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食べるしあわせ
にっぽん塩めぐり ソルトコーディネーター
青山志穂
第1回 揚げ浜式塩田の聖地に吹いた新しい風(Ante・石川県)
 どこの家庭にもある調味料で、あまりにも身近な塩。たかが塩と思いきや、その製造方法の違いによって味は無限大! 知れば知るほどその楽しみ方が広がるというのです。長らく続いた専売制度が1997年に廃止されてからというのもの、たくさんの種類の塩が販売されるようになりました。今では北海道から沖縄まで約600カ所以上の製塩所があるという“にっぽんの塩”。その現場では、どんな職人がどのような塩づくりをしているのでしょうか? 塩のスペシャリストとして、その魅力を追求し発信しているソルトコーディネーターの青山志穂さんに、進取の気性に富んだ日本各地の職人たちと、彼らによって生み出された個性豊かな塩について案内してもらいます。

 海に囲まれた日本、実は「塩貧乏」な国であることはご存じでしょうか? 塩の国内自給率はなんと約1割。塩をつくるための原材料になるのは海水とごく一部の食塩泉のみで、世界の塩生産量の約6割を占める岩塩の鉱山や塩湖といった塩資源は、残念ながら日本にはありません。
 海水が豊富にあるといっても10倍くらいに濃縮してやっと塩になるため、塩の状態で存在している岩塩や湖塩と違って、生産には大変な手間がかかります。そのうえ、日本の海沿いには平坦で広大な土地が少なく乾季と雨期がはっきり分かれていないことから、海外で見られるような大規模な屋外塩田を整備することもできません。
 そのため「どうやったら少ないスペースと少ない熱量で効率的に塩をつくれるか」に心血を注いできた歴史があり、結果として、世界の中でも突出して製塩方法の種類が多い国になりました。この連載では、そんな日本人のものづくりの魂が込められた各地の製塩所とそこで働く職人について紹介します。

***


 車を走らせ幾度となく訪れた能登半島。その先端に位置する石川県珠洲市は、美しい山々と豊かな海に育まれた塩づくりの町。日本で唯一の、江戸時代から続く「揚げ浜式塩田製法」を受け継いだ製塩所が複数残っています。
 1970年代、専売制度により日本各地の数百を超える塩田がすべて廃田になる中、珠洲市に伝わる揚げ浜式塩田だけは文化的価値を認められて存続することが許されました。この地に伝わる伝統技法を絶やさないために、地元の人たちが協力し合ってさまざまな活動をしてきた結果、近年では塩をテーマにした観光スポットとして人気を博すようになっています。

 約500年以上も途絶えることなく続いてきた揚げ浜式塩田製法ですが、職人の高齢化が進み、2002年に塩の販売が完全に自由化されたあとも、なかなか後継者が現われませんでした。「このままでは10年もしないうちにこの情景も伝統もなくなってしまうのではないか」。地元の人たちが懸念していたところに、状況を打破する新星が登場しました。株式会社Anteの中巳出理(なかみで・りい)さんです。
 金沢市出身の中巳出さんは元芸術家で、その選美眼を生かして40代で着物を中心にしたアメリカ向けの通信販売事業を展開し、成功を収めていました。60歳を迎えるあたりから「残りの人生は地元に目を向けていきたい」と考えるようになった中巳出さん。そのとき目に浮かんだのが、幼いころに見た里山里海、そして塩田の情景でした。
 この風景を守りたい……。そのために必要だったのが、珠洲の伝統文化である揚げ浜式製塩法だったのです。


海水が弧を描きながら美しく宙を舞う様はまさに職人技

 私はソルトコーディネーターとしてこれまでに全国約400カ所以上の製塩所を訪ね、さまざまな塩づくりを見てきましたが、その中でも「修行」ともいうべき過酷な作業がこの揚げ浜式製塩法でした。
 まず砂を平らなグラウンド状に整地して塩田をつくり、そこに海から桶で汲んできた海水を撒いて半日以上置いて乾かします。その砂を人力で集め、それを垂舟(たれふね)と呼ばれる箱型の装置に入れて海水をかけると、砂に付着していた塩が溶けて濃いめの塩水(鹹水・かんすい)が採れます。その鹹水を釜で6時間ほぼつきっきりで炊き、1晩寝かせて再び16時間仕上げ炊きをしてやっと塩が出来上がります。このほかにも、不純物を取り除いたり、にがりを切ったり、集めた砂を塩田に戻したりと、いやはやこれが本当に大変なのです。
 海水を桶に入れると総重量はゆうに100kg以上! そもそも素人には桶を持ち上げることすら難しく、ましてやそれを持って歩くことは不可能です。さらに汲んできた海水を均一に塩田の隅々までまく作業は、体力だけでなく熟練した技術も必要になります。
 それに加え、工程を釜炊き以外の作業は晴れているときにしかできません。塩田の砂が乾きにくい梅雨や曇天の多い時期を除けば、塩づくりができる日は1年のうちで通算4カ月ほど。しかも真夏の炎天下にすべて手作業で行われていたりするわけです。ああ、なんて過酷なのでしょう!!

