
ビガラディエの花
ローズジャムやローズティーは日本でも知られていますが、南フランスではクッキーやパンの香りづけにEau de fleur d’oranger(オレンジフラワーウオーター)を加えることが多いですね。オレンジの果実やその白い花の香りとも少し違う、とてもやさしい香りです。オレンジフラワーとはBigaradier(ビガラディエ)と呼ばれるビターオレンジの木に咲く花のことで、日本の皆さんには橙の花と言ったほうがわかりやすいかもしれません。ビガラディエの花から水蒸気蒸留によって精油とともに抽出されるのが、オレンジフラワーウオーターです。
“香水の都”と呼ばれるグラース近郊の町、ヴァロリスでビカラディエの栽培が始まったのは1895年。グラースの香水工場へ原料を供給するためでした。香水の原料として用いられるビカラディエの精油はネロリと呼ばれ、1キログラムの花からたったの1グラムしか抽出できない貴重品です。20世紀初頭に最盛期を迎えた後、さまざまな理由によって生産量は減少してしまいましたが、近年になって保護・再生の動きが出てきています。毎年5月にはヴァロリスでFête de la Fleur d’Oranger(オレンジフラワー祭り)も開催されているので、機会があれば足を運んでみてください。
私は以前からオレンジフラワーの収穫を体験してみたいと思っていたのですが、インターネットで探しても、観光局に問い合わせをしても、なかなか情報を得られませんでした。オレンジフラワーの生産者がとても少なくなっていたからです。
ところがある日のこと、ママンと一緒にやっているブロカントのオンライン販売のお客さまから「ラベンダーの精油が欲しい」と頼まれました。南仏のマルシェやお土産屋さんでラベンダーの精油は山ほど売っていますが、必ずしも質のいいものばかりとは言えません。そこでお客さまのために信用できる地元の生産者を探している過程で、10年以上前に観光案内で別のお客さまをお連れしたクリストフさんのことをふと思い出したのです。
わが家からさらに山のほうに住んでいるクリストフさんは、数年前からオーガニックや野生の植物を丁寧に摘んで自分で蒸留し、良質な精油や自然化粧品を作っていました。さっそくラベンダーの季節にアトリエを訪問した際、「いつかオレンジフラワーの収穫も見てみたい」と言ったら、翌年声をかけてくれたのです。
オレンジフラワーの収穫は4月中旬。誘ってくれたのはヴァロリスにある一般家庭のお庭で、オレンジフラワーの生産者ではありません。この家では昔から無農薬の木を約50本所有していて、クリストフさんに毎年収穫を任せているのだそうです。
収穫は早朝から始まりお昼前には終わります。太陽が昇って暑くなると花の香りが悪くなってしまうためです。私が訪問したときは何人かで静かに仕事をしていました。木の下に白いシーツを広げ、真っ白な美しい花をひとつずつ丁寧に手で摘んで、翌朝アトリエで蒸留するのです。
残念ながら50本の木からはネロリができるほどの大量の花は採れないため、クリストフさんはオレンジフラワーウオーターだけを製造販売しています。ボトルに入れてスプレーを加えると化粧水として簡単に使えます。保湿効果があるので乾燥肌や脂性の肌の人におすすめ。香りを嗅ぐことでリラックスできるので私も愛用しています。もちろんオーガニックなのでそのまま飲むこともできます。鎮静効果もあるので高ぶった気持ちを落ち着かせ、不安やストレスを和らげてくれるのです。

マルセイユ発祥の「ナヴェット」
オレンジフラワーウオーターを使った南仏のお菓子でいちばん知られているのは、小さな舟の形をした港町マルセイユ発祥のNavettes(ナヴェット)でしょう。見た目は少し硬そうですが、とても食べやすいクッキーです。そのまま食べても美味しいですが、私はコーヒーに浸して食べるのが大好きです。そしてもう一つはFougasse(フーガス)という名の柔らかくてちょっと甘いブリオッシュ。グラースにあるパン屋さん「VENTURI」のフガースが有名です。
ママンはフルーツサラダやクッキーに時々加えるぐらいですが、義母のマミジョーはオレンジフラワーの香りが大好き。クレープ生地を作る際には必ずオレンジフラワーウオーターをたっぷり入れます。口の中にフワッと太陽いっぱいの優しい香りが広がるのです。夫にとって、オレンジフラワーは子ども時代を思い出させるママンの香り。今では長男のエリオットもオレンジフラワーの香りがすると、「マミジョーが作ってくれたんだね」と言います。(つづく)
【マイ コートダジュール ツアーズ】
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定価2200円(税込)
地元っ子ならではの視点で案内する
南フランス12カ月の暮らしと街歩きの楽しみ方
生まれ育ったニースを拠点に、日本人向け貸し切りチャーターサービスの専門会社を営む著者が、流暢な日本語を生かして綴る南フランスの日々の暮らしと街歩きの楽しみ方。1年12カ月、合計60のエピソードを収録。興味のある月やテーマを選んで気軽に読めるので、日々のちょっとした空き時間を使って太陽の光あふれる南仏コート・ダジュールを旅した気持ちになれる一冊です。4世代に伝わる家庭料理の簡単レシピも収録。

【Stephanie Lemoine】
1979年フランス・ニース生まれのニース育ち。高校で第3外国語として日本語を選択、大学はパリにある国立東洋言語文化学院(Institut national des langues et civilisations orientales)で日本語と日本文学を専攻。大学時代の1年半、東京学芸大学に留学。ニースを拠点にした日本語ツアーや通訳、各種コーディネートなどを提供する「マイ コートダジュール ツアーズ」に、日本語ドライバーとして2008年から勤務し、10年に社長に就任。フランス政府公認ガイド。日本でのお気に入りの場所は宮島(広島県)と湘南(神奈川県)。大好きな鎌倉で老後を過ごすのが夢で、2人の息子たちには毎日欠かさず日本の話をしている。