海外口演のお客さまは基本的に落語を聞くのが初めての方ばかりですので、オチや展開のわかりやすい演目であることが大事です。ところが、話がやや複雑で理解するのが難しいだろうと思っていた演目でも、いざ舞台でやってみると、お客さまの反応のよさに驚かされることがあります。
その一つが大阪弁にもとづく「手水(ちょうず)廻し」です。日本でもこの演目を演じるときは、本題に入る前のマクラで必ず事前の説明をしておく必要があります。なぜなら「手水を廻す」とは朝起きて顔を洗ったり歯を磨いたりするという意味で、現代ではほとんど使われていない大阪の古い言葉だからです。あらすじは次のとおりです。
とある田舎の宿に大阪から来た客が1泊しました。翌朝、客は美しい景色を眺めながら顔を洗おうと、宿の女中さんに「手水を廻してくれ」と頼みます。しかし、この言葉の意味がわからない女中さんは困り果て、宿の旦那さんに相談します。聞かれた旦那さんも何のことだか見当もつかず、今度は厨房の人に聞いてみたのですが、厨房の人も初めて聞く言葉だと言うのです。そこで物知りな和尚さんの知恵を借りようと、宿の近所にあるお寺を訪ねました。「ちょうずをまわす」の意味を聞かれた和尚さんはさすがに「知らない」とは言えず、「漢字で書けば意味わかる。『ちょうず』の『ちょう』は長いの『ちょう』で、『ず』は頭痛の『ず』。つまり大阪から来た客は『長い頭を回してほしい』と言っているのであろう」と、嘘のアドバイスをしてしまいます。幸いにも隣の村に頭のすごーーーく長い人がいたので、大阪から来た客の前にその人を連れて行き、長い頭をぐるぐる回すよう言うのですが、それを見せられた客は怒って帰ってしまいました……。
こうして話はバカバカしい展開になり、後半では宿の旦那さんと厨房の人が「手水」が何かを知るために大阪の宿に泊まりに行くのですが、さらに勘違いをして大失敗をしてしまいます。
この演目の難しいところは、登場人物の多さと、関西弁と田舎の方言をはっきり区別して喋らなければならない点です。私に「手水廻し」を教えてくれた上方落語の師匠は、宿のある田舎を北陸地方に設定していましたが、私にはそれが難しいので、田舎をかつて暮らしたことのある九州にして、大阪弁と博多弁で勝負しています。フランス語バージョンで披露する場合、「手水」をどのように訳すかと申しますと、あえて訳しません。ではどうするか? マクラを使って、私が日本語を勉強した時代の苦労話からそのときに出合った方言へと話をつなぎます。次に演目の肝となる漢字を手書きして見せます。
――この漢字は「手(TE)」、フランス語ではLa main(ラ・メン)。この漢字は「MIZU(水)」、フランス語ではL’eau (ロー)。この2つの漢字を合わせて「CHOZU」と読みます。
(和尚さんが登場するシーンのときには、和尚さんになりきって)
――この漢字は「長い(NAGAI)」で、フランス語ではLong (ロン)。この漢字は「頭(ATAMA)」で、フランス語ではLa tête ラ・テット。これら2つの漢字で先ほどと同じ「CHOZU」と読みます。
このように予め伝えておくと、日本語が読めないフランス人のお客さまでも明らかな漢字の違いをわかってもらえますので、日本語バージョンと同じように上方落語のベタなオチを最後まで楽しんでいただけます。ちなみに頭の長い人が頭を回して見せる場面と、宿の旦那と厨房の人が大阪で巻き起こすひと騒動は事前情報がなくても大ウケです。それはこの噺のオチが単なる言葉遊びではなく、人間なら誰でも思い当たる勘違いや知ったかぶりが招く滑稽話だからです。
私が日本語を交えながら話す「手水廻し」のフランス語バージョンの
※動画がアップされておりますので、ぜひご覧になってください。(つづく)
(写真提供:Cyril Coppini)
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