開。生産量はなんと年間約750万トンにも及びます。オーストラリア大陸西部に位置するシャークベイとオンズローの塩田は年間約400万トンの塩を生産し、日本に向けて輸出しています。

◆塩づくりと塩の制度の変遷
こうして現在では政府の施策や日本企業の海外ビジネスによって塩の必要量を輸入で確保できていますが、過去にはさまざま工夫を凝らしながら自らで塩をつくってきた苦労の歴史があります。塩資源に乏しい日本が塩づくりに恵まれない不利な条件のもとで、どうやって製塩業を発展させ、安定的な流通を図ることができたのか、塩づくりの変遷からひも解いてみましょう。

日本の塩づくりの起源として確認できているのは縄文時代。土器が出土されていることから、海藻を利用する「藻塩焼き」が行なわれていたことがわかっています。奈良・平安時代の8世紀ごろには自然の砂浜をそのまま利用して海水の濃縮を行なう「自然浜」が主流でした。鎌倉時代になると、整備した塩田に人力で運んできた海水を繰り返しまいて天日乾燥させる「揚浜式塩田」や、潮の満ち引きを利用して塩田に海水を導く「入浜式塩田」へと進化していきます。海水を煮詰める結晶工程には、竹と石灰や白砂でつくられた「あじろ釜」、石釜、土釜、鉄釜といった非密閉の平釜が使用されていました。
江戸初期になると、気候や地形などに恵まれた瀬戸内海沿岸を中心に入浜式塩田が普及し、それによって生産規模も拡大しますが、塩田で海水を濃縮し、それを平釜で煮詰めるという従来の方法に大きな変化はなく、国内の供給量や価格も長らく安定しません。そこで、それらをコントロールする目的と財政収入確保のために、塩の生産・流通は明治38年(1905年)に施行された専売制度によって国の管轄下に置かれることになりました。

真空にすることで沸点を下げ効率的に結晶化できる「真空式蒸発缶」


その後、昭和初期には平釜に変わって密封して加熱する「立釜」や、排出される熱を再利用した「蒸気利用式塩釜」が導入され、結晶工程が効率化します。昭和28年(1953年)に長らく続いた入浜式塩田にとって代わって、濃縮作業が飛躍的に向上した「流下式塩田」が登場。沿岸に竹枝でできたタワーがずらりと並ぶ光景が見られるようになりました。
生産効率に視点を移してみると、入浜式塩田+平釜が主流だった昭和10年(1935年)ごろの労働生産性は1人当たり16.6トン。それが流下式塩田+平釜・蒸気利用式塩釜が主流となった昭和30年ごろには31.7トンまで伸びています。しかし、それでも塩はまだ圧倒的に足りない状況でした。

昭和47年(1972年)に塩専売制度の第四次塩業整備事業が施行されると、日本の塩づくりの様相は一変します。濃縮工程は、イオン交換膜は電気の力で海水中のナトリウムと塩素だけを取り出すイオン交換膜、結晶工程は立釜が連動させ排熱を利用しながら、真空にすることで沸点を下げて蒸発効率を高めた「真空式蒸発缶」に限られることになり、製塩事業者は全国で7社に絞られました。残りの事業者はすべて廃業に追い込まれて、塩田も廃止されてしまったのです。圧倒的な効率化が図られたことで、1人当たりの労働生産性は585.2トンにまで跳ね上がりました。

そして平成9年(1997年、政府が約1世紀にわたって実施した専売制度が終焉を迎え、塩の製造や販売が自由化されました。それに伴い、伝統製法を復活させたり、新たな技術を開発したりと、それぞれの理想に合わせた特色ある塩づくりが全国各地で復活。2024年現在、私が確認できるだけも約600を超える製塩事業者がいて、1000種類以上の塩が国内で生産されています。(つづく)

参考:公益財団法人塩事業センター「統計データ」

(写真提供:青山志穂)

★青山志穂さんが訪れた全国各地の製塩所を紹介する連載「にっぽん塩めぐり」はこちら⇒
★青山志穂さんの公式Youtube・WEBサイト・Instagram
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【あおやま・しほ】
東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、総合食品メーカーを経て、塩の専門店「塩屋」を営む(株)パラダイスプランに入社。日々の業務の傍ら産地を訪問し、塩の研究を進めていく中で、塩に対する誤解や不理解を改善したい思いが強くなる。2012年、塩の正しい知識の啓もうを目的とした(社)日本ソルトコーディネーター協会を創立。国内外での講座やセミナーのほか、商品開発やアドバイザーとして活動。地域と連携し、塩を基軸とした地域活性化も手がける。訪れた製塩所は国内外合わせて延べ400カ所以上。自宅には2300種類以上の塩コレクションが並ぶ。著書に『日本と世界の塩の図鑑』『免疫力を高める塩レシピ』(あさ出版)ほか。
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