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美しいくらし
自由な旅のレシピ 「旅の食堂ととら亭」店主
久保えーじ
第3回 旅の主人公は誰?
旅に唯一の正解はありません。その人の選んだ旅がその人にとってのベストであり、ときには思いつくままぶらりと出かけるのもまた一興でしょう。しかし、ただ漫然と回った旅は、残念ながらあまり記憶に残らないものです。せっかくおカネと時間をかけて行くのですから、それでは少々もったいない。半面、何か一つでもいいからテーマを持っていると、訪れる場所やルートの軸が定まり、旅はがぜん、生き生きとしたものになってきます。


今でこそ僕らの旅の目的は「料理の取材」ですが、かつては「世界の5大美術館を制覇しよう!」とパリやニューヨークを訪れ、朝から晩まで絵画鑑賞にふけったこともありました。

古い絵画は料理や食材の歴史を知る手がかりにもなる(オランダ王立美術館)

型破りな旅人に出会ったドバイ国際空港

また、ととら亭に集う旅人からも、「お気に入りのアーティストの海外公演に行ってきます!」「年に1回は世界遺産を訪れたくて」など、さまざまなテーマを聞く機会があり、そのバリエーションと意外性は、狭まりがちな視野を広げる良いきっかけを与えてくれています。
中でもほかに類を見なかったテーマは、ドバイで出会った40歳前後と思しきソロの男性のもの。空港を出て地下鉄に乗ろうとしていたとき、話しかけてきた彼の目的は、なんと「宝くじを買うこと」だったのです! しかも彼が乗ってきたのは僕らと同じ成田―ドバイ便で、宝くじを買ったらすぐ帰るというではありませんか。そう、12時間かけたナイトフライトの後、1泊もしないで、ですよ。さらにこれが彼の初の海外旅行、と続けられては、さすがに僕らも開いた口がふさがりませんでした。世に星の数ほど旅人がいても、その目的はまた人それぞれなのですね。

次に目的が定まると、旅は出発から帰宅までの期間をこえて、前後にふくらみを持つようになります。僕らは料理探しが目的で、かつバックパッカーとなれば、移動から宿泊、レストラン探しまで、すべからく自力でやらなければなりません。インドやコソボ、アゼルバイジャンなどの軍事的緊張のある国や、内政に不安のあるジョージアのような国に行くこともあり、その場合は入出国だけではなく、治安環境を中心にかなり細かく現地の状況も調べています。旅先では孤立無援のため、不用意に入国すると手痛い目にあいかねませんからね。
そして帰国後は、現地で見つけた料理のレシピを探したり、メニューのキャプションを書くために、当該地域の歴史や宗教などの資料を再読するのも毎度のこと。こういうと仕事くさく聞こえるかもしれませんが、実のところ旅の準備と取材の結果をまとめる作業は、まさに旅の延長ともいえるもので、いつも楽しみながらやっています。

厨房での取材(オマーンのマスカット)

こちらは智子の料理取材ノート


この「準備と振り返り」は他のテーマを持った旅人たちも同様で、「現地でもっとローカルと交流したい」と語った女性は、英会話を習い始めましたし、「旅先でお酒を飲むのが楽しみ」の男性はワインスクールに通い出しました。また、帰国後はさらに現地の情報を調べ、撮った写真と合わせて、まるで市販の本のように美しく完成度の高いアルバムを作っている方もいらっしゃいます。いずれも出発前から旅が始まり、帰国後も旅が続いている典型的なケースですね。

こうした旅人たちに共通しているのは、自分の旅に正面から向き合い、主体として関わっていること。ゆえに、その人の旅について質問をすると、すぐによどみない答えが返ってくるのですよ。そしてこれは個人旅行、パックツアーなど、旅の形態を問いません。
たとえば、定年後はパックツアーでさまざまな国を旅したという80歳台の女性がおりました。彼女の渡航先はヨーロッパ諸国に始まり、アフリカ南部や中南米など大変バラエティーに富んだものでしたが、何年前の旅行でも、聞けばまるで昨日のことのように話し始める様子には感心したものです。その後、この記憶力の謎も、彼女が帰国後に作っているという旅行ノートを見せてもらって解けました。観光だけではなく、地理や歴史を取り交ぜた内容は、さながら僕が取材中に書いているメモとそっくりではないですか。趣味とはいえ、ここまで掘り下げているのであれば、旅の記憶も色あせることはないでしょう。

旅との関わり方と記憶の関係に気づいたのは、ライダー時代のことです。ツーリング仲間がいる場合は縦列で走るため、地図や標識を確認しながらルートを決めるナビゲーションは、おのずと列を率いるトップの役目になります。残りのライダーは後について行くだけ。これは実に楽でして。あれこれ状況判断しなくても済みますからね。
ところが、そこに思わぬ落とし穴がありました。目的地に着いて振り返ると、トップのときはソロと同じく途中のルートをはっきり覚えているのですが、後続の場合は記憶が全体的にぼやけているのですよ。

人でごった返す街(トルコのイスタンブール)

昨今の事情でいうなら、ソロでもスマートフォンに依存した場合はこれと同じことが起こり得ます。
たとえば、初めて訪れた街で地図アプリのナビ機能はとても便利ですが、スマホに目を落としたまま歩き続ければ、先のツーリングの例のように、移動中の記憶も曖昧なものとなってしまうでしょう。スマホのバッテリーが切れたとたん、自分がどこに居るのかさえ、わからなくなってしまいますしね。ここでツールを上手く使うコツは、「ながらスマホ」はせず、脇で立ち止まって現在位置と進むべき方向を確認したら、後は心身ともに現実の世界を歩くことです。一度にすべてのルートを覚えられなくても大丈夫。ショートピッチで目標物を見つけながら進めば、やがて目的地に到着しますからね。

旅の記憶はいつまでも旅人と共にあり、ときには人生という最大の旅においても、道に迷えば僕らを支えてくれるものです。そして旅の記憶の濃さは、主体として、どれだけその旅に強く関わったか、で決まる。思えば、これはそれほど難しいことではありません。なぜなら、どんな旅をするにせよ、主人公は、常にその旅人自身ですからね。(つづく)

▶次回のレシピ▶▶▶

市場での取材(チュニジアのチュニス)

IT技術の進歩が著しい昨今、小さなディスプレーに表示される世界はリアリティーを増すばかりですが、情報はいくら積み重ねても、現実と同じにはなりません。
次回は「情報と経験のワナ」と題し、旅人として、いかに必要な情報を集め、それに惑わされず役立てていく方法についてお話します。

(写真提供:久保えーじ)

【「旅の食堂ととら亭」ホームページ】http://www.totora.jp/
『世界まるごとギョーザの旅』の詳細はコチラ⇒
*ととら亭の連載
〈ところ変われば料理も変わる!?〉はコチラ⇒
〈柴又で始まる「ととら亭」の第2章〉はコチラ⇒
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【くぼ・えーじ】
1963年神奈川県横浜市生まれ。ITベンチャー、商業施設の運営会社を経て2010年、妻で旅の相棒であり料理人でもある智子とともに、現地で食べた感動の味を再現した“旅のメニュー”を提供する「旅の食堂ととら亭」を開業。同店の代表取締まられ役兼ホール兼皿洗い。これまで出かけた国は70以上、旅先で出会った料理の再現レシピは140以上にもなる。2010年に東京・中野区野方に「旅の食堂ととら亭」を開店。2022年7月に葛飾区柴又に移転、新店舗をオープンさせる。
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