海沿いにあるAnteの塩田

 製塩業の経験がなく、珠洲市の出身でもない中巳出さんがこうした伝統製法の塩田をいきなり始めるのにはいくらなんでもハードルが高すぎました。そこで揚げ浜式製塩法でつくられた塩の魅力を世界に発信しようと、塩を使った商品開発から取り組むことにしたのです。最初に開発した「奥能登地サイダー しおサイダー」は、のちの塩サイダーブームの先駆けとなる大ヒット商品になりました。ほかにも数々の商品を手がけた中巳出さんが考えた次の一手は、過疎化が進む能登に人を呼び込むための飲食店のオープンでした。
 「人口減少を食い止めるのは難しいですが、若者を呼び込むことで関係人口を増やすことはできると思いました」
 
 限界集落にカフェをつくっても集客できない、という周囲の大反対を押し切って空き家を購入した中巳出さん。金沢工業大学建築デザイン学科の学生と一緒に改築し、2009年に日本海に面した奥能登・珠洲市片岩地区にスタイリッシュな「しお・CAFE」を完成させました。こうして長い時間をかけて実績を上げながら地域に根ざし、2018年に念願の自社塩田を取得。揚げ浜式製塩法による製塩事業に着手したのです。

寒流と暖流が交じり合う能登半島の海水でつくられた塩

 
 創業にあたって、何はなくとも塩職人の育成が必要になります。製塩事業者の高齢化問題にも対応すべく、塩づくりに興味を持つ若者を全国から募集して雇用。塩づくり初心者の若者たちへの指導をお願いしてまわった結果、揚げ浜式にこだわった塩づくりをする「中前製塩」の職人たちが、その思いと実現力に賛同。中巳出さんが代表を務めるAnteに入社した若手社員を預かり、1年以上かけて技術指導をしてくれたそうです。中巳出さんはその間に新しく塩田を開墾し、ようやく2017年4月に念願の製塩所をオープン。こうして誕生した塩は「DENEN(でんえん)」と名づけられ、Anteを代表する製品になりました。若手職人たちがまさに手塩にかけて育てたその味は角がなくまろやかで、後味に濃いうま味が残るのが特徴的。おにぎりに使うと、余韻が長く楽しめ、お米の甘さを引き立ててくれます。

 現在では、結晶がピラミッドの形をした塩や、梅酢で染めたさくら塩、香りづけした燻製塩など、さまざまな塩商品の開発を展開。揚げ浜式製塩法では日本初のHACCP(衛生管理の手法の一つ)認証を取得したり、健康被害を及ぼすという微小なプラスチックを取り除くマイクロプラスティック対策を講じるといった取り組みにも次々と挑戦しています。
 「伝統を守るためには、進化を恐れないこと」と話す中巳出さん。若手塩職人さんとともに、伝統にどんな新しい風を吹き込んでくれるのか、今後が楽しみな製塩所です。(つづく)
 

  DENEN しお 80g

【株式会社Ante】
石川県加賀市篠原新町1-162
https://www.sio-denen.jp/
※見学可能(要予約)

▼味チャート:1(弱い)⇔ 5(強い)
しょっぱさ:3、酸味:2、甘味:4、うま味:4、苦味:2 


<青山さんおすすめの使い方>
白身魚やイカの刺し身

指で「DENEN」をつまんでぱらぱらと刺し身に振りかけます。時間は置かずに、刺し身で塩をくるむようにして口に入れてみてください。白身の魚やイカは噛んでいくうちに味が出てくる素材なので、余韻が長く残る「DENEN」と合せると、味のバランスがよくなります。

★青山志穂さんのWEBサイト
https://shiho-aoyama.com/

写真提供:青山志穂
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【あおやま・しほ】
東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、総合食品メーカーを経て、塩の専門店「塩屋」を営む(株)パラダイスプランに入社。日々の業務の傍ら産地を訪問し、塩の研究を進めていく中で、塩に対する誤解や不理解を改善したい思いが強くなる。2012年、塩の正しい知識の啓もうを目的とした(社)日本ソルトコーディネーター協会を創立。国内外での講座やセミナーのほか、商品開発やアドバイザーとして活動。地域と連携し、塩を基軸とした地域活性化も手がける。訪れた製塩所は国内外合わせて延べ400カ所以上。自宅には2300種類以上の塩コレクションが並ぶ。著書に『日本と世界の塩の図鑑』『免疫力を高める塩レシピ』(あさ出版)ほか。
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