私のスペイン語修行
フアン・アントニオと話がしたい。もっと聞きたいことが山ほどある。彼との2度目の出会いの後でそんな思いがピークに達し、「次に会う時は絶対にスペイン語で話す!」と心に決めた。通訳を介する会話はどんなに砕けていてもフォーマルだ。あまりしつこいと相手より先に通訳に嫌われるし、もっと馬鹿みたいな質問だって根掘り葉掘りしたかった。
問題は「次の旅」が4カ月後にやってくることだった。なんとか数カ月で話せるようになる道はないものかと試行錯誤をしていたある日、「日本語で勉強するからダメなんだ!」とひらめいて、英語で勉強したのがよかったのだろう。英語は日本語よりスペイン語にはるかに近いから、驚くほどスルスルと頭に入ってきたのだ。
ここからはもう赤ちゃんになったつもりで「これだけ覚えれば日常生活は大丈夫」というスペイン語の単語集を覚え、肌身離さず「英西・西英辞書」を持ち歩き、イギリスのスペイン語講座を毎日ラジオで聞いていたら、どんどん会話が聞こえるようになっていった。そして4カ月後、マドリッド行きのフライトに乗り込んだ私の耳には、確かにスペイン語の機内アナウンスが入って来た。空港で、タクシーで、ホテルで、駅で、ちゃんと会話ができるではないか。

ボバルの畑(初夏)
できたばかりのワインを渡そうと、ラ・マンチャから遠い田舎のホテルにいた私を訪ねてフアン・アントニオが来てくれた。「フアン・アントニオ!私、スペイン語が話せるようになったよ!」と伝えたら、「increíble(信じられない)! やった!やった!」と、これ以上ないくらいに喜んで、「Kayoには話したいことが山ほどあったんだ」と、堰を切ったように話し出した。
自分たちのような“小作人”は、信頼する人たちと小さな輪のなかで生きていきたい。大きな山も深い谷も要らない。量は少しでいいから毎年決まった数を、細く長く買ってくれる人と出会いたい。それはKayoのように自分のワインを好きだと言ってくれる人であるべきだ、という話だ。
初めて知る、土に生きる人の心の声。そのうえ、「Kayoを信じているから、これからは僕の仲間を紹介するよ。そうすればあなたは誰よりも素晴らしいワインに出会うことができる」と言うではないか。私がフアン・アントニオのワインにどれだけ感動していたのか、言葉が通じていなかったのにちゃんと伝わっていた。その驚きと、小さな輪のなかに入れてもらえた喜びは、とても言葉で言い表せるものではない。
それからはフアン・アントニオがスペイン語の先生になった。日本に戻ってから、毎日のように辞書と格闘してメールを続けたおかげで、1年余りで何とか専門的な話もできるようになっていた。約束通り、スペインの北へ南へと彼の仲間を訪ねては、一緒にワイナリーを巡ったこともある。醸造家が添乗員になって醸造家を訪ねるツアーなんて、どんな秘境専門の旅行会社にも売っていない。足を滑らせたら死が待っているという急斜面の畑、山間にポツンと佇む隠れ里のようなワイナリー、灼熱の平原に残る樹齢百年の古木群。商業主義とは一切無縁の本物の造り手たちを、休暇を使っては訪ねて回った。
そんな彼らの顔はみな、喜びと誇りに満ちている。一緒に畑を歩き、熟成中の樽をじっくりと試飲し、もうそれだけで十分なのに、行く先々でブレンド(ワインの原酒を混ぜ合わせる伝統的な技法。高度な技術と知識を駆使して造り手ごとに個性のあるワインを生み出す)について意見を聞いてもらえる、素晴らしくもかけがえのない時間。
フアン・アントニオのように、子どもの頃の夢を叶えたという人は決して多くはないはずだ。それでも目の前のことに興味を持ち、答えを求めて前に進めば心震わせる出会いが待っている。モンペリエで出会ってから今年で16年、私たちはお互い40を超えるいい歳になった。偉大なワインに例えれば、そろそろ飲み頃といった年齢だ。
「ワイナリーを立ち上げたばかりで一番苦しかったとき、Kayoは自分たち家族に本当に尽くしてくれた人だ」と、今でもちゃんと言葉にして伝えてくれるフアン・アントニオ。あのピュアな味に魅せられて、気づけば彼の顧客のなかで一番熱を込めて彼のワインの魅力を語り、そして売っていた私だが、お礼を言いたいのはこっちの方だ。

新しいワイナリーで弟と試飲をするフアン・アントニオ(写真右)
「よく見ることから始まる」と、今日も瞼の裏のボバルの畑が私に語りかけてくる。20代でワイナリーを持つという少年の夢の先には、その後10年で立派なボデガを建てるという続きがあった。その言葉通り、35歳の時、本当にみごとなボデガを建ててしまった。
「El que lee mucho y anda mucho, ve mucho y sabe mucho.」
-よく読み、よく歩き、よく見た者がよく知る人。-
ワイングラスを片手にフアン・アントニオを想うとき、すべての憂いを吹き飛ばすようなラ・マンチャの強い風に乗って、ドン・キホーテのあの名言が聞こえてくるようだ。
「P.F.(ペー・エフェ)」
(ボデガス・イ・ビニェードス・ポンセ)
フアン・アントニオが造るボバル種100%のワインのなかでも、最もこだわり抜いた逸品。通常は複数の区画のブドウを混ぜて造られるが、これは「単一畑もの」という特別な品物だ。ワイン名の「P.F.」は、「ピエ・フランコ(フィロキセラ前)」という区画の名前からつけた。フィロキセラ禍(19世紀末にヨーロッパ全土を襲った害虫被害)を免れた奇跡の区画であり、ワイン愛好家にとってはフィロキセラ禍以前の畑のワインといえば、もうそれだけで垂涎もの。樹齢百年を超える古木の赤ワインは、賢く年を重ねた人のように無駄なものが削げ落ちて、柔らかさのなかに風格を漂わせている。ジューシーな黒果実のニュアンス、滑らかな口当たり。今すぐ開けずに保管して、熟成の変化を待つという楽しみも与えてくれる。
【河野佳代さんのinstagram】
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