
街を見下ろすスコピエ要塞(北マケドニア)
日本を出発して24日目。僕たちは今、北マケドニアの首都スコピエに滞在しています。ユーラシア大陸を横断する長い旅の第2弾。去年のヨーロッパ編に続き、今年は中欧から南西アジアを目指し、133日間の行程を組みました。ここまでポーランドのワルシャワから始まり、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアとバルカン半島を南下し、ギリシャのテッサロニキに向かっています。それから先、トルコ以降は東に進むにつれて不確実性が増し、旅はまさに「出たところ勝負」となるでしょう。これまでの旅歴に照らしても、コーカサス地方や中東、中央アジア、南西アジアでは、綿密に立てた計画ですら、ほどなく希望的観測と変わらなくなってしまいますから。
日本でなら頼りになるお金もゼロでは困りますが、さりとて万能選手ではありません。土壇場で味方になってくれるのは、たいてい時間と自分の判断力と行動力だけ。しかし、それらも残念ながら力およばず、結局プランはAからBに、BからCになってしまうのがお約束。こんな弱音を吐くと、なぜそんな旅をするのか?と首をかしげられそうですが、実は当の本人もうまく説明できないのですよ。好奇心の一言では片づけられない理由が何であるかを。

クラクフの聖マリア聖堂前広場(ポーランド)

コシツェの繁華街のフラブナ通り(スロバキア)
この不思議な感覚に初めて気づいたのは若かりし頃、ライダー時代に帰りの日付も具体的なルートも決めず、東京の晴海ふ頭から苫小牧行き夜行フェリーに乗ったときのこと。燃料の重油が燃える臭い、遠く響く霧笛、照明塔の光が港を照らし、まばらな乗客がデッキから見送りの人に手を振る中、僕はひとり、夢でも見ているかのように、目の前の光景を傍観していたのです。不安? 孤独? いや、そのいずれとも違う何かを感じながら。
しかし、船を係留するもやい綱がボラードから外され、ウインチに巻き上げられて行くのを見た瞬間、心の中で何かがひらめきました。そうか、もしかしたら僕は今、自由になったのかも? 揺るぎない大地との絆が絶たれ、不安定な波のうねる海に出る。この船の中では誰も僕のことを知らないし、僕もまた誰も知らない。本当のひとりぼっちじゃないか。でも、これこそ、すべてのしがらみから解放された、という意味に違いない。僕は自分が社会的アイデンティティーを捨てた、ただの人間として立っていることを知りました。何かをつかみ取るのではなく、持っているものを手放すところから自由は始まるんだ。ここからなら何でもできる。自分が望めば。
それ以来、僕はたびたびこの感覚を味わうことになります。今回のような長い旅に出たときだけではなく、会社を辞めて、IDカードを総務に返し、大きなビルから外へ出たとき、独立を決めて、ととら亭を作るテナント物件を探しに家を出たとき、それまでの自分を限定する綱が解かれ、肩書のない状態から再スタートする、独特な高揚感を感じていたのです。うまく言葉にできませんが、命綱なしのフリークライミング、といったら当たらずとも遠からず、でしょうか?

