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美しいくらし
ワインと旅するスペイン ソムリエ・ライフスタイルデザイナー
河野佳代
第2回 長い歴史が磨くブドウのエッセンス (下)

嘘のような本当の話


 時は流れて2016年3月。旧市街の一角ではカトリックの司祭が招かれて、真新しいボデガ(セラー)の落成式が執り行われていた。ここで造られるのは伝統のシェリーではなく、ウイスキー用の樽だ。もちろん単なる樽ではない。世界最高峰のウイスキー蒸留所がフィニッシュ(詰め替え熟成)に使うシェリー樽であり、最高級のペドロ・ヒメネスでシーズニング(風味づけ)されるという、唯一無二の代物。ウイスキーを夢見る者にとっては、垂涎の樽である。そしてこれはボデガス・ヒメネス・スピノラにとって、創業以来初となる試みだ。

 蒸留したてのウイスキーは無色透明なのをご存じだろうか。あの美しい琥珀色と風味は、長い樽熟成の賜物。さらにフィニッシュ(他のお酒で使われた樽に熟成ウイスキーを詰め替えて、さらに熟成させること)を施すことで、元の樽で造られたお酒の風味がウイスキーにつく。上質のシェリーがしみ込んだカスク(樽)フィニッシュのウイスキーが持つ、魅惑的な色調と独特の甘い香りは、ため息が出るほど瞑想的だ。
 そんな貴重なシェリー樽だが、シェリー自体の生産が減る中で入手は難しく、シェリー樽であれば細かい来歴は問われなくなっている。でも、もしも由緒正しい樽が現れたとしたら?プロなら興奮しない訳がない。

 司祭の厳かな儀式も終わり、地元の名士や関係者の祝辞が始まった。さすが即興のフラメンコで育ったヘレスの人々、みんなうまいものだ。いよいよ最後の挨拶。多くの参列者を前にして、主賓のスピーチをしたのはこの私である。祭壇が設えられた奥の狭い空間には、このボデガに貢献した人物の名を刻んだプレートと、スペイン王室から下賜された黄金のサーベルが飾られている。このボデガ、実は私の名で建てられたという、嘘のような本当の話だ。

LA CASA XIMENEZ-SPINOLA DEDICADA ESTA BODEGA A 
KAYO KONO -SOL DE JAPON-
CONSIDERANDOLA MIENMBRO DE NUESTRA FAMILIA
ヒメネス・スピノラはこのボデガを「KAYO KONO -日本の太陽」に捧げる
われわれ家族の一員として


 初めてここに来た馬祭りの日、ボデガにあった古いプレートの名前を見上げて、「この人はどんな人だったんだろう」と思うばかりだった自分が、時を置いてこんな名誉に預かるのだから、人生には思いがけないことが起きるものだ。
 それにしても、なぜこんなことになったのか。


***


 「せっかくだから、バーにも行きましょう。シェリーも置いてもらっているから、挨拶しないとね」と、シェリーのPRのために日本にやって来たホセ・アントニオを誘い出した先は、スコッチウイスキーの名店。「Kayoが薦めるなら行くけど、すみません、ウイスキーは飲めないのです」。学生の頃に飲んだ安物のせいでウイスキーを遠ざけていたホセ・アントニオだが、階段を下りた先にある小さな空間には、そんな彼の人生を変える出会いが待っていることを、私は知っていた。

 寛ぎの間接照明を縫って流れるバッハの無伴奏チェロ組曲、磨き抜かれたカウンターの奥には、マスターが現地まで足を運んでコツコツと集めたアンティークグラスが輝き、厳しい目利きにかなったスコッチの銘品が、天井までびっしりと並んでいる。ワインと同じようにウイスキーにも哲学があり、ボトルに込められた物語をバーテンダーに解説してもらうひとときは、図書館で良書のページを繰ることに似て素晴らしい。オーセンティックバーは欧米にはない、日本発信の瞑想空間である。
 一歩足を踏み入れただけで別世界に誘われ、その世界観に圧倒されたホセ・アントニオ。黙って差し出されたグラスの琥珀色に、ウイスキーの世界にも自分たちのように誇り高い人々がいることを、彼は一瞬で理解した。

 「Kayo、私たちには、代々の当主が新しい“何か”を創り出すという隠れた伝統があります。私はずっと、9代目の自分には何ができるのかを考えていました。あなたはこうなるとわかって、私をここに連れて来たのですね」。
 そう、そのとおり。彼らのシェリー樽でウイスキーを熟成したら、きっと極上の味になるに違いない――そんな思いを抱いていた私だったが、誇り高い彼らに「樽を売れ」なんてとても言えない。しかも9代目がウイスキーに苦手意識を抱いていることは知っていた。そこで一計を案じたというわけだ。

