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美しいくらし
自由な旅のレシピ 「旅の食堂ととら亭」店主
久保えーじ
第10回(上) 旅のトラブルシューティング――選ぶ
いきなり出鼻をくじくようですが、旅のトラブルは必ず起こります。それは避けられません。しかし、その頻度と難易度は、行き先を選択する段階である程度コントロール可能です。ここで目安となるのが、アクセス、文化、自然環境、治安、衛生、交通、宿泊、食事の8項目。
一例としてサハラ砂漠以南のアフリカ諸国へ行く旅を検討してみましょう。アクセスは直行便がなく、乗り換えが必須。フライトタイムも長い方が最低12時間を超え、かなり疲れます。文化はプロセスに重きを置かない「終わりよければすべてよし」型。気候も赤道付近が熱帯性気候で、それより南下すれば季節は日本のある北半球と逆です。治安は夜間のひとり歩きが論外のうえ、衛生にいたっては生水、生もの共にダメ。交通は基本的にタイムテーブルがないため、移動のスケジュールが立てられません。宿泊は旅行がまだ一般的ではないので旅行者に便利なツーリスト街がなく、食事をするにも外食文化が発達しておらず、飲食店は僅少。
以上を総合すると、現地でいったいどんなことが起こるのか? それを説明するには、エチオピアのアジスアベバへ行った旅を振り返るのが手っ取り早いでしょう。

エチオピアのアジスアベバから南へ下ったオロミア

オロミアの青空マーケット


「こ、ここはどこだ?」。21時過ぎに飛行機からタラップで降ろされたのは、照明もまばらな広い駐車場のような場所。数少ない乗客が徒歩で30メートルほど先にある小さな建物に向かっています。僕の旅歴で「間違った場所に降ろされたのかも?」と不安になったのは、これが初めてでした。その直感が別のショックで覆ったのは、建物に入ってからです。狭い室内にイミグレーションブースがふたつ。しかし中には誰もいません。人といえば、ブース前の壁に寄りかかる、よれよれのパーカーと破れたジーンズ姿の青年がひとり。僕は彼がIDカードを首から下げているのに気づきました。「入国審査官ですか?」と聞けば、何も答えず、ただジェスチャーで「こちらに来い」。そして発したのは「パスポート」の一言だけ。ためらいがちに渡すと、個人情報ページを一瞥しただけでスタンプをガシャン。押されていたのはエチオピアの入国スタンプです。どうやら別の国に着陸したのではなさそうですが、それにしても……。

その驚きが冷めやらぬうちに、さらに大きな次の衝撃がやってきました。イミグレーションブースのすぐ後ろにある薄暗いバゲッジクレームには、壊れかけた小型のターンテーブルが1台。その周りには乗客とも職員とも思えない人々が20人くらい、床に座ったり寝転んだりしているではないですか! ここはまだ関係者以外は入れないセキュリティーゾーンですよ。わが目を疑うとは、このことでした。幸いバックパックはすぐに出てきたので、部屋の隅にあった両替窓口に行き、エチオピア通貨のブルをゲット。と思ったのも束の間、すぐ周りを囲まれ、始まったのは「マネー!マネー!」の連呼。その人垣をかき分けながら逃げるようにドアを出ると、そこは到着ロビーではなく、暗い戸外だったのです! これではホテルに頼んでおいたピックアップのドライバーと落ち合えません。慌てて建物に戻ろうとしたら、今度は警備員に逆行はできないと遮られてしまいました。

僕らが夜明かししたアジスアベバ国際空港第1ターミナル


仕方なく建物を回り込み、出発ロビーの入り口へ。再度手荷物検査を受けて中に入ると、バスターミナルのチケット売り場のようなロビーは半分照明が切られ、カウンターはおろか、見回した限り、人っ子一人いないではありませんか。首都のアジスアベバは標高が2355メートルあり、ロングフライトで疲れた体には結構つらい。早く休みたい一心で、この状況を伝えようとホテルに電話しましたが、ただむなしく呼び出し音が鳴るだけ。2人とも喉がカラカラです。標高の影響で軽い目まいもしてきました。急いで水を飲まなければ、と思いつつも周囲にカフェはおろか売店もなし。

