第10回(下) 旅のトラブルシューティング――避ける
第10回(上)でご紹介したように、いちばん簡単で賢明なトラブルシューティングテクニックとは、「自らトラブルに飛び込まない」でした。そのための最も有効な手段が、自分の経験に応じた渡航先を選ぶこと。では、2番目に使えるテクニックとは? 3種類の「目立たない」です。そのココロは? 目立てばトラブルが向こうからやって来ますから。
現地に到着した以降のトラブルは、たいてい人絡みです。そして、その「会いたくない人」がなぜ寄って来るのかというと、目立っているからにほかなりません。目立たなければ気づかれないので、おのずとスリや置き引きのターゲットにされることもないでしょう?
また、これは悪党ばかりとは限らず、ユニフォームを着ている人にも当てはまります。僕は他人のファッションについてとやかく言うたちではありませんが、仕事上、そうせねばならない気の毒な方々がいるのです。その一人がインスペクター(審査官)。たとえばアメリカに入国するとしましょう。もし、僕の風貌がスキンヘッドで腕は派手なタトゥーがびっしり、服はボロボロのショートパンツにタンクトップでサンダル履き――そんなルックスだったとしたら、どうなると思います? ESTA(電子渡航認証)が受理されていたとしても、すんなり入国するのは、まず無理でしょう。

ニューヨークのハドソン川の河口からマンハッタン島を望む(2006年)
あれは2006年にニューヨークを訪れた際、ニューアーク国際空港のイミグレーション(入国審査)で僕の前に並んでいたのは、20歳代中ごろの日本人女性2人。双方とも肌の露出度が高い派手な服をまとい、化粧もかなりセンセーショナルでした。海外旅行ですから目いっぱいおしゃれしてきたのかもしれません。しかし、インスペクターの受け取り方は違いました。たぶん、風俗系の出張ではないかと思われたのでしょう。彼は急に表情を硬くし、渡航目的や滞在先を早口で詰問し始めたのです。ハトが豆