 スペインに帰ったホセ・アントニオから電話があったのは、それから半年ほどしてからのことだ。「家族で何カ月も話し合いを重ね、樽のビジネスが正式に決まりました」。感激して聞いていると、彼はさらに言葉を続けた。「それと、新しく建てるボデガにあなたの名前をつけることも」
 「え!?」。あまりに突然の申し出に驚く私に、「あなたが他の人たちのように値下げを要求したり、もっと売るから無償でサンプルをくれなどと言わずに、どうやって文化の違う日本で私たちのプレミアムシェリーを売っているのか、ずっと不思議でした。でも日本に行ってようやく理解できたのです。日本語はわかりませんが、あなたは私のように語り、伝え、創造し、それにみんなが魅了されているのです」と彼は言った。要求などするわけがない。私はただ、彼らのペドロ・ヒメネスに憧れているのだ。

 最高峰の極甘口シェリーという“完成品”の造り手であるボデガス・ヒメネス・スピノラ。資材のサプライヤーになったことは、300年の長い歴史の中で一度たりともない。「これが私たち家族にとって、どれだけドラマチックなことかわかりますか」。
 戸惑う私にホセ・アントニオは重ねて言う。「こう考えてほしい。100年先、200年先、もう昔の資料などどこにも見当たらなくなってしまったとき、私たちの子孫が古いプレートを見て、あの“Kayo Kono”というのは誰のことだろうね。なんで日本人の名前がここにあるんだろう、と話す姿を想像するのは、とてもロマンティックなことではないでしょうか」

 完成まで長い年月を要する究極のペドロ・ヒメネス。樽に眠るシェリーは先祖が自分に残し、自分が子孫に残すもの。その誇りを胸に働く彼らの言葉に、長い時間軸を持って生きることの尊さを見た。雑事に捉われがちな毎日で、本当に大切なことは何だろう。それは、今ここにある「奇跡」に気づくことではないだろうか。“単なるお酒”が300年も継承されてきたことが奇跡であるように、私たちの出会いもまた、小さな偶然の連続が導いた奇跡である。

 落成式には、日本人の私がヘレスの歴史に深く関わったことを、心から喜ぶ人々がいた。まだ電気も通っておらず、何もないガランとしたボデガにろうそくの炎が揺らぎ、宴のフラメンコギターに合わせて、次々と心を解放する人々の歌声が、朝まで響いていた。

 旅は出会いであり、出会いは思い出となる。思い出は歴史をつくり、肉体は朽ちても魂は永遠だ。いや、それでも欲深い私には、朽ち果てる前に望みがある。いつかまた、あのボデガ「Kayo Kono -Sol de Japon」に集い、サルサナ家と愛すべきヘレスの人々と至福の1杯を分かち合うのだ。みんな白髪の老人になってから、というなら、なおさら夢があるではないか。

 ペドロ・ヒメネスができるまでに15年、
 そのブランデーができるにはさらに25年。
 さて、このウイスキーができるとき、私はいくつになっているのだろう。


※旧市街の施設はそのままに、ボデガは2015年に旧市街の外にある畑の前に移転しています。

「シェリー ペドロ・ヒメネス 1918」

(ボデガス・ヒメネス・スピノラ)

 美しいラベルにはこのシェリーの物語が集約されている。ラベルの下、金縁で囲まれた「2618」という数字と、その下の「8754」「MMV」は、「2005年に厳選した樽から、8754本を瓶詰めしたうちの2618番目」であることを保証している。
 次に、中央より少し下のに記されている「PETER SIMENSE」。これは、ドイツからブドウをもたらしたというドイツ兵の名前だ(筆者注※オランダ人という説もあるが現在学会で議論中)。全文を訳すとこうなる。「これはヘレス・デ・ラ・フロンテーラのヒメネス・スピノラが、天日干しブドウで造る正統なヴィンテージワインであり、ピーター・シーメンス、後にペドロ・ヒメネスと呼ばれるようになったブドウと極甘口ワインの製法をもたらした紳士の伝統に則って、フィリペ・アントニオ・サルサナの子孫が育み選んだものです」。物語を知れば、目の前のグラスは今よりずっと特別なものになる。

【河野佳代さんのinstagram】https://www.instagram.com/kayohanako/?hl=ja
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【こうの・かよ】
日本の酒類専門商社で17年間のワインの買い付けを経て、2020年よりパリの高級スピリッツ「ディスティレリ・ド・パリ」、スペイン王室御用達シェリー「ボデガス・ヒメネス・スピノラ」のブランドアンバサダーに就任。これまで買い付けたワインは、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリア、イギリス、ポルトガル、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニアの9カ国、52地域。延べ1000回以上のイベントセミナーを通して造り手と向き合い、本物のワインを広める活動を行っている“美味しく食べて幸せに暮らす”を実践し、お酒をきっかけに世界をつなげている。J.S.A.ソムリエ、トリリンガル(日本語、英語、スペイン語)。
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