そこへ運よく現れたのが制服姿の職員。待ってましたとばかりに「水が買いたい」と話したところ、彼は暗い外を指さし、「100メートルくらい先に行けば売店があります」。この訳がわからない状況で、僕がひとり、あの暗闇の先で売店を探す? イヤな予感満々でしたが、背に腹は代えられません。僕はそっと建物を出て、人目につかないよう忍者走りで空港職員が指差した方向へ向かいました。少し先にぼんやり灯りが見えます。その手前は駐車場になっており、客待ちのタクシーが数台。見つけたのはキオスク程度の大きさの掘っ立て小屋です。僕は店員から向けられた訝し気な視線を無視し、ペットボトルの水を2本買って、間髪入れずにターミナルへダッシュ。落ち着いたところで時計を見ると23時を回っていました。もう一度ホテルに電話をするも結果は同じ。結局、迎えの車は現れず、先方から連絡もないまま、空港のベンチで夜を明かす羽目となったのです。
なぜタクシーでホテルに向かわなかったのか? 深夜の空港や駅でタクシーを拾って移動するのは大変危険だからです。ドライバーが人けのないところに向かい、パートタイムの強盗に早変わりするのは珍しいことではありませんので。

僕らが投宿した「由緒ある」らしいホテル

一応「中級」なのですが、部屋はこんな感じ

朝になって、ようやくホテルまで自力でたどり着き、フロントの女性に昨夜の事情を説明したら、「ああ、ここまで来られて良かったですね!」と笑顔であしらわれておしまい。その後もホテル内を歩けば建物の1/3が火事で焼け落ちており、インターネットのスピードは懐かしのモデム級。朝食後、3時間ほど経つと決まって腹具合がおかしくなり、それはトーストに塗ったバターが原因だったことがわかりました。
とどめは出国前に空港へ向かうタクシー。急いでいる中、途中でエンストしてドライバーがプラグの交換を始めたのはご愛敬でも、無視できなかったのは後部座席のシート。そこかしこが破れてスプリングが飛び出しており、それを隠すために安っぽいフェイクのトラ革が敷かれていたのです。恐れていたのは、その汚さだけではありません。毛皮に潜むダニを避けるため、なるべく腰を浮かせていましたが、30分以上中腰トレーニングを続けるのは無理な相談です。結果的にその後の1週間、下半身の強烈なかゆみに悩まされたのは、泣けるお土産でした。

アジスアベバのタクシー。覚悟して乗りましょう


ここまで知りながら、「初めて個人旅行にチャレンジ!」という方に、サハラ以南のアフリカ諸国はおすすめできません。しかし、逆もまた真なり。直行便が飛んでいて、日本との文化ギャップが小さく、同じ北半球で緯度が近く、治安も良好で、生野菜が食べられ、時刻表に従って交通機関が動いており、ホテルは日本の水準と変わらず、飲食店も多い。そうした国を探せばいいわけです。

広蔵(韓国)市場内の飲食店街。おいしい店がいっぱい

台北駅には日系企業の飲食店が多数出店しており、さながら八重洲の地下街のよう

そこで、すぐ思い浮かぶのが韓国のソウルと、台湾の台北。いずれも先に挙げた8つの項目をクリアしているだけではなく、日本語が通じる可能性さえあります。さらに石橋を叩いて渡るため、航空券は信頼できる旅行代理店を通して購入しましょう。コストを優先するのであればLCCのウェブサイトから直接買う手もありますが、そうした場合、大きな遅延や欠航が発生した際に、すべて自分でリカバーしなければなりません。その点、旅行代理店を通していれば、基本的に連絡が代理店経由で入り、対応も一任できるでしょう。

また、ホテルも直接予約するのではなく、これも旅行代理店を通したほうが、万が一、手違いが起こった場合でも、自分が矢面に立たなくて済みます。グレードも最初は中級以上で24時間フロントがいるホテルが無難でしょう。最近流行りつつある無人ホテルではすべからく自分でやらなければなりませんし、安宿は安いなりに、トイレの水が流れない、エアコンが壊れているなど、自己解決が難しいトラブルが待っているものです。

最も簡単で、応用範囲の広いトラブルシューティングテクニックとは、自らトラブルに飛び込まないこと。そのためのいちばん確かな自衛策が、「渡航先を自分の旅の経験に応じて選ぶ」なのです。そんなわけで、ワイフの智子のソロデビュー先は台北でした。帰国したとき、その後の旅の自信になったとうれしそうに話していましたよ!(つづく)

(写真提供:久保えーじ)
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【くぼ・えーじ】
1963年神奈川県横浜市生まれ。ITベンチャー、商業施設の運営会社を経て2010年、妻で旅の相棒であり料理人でもある智子とともに、現地で食べた感動の味を再現した“旅のメニュー”を提供する「旅の食堂ととら亭」を開業。同店の代表取締まられ役兼ホール兼皿洗い。これまで出かけた国は70以上、旅先で出会った料理の再現レシピは140以上にもなる。2010年に東京・中野区野方に「旅の食堂ととら亭」を開店。2022年7月に葛飾区柴又に移転、新店舗をオープンさせる。
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