デブレツェンのピーターフィア通りを走る市電(ハンガリー)
ところがそう簡単にハッピーエンドは訪れません。やって初めて、「自由」とはどういうことなのかがわかりました。一般的には「何でも好き勝手にできること」と思われているようですが、それはビッグな誤解なのですよ。確かに自由は楽しいし、それは本当です。しかし、同じ文字を使うにもかかわらず、けして楽ではありません。いや、むしろ限定されつつも守られた不自由のほうが楽なのではないか、と思うことが多いくらいに。ここでまた、僕は答えに窮します。なぜ、困難な状況に自ら飛び込むのかと。尽きない好奇心を満足させるために自由を求め、旅から得られたものは、とどのつまり何だったのか? それはたぶん、未経験のことに挑戦した結果と引き換えでなければ手に入らない、達成感なのかもしれません。青くさい言葉に言い換えると、「生きている実感」……なのかな。
あれは去年の旅の前半、スペインの北西部にあるサンティアゴ・デ・コンポステラに到着したときのこと。大聖堂前に広がるオブラドイロ広場には、無数のカミーノ(巡礼者)たちが集まっていました。巡礼路は最長で銀の道の1000キロメートル超、最短でもポルトガルから北上する240キロメートルもあります。カミーノたちはそのルートを自分の意志で選び、何日もかけて、徒歩でここまでやって来たのです。迎えてくれた家族や友人と抱き合う人、ひとり広場に座り込んで空を見上げている人、誰のためでもない、自分のために、自分を信じ、自分の足で歩き続けた日々。広場には、無数の、無名の歓喜があふれていました。僕はクリスチャンではないので場違いな気もしていましたが、カミーノに混じって広場にたたずんだとき、奇妙にも、こみ上げてくる熱い思いを感じていたのです。
そう、これなんだよ、今まで探し続けていた理由は。お金のためではなく、地位のためでもない、SNSの「いいね」や「フォロワー」の数のためでもない、自分で自分のために選択したチャレンジ。ここで彼らはゴールを迎えたけど、僕らの冒険はまだ始まったばかりなんだ。

サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂前のオブラドイロ広場(スペイン)

広場を目指すカミーノたち。白いホタテ貝が彼らのシンボル
ユーラシア大陸は広大なので、僕らは旅のルートを分割し、そのつどゴールを決めて進んでいます。第1弾の最後がトルコのイスタンブール。去年の12月初旬、エミノニュの港に着いたときに感じた達成感は、言葉にできないものでした。振り返って見えるのは、自分が本当に歩いたとは思えない、はるか彼方へと続く道。それはまさしく、カミーノたちが感じていたものと同じだったかもしれません。暑く、寒く、楽しく、また厳しかった127日間におよぶ旅が目の前で終わろうとしている。日々さまざまな出会いがあり、いろいろなことが起こりましたが、そこから学んだのは、とどのつまりただ一つ。「自由な旅」とは何だったのか、ということ。
そして今、僕らは自由な旅人になり、次の旅の途上にあります。ルートはあらかじめ公表しましたが、実はコーカサス以降にどう進むのか、はっきり決めていません。アゼルバイジャンのバクーから空路でトルクメニスタンのアシガバートへジャンプするか、それともアルメニアから陸路でイランを経由して中央アジアへ入るか、もう少し先まで進んでみないとわからないのです。国際情勢や現地の治安、季節と天候、すべてが流動的ですし、間接情報はいくら積み上げたところで推測の域を出ませんからね。事前にやれることはやりますが、最後は与えられた条件下でベストを尽くすだけ。

ガラタ橋から見たエミノニュの夜景(トルコ)
さて、明日はスコピエから長距離バスでギリシャのテッサロニキに移動します。そこで料理の取材を終えたら空路でキプロスへ。そしてもう一度ギリシャに戻り、今度はピレウスからフェリーでキオス島を経由し、チェシュメを始点にトルコを西から横断する予定。この記事を皆さんがご覧になるころには、たぶん中東をどう抜けるのか、めどが立っているでしょう。
計画と結果がイコールではない旅。いや、明日がどうなるのかさえ予測がつかない旅。当然、最初は不安を感じると思います。でも、自由な絵を描くためには色紙ではなく、罫線すらない白い紙が必要であるように、自由な生き方もまた、期待や先入観のないところにしかありません。そして、なまの経験に飛び込むための「自由な旅のレシピ」は、僕が話した方法しかないというわけでもない。そう、もう気づいていらっしゃいますよね? 第1回の話から、ここまで一緒に旅を続けた後、あなたの心に浮かんだビジョンこそが、あなたの旅のレシピなのです。後はそれを使って、最初の一歩を踏み出すだけ。その先には見果てぬ未知の世界が広がっています。さぁ、次はスマホやパソコンのスクリーン越しにではなく、どこか旅の空の下で会いましょうか。いってらっしゃい!(おわり)

See you on the next trip!(トルコのエフェソス遺跡にて)
(写真提供:久保えーじ)
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