南仏の田舎の家に行くと、庭には必ずと言っていいぐらいレモンの木があります。そのおかげでスーパーやマルシェでレモンを買う必要がなくて、一年中採れたてのフレッシュなレモンを料理や紅茶に入れて楽しめるのです。
もちろん我が家の庭にも立派なレモンの木があります。 30年前に植えた木で、年に3、4回ほど実ができる四季成りレモンです。無農薬で立派な実が毎年たくさん採れるのが私の自慢。マミーがデザートを作るときに使ったり、私の夫が健康のために毎朝1個を絞ってそのままで飲んだり……。風邪を引いたときは薬のような効果がありますし、ハチミツと混ぜて飲むと喉にとても良いのです。
このように、南仏の生活にはレモンが欠かせませんが、コート・ダジュールでは私の住むニースよりもマントンのレモンが特に有名です。なぜニースではなくマントンかというと、それはマントン固有の気候によるものです。コート・ダジュールの最も東、イタリアとフランスの国境近くに位置するマントンは、年間316日ほぼ快晴。しかも周囲の険しい山々が寒さをもたらす東風から守ってくれるので、一年を通じて温暖な気候です。そのためレモンがとても育ちやすいのです。

マントンの町並み
マントンでレモンの栽培が始まったのは14世紀といわれていますが、販売用としての生産が本格化したのは17世紀から。19世紀まではマントン最大の収入源となっていて、イギリス、ドイツ、ロシアや北アメリカまで輸出していたそうです。ところがその後、レモンの木の病気が広がったり、寒波が続いたりして衰退してしまいます。
町の名物でもあったレモンを復活させようと、マントン市が中心となって再び栽培に力を入れ始めたのが1992年のこと。その結果、2015年には「マントンのレモン」としてPGI(the protected geographical indication/地理的表示保護)を取得します。厳しい条件をクリアしたマントンのレモンは、地元の人々の誇りとなっているのです。
《マントンのレモンと認められるための主な条件》・マントンとその周辺の4カ所の町:Sainte Agnes(サンタニェス)、 Gorbio(ゴルビオ)、 Roquebrune(ロックブルンヌ)、 Castellar(カステラー)で育てられたレモンであること
・木のままでレモンを熟成させること
・手でレモンを収穫すること
・収穫後、レモンに農薬を加えないこと
・販売する前にレモンにワックスをつけないこと

