著名な文学作品がオペラや劇の作品に生まれ変わることは珍しくない。『オテロ』、『ホフマン物語』、『ヴェニスに死す』など、思いつくままに挙げるときりがない。「原作が先か、舞台が先か」という議論は絶えることがないが、『ミレイユ』について私自身は原作から入った。今回は、ミレイユがオペラや劇として受け継がれてきた展開を紹介したい。

2024年に制作・上演された舞台劇『ミレイユーーミストラルの夢』
フランスの作曲家シャルル・グノー(1818-1893)が1863年に『ミレイユ』をオペラ化し(初演は1864年、パリ・リリック座)、『ファウスト』(1859年)に次ぐグノーの代表作となったことについては、
第2回で触れた。『ファウスト』の原作者がかの文豪ゲーテであることを考えると、ミストラルにとっては、大変名誉なことであった。
グノーはプロヴァンスの美しい風景を肌で感じるためにわざわざマイヤンヌに長期間滞在し、ミストラルとともに作品の舞台となった各地を訪れた。第5幕最後のミレイユの死の場面は、教会音楽を得意とするグノーならではの荘厳な響きが圧倒的で、鳥肌が立つほどである。
もっとも、ミシェル・カレの脚本は、約2時間20分のオペラ作品のために原作の出来事の順番を変更したり、短縮、省略しており、原作を先に読んだ観客には不評だったようである。1909年、アルルで『ミレイユ』出版50周年が祝された。5月29日にミストラルの悲願であった民俗博物館の落成式が行われたことは
第6回で取り上げた。翌30日には、祝典の舞台を古代劇場に移し、大勢の観客がこのオペラを楽しんだ。
しかし、この作品は今日では上演されることはまれである。実は私自身も2009年にパリ・オペラ座で上演された話題作をDVDで観たにすぎない。演出のポイントは、プロヴァンスの農村の純朴な情景の美しさをいかに表現し、音楽にマッチさせるかにあるだろう。その意味でニコラ・ジョエルによる光と闇のコントラストを駆使した抒情豊かな演出は成功だったと思う。なお、日本初演は2014年に新国立劇場で行われており、演出は『ベルサイユのばら』(フランス革命期を描いた歴史ロマン漫画)の原作者である池田理代子さんであった。

街角に貼られた舞台劇「ミレイユ」のポスター(2024年)
ところで、2024年は、3つの意味でプロヴァンスにとって特別な年であった。ミストラルのノーベル文学賞受賞120周年、ミストラル没後110周年、そしてフェリブリージュ創設170周年である。これを記念して制作されたのが、戯曲『ミレイユ――ミストラルの夢』だ。監督はジェラール・ジェラスが務めた。戯曲「ミレイユ」も、アヴィニョンやマイヤンヌなどのミストラルゆかりの地を中心に上演された。
アヴィニョン劇団局長のジュリアン・ジェラスは、ミストラルの作品をペローやモンテーニュと並べて、古典の一つに数える。この劇を通して「プロヴァンスの中心に身を置き、ミストラルの夢を共有しよう」と述べた。彼にとって、演劇と芸術は包括的な存在だ。彼が演劇の通底に見いだすのは、「旅」と「愛」だ。「複雑な存在である他者に対して、私たちは再び人間性の魅力に包まれることができるし、人間存在を成り立たせている情熱の一端を見つけることができるのだ」。他者との出会いは、驚きや感動の体験の連続である。彼は戯曲という作品を通じて、この感情を再燃させようとしている。

「ミレイユ」の舞台でのワンシーン
古典の再解釈と現代の融合によって新たによみがえった『ミレイユ』は、「愛」を軸にした躍動する人間性をあらわにしたものだった。
同年9月、『ミレイユ――ミストラルの夢』は、マイヤンヌのミストラル祭でも上演された。祭りの2日目の夜、広場で1時間半の野外上演が行われた。私は、ユージェニーさんたちが準備してくれていたチケットを手渡され、最前列の席でみんなと一緒に「ミレイユ」の世界を堪能した。月明かりのなか、スポットライトで浮かび上がる劇場。集まったおよそ250人全ての視線が注がれた。

劇中でミストラル役はナレーターも務めた
主演を務めたのは、ミレイユ役のジュリエット・ガルビと、ガルサン役のフランソワ・サントゥッチだ。サントゥッチは、6歳から舞台に立つ俳優だ。彼の地元では人気のチーズ職人としても知られている。ガルビも彼に負けないくらいの女優暦で、2023年にはベルリン国際映画祭で上映された作品『AFTER』(アンソニー・ラピア監督)でハンナ役を演じている。
俳優のニコラ・ドロマールはナレーターとしてミストラルの役回りで舞台に登場した。暗闇の中に照らし出された彼の表情は陰影が引き立ち、ミストラルの生き写しのようだった。「詩、太陽、自由。今夜、さすらい人がミストラルの記憶の扉を叩く」。この夜は魔法にかけられたかのように、ミストラルとプロヴァンスが、演者と観客の思考と魂に火をつけた。
ミレイユとガルサンの出会いの場面、ミレイユをめぐる両親や村人の間での喧嘩など、人間性があらわになる場面にスポットが当たった。「マガリの歌」など、ときおりプロヴァンス語で演技された場面は、プロヴァンス精神の情動を表現するものだった。

市民によるミレイユ劇のDVD
劇が終わった後、マイヤンヌの人々とパスティスを飲みながら劇の話をしたのだが、「内容は理解できたのかい?」と心配されてしまった。プロヴァンス語での演劇を正確に理解できるのはプロヴァンス人だけだからだ。「感動的でした。ミレイユは読んだことがあるので。日本語にも翻訳されていますよ」と返すと、近くにいた寄宿先のローズさんが「ミナはミストラルの研究者だよ」と援護してくれた。
しかし、彼らは名前を知ってはいるが、『ミレイユ』を読んだことはなかったと言うのだ。「これを機に読んでみないとな」と言う村人の話を聞いて驚いた。上演後、関連書籍やグッズ等を販売するブースにて、地元の人たちが作成したミレイユ劇のDVDを見つけ、さっそく入手した。プロの上演とは趣が異なるが、手作りならではの温もりが伝わってくる出来栄えであった。
生活文化の中に深く浸透していた『ミレイユ』。19世紀に人気のあったミストラルは、現在ではやはり過去の人物として忘れ去られているのか。後日、お会いしたモンペリエ大学名誉教授のマルテル先生は「ほらね。ミストラルが語っているのは夢だったんだよ。実現しなかった」とおっしゃった。確かに、ミストラルが旗揚げした地域主義運動は、地域の枠を出ることはなく、ナショナリズムとして大成することはなかった。それでも、「ミストラルの夢」は、振り子のようによみがえっては、私たちの頭の中に語りかける。それは、プロヴァンス文化のあちこちで逍遥し、常に「ミストラル」という名前を冠して現れてくる。例えば、近年、プロヴァンス語と文化を促進する町村に「ミストラルの町」という称号が与えられているように。19世紀も現在も、その思想は地下水脈のごとく人々の意識の底に眠る感情を潤し、静かに紡がれている。(つづく)
(写真提供:安達未菜)
*安達先生のインタビュー記事
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