肉厚な皮が特徴のマントンのレモン
我が家のレモンとマントンのレモンの違いに、私が気づいたのは今から4、5年前。マントン旧市街のレモン専門店を訪れたときのことです。この専門店は「Au pays du Citron」という名前で、マントンのレモンで作ったジャム、リモンチェッロ(レモンリキュール)、マシュマロなどの商品がいろいろ並んでいます。味見もできるのでとても楽しいお店で、お土産選びにもぴったり。お客さまをよくご案内しています。
このお店を訪れたある日、「レモンを買います」という看板を目にしました。地元のレモンしか利用しないお店なのですが、マントンの農家のレモン生産量は年間50トン以下ととても少ないので、各家庭のレモンも購入する必要があるらしいのです。そこでさっそく「うちにもレモンがたくさんあるので、買ってもらえますか?」と聞いたら、「もちろんです。でもマントンに住んでいることを証明できる書類が必要です。お持ちですか?」と言われてびっくりしたことを今でも覚えています。
私の家はマントンから50キロメートルほど離れた場所にありますが、我が家のレモンとマントンのレモンは違うのです。確かに、あらためて両者を見比べてみると形も味も違います。マントンでは4、5種類の品種を育てていますが、いずれも楕円形で鮮やかな黄色、皮は肉厚で、香りがとってもいいのです。
味ももちろん特別です。イタリア、スペイン、コルシカ島のレモンとはまた違って、果汁が多く、酸味が非常に優しくて、苦味もありません。しかも無農薬の生産者が多いため、スライスして皮を付けたままで食べることができるのです。マントンのレモンをひと口食べた人はみんな感激します。こだわりが詰まったマントンのレモンはとっても高級で、イタリア産やスペイン産の3倍ぐらいの値段です。そのため毎年2月から3月にかけて開催される「レモン祭り(La Fête du Citron)」に使われるレモンは、スペインからの輸入品が使われているのです。
私は、マントンに行くたびにレモネードを飲むのを楽しみにしています。「レモネード」と言っても、レモン汁に冷たい水を加えただけ。本物のレモン果汁を使ったレモネードは、フランス語で「Citronnade (シトロナード)」と言います。ちょっと酸っぱいですが、砂糖を入れないで飲めるなんて、さすがマントンのレモンです。
おいしいマントンのレモンは、優秀なシェフにも大人気。マントンの3つ星レストランやエズ村の2つ星レストランのシェフにも愛用されています。マントンのレモンを使って作られたタルトやシャーベットには、必ず「マントンのレモン使用」とメニューに明記されています。
いちばん美味しいレモンタルトを食べるなら、もちろんマントンです。卵と砂糖を温めた中にレモンの果汁と皮を入れ、最後にバターを加え、それらをタルト生地に流し込んでオーブンで焼くだけのシンプルなタルトです。私がいちばん好きなのは、3つ星レストランのシェフが経営している「MITRON BAKERY」というパン屋さんのレモンタルト。このパン屋さんはマントンの旧市街に本店があって、マントンのマルシェでも毎日お店を出しています。うれしいことに、2024年からはニースのサレヤ広場のマルシェにも出店するようになりました。夫はレモンタルトが大好きで、「MITRON BAKERY」のレモンタルトを初めて買ってあげたときは本当に喜んでいました。
実は、マントンにレモンをもたらしたのはイブだという伝説があります。
アダムと一緒に楽園から追い出されることになったとき、イブは美味しそうなレモンをエプロンのポケットの中に隠していて、楽園から出た瞬間に「地球のいちばんきれいな場所にこの実をあげる」と約束したそうです。その後、いろいろな場所を経てマントンにたどり着いたとき、この地の美しさに感激したイブはレモンを真っすぐに投げ、「この地に住む人々が楽園の味を知って、長く楽しめるようにしなさい」と声をかけたそうです。
これは、1884年に刊行された《Station d'hiver de la Méditerranée(地中海の冬のリゾート)》というガイドブックで取り上げている伝説ですが、マントンの人々にとってはかなり自慢になっているそうです。(つづく)
【マイ コートダジュール ツアーズ】
http://www.mycotedazurtours.com/【mycotedazurtours Instagram】
https://www.instagram.com/stephanie_francetrip/『ニースっ子の南仏だより12カ月』

定価2200円(税込)
地元っ子ならではの視点で案内する
南フランス12カ月の暮らしと街歩きの楽しみ方
生まれ育ったニースを拠点に、日本人向け貸し切りチャーターサービスの専門会社を営む著者が、流暢な日本語を生かして綴る南フランスの日々の暮らしと街歩きの楽しみ方。1年12カ月、合計60のエピソードを収録。興味のある月やテーマを選んで気軽に読めるので、日々のちょっとした空き時間を使って太陽の光あふれる南仏コート・ダジュールを旅した気持ちになれる一冊です。4世代に伝わる家庭料理の簡単レシピも収録。

【Stephanie Lemoine】
1979年フランス・ニース生まれのニース育ち。高校で第3外国語として日本語を選択、大学はパリにある国立東洋言語文化学院(Institut national des langues et civilisations orientales)で日本語と日本文学を専攻。大学時代の1年半、東京学芸大学に留学。ニースを拠点にした日本語ツアーや通訳、各種コーディネートなどを提供する「マイ コートダジュール ツアーズ」に、日本語ドライバーとして2008年から勤務し、10年に社長に就任。フランス政府公認ガイド。日本でのお気に入りの場所は宮島(広島県)と湘南(神奈川県)。大好きな鎌倉で老後を過ごすのが夢で、2人の息子たちには毎日欠かさず日本の話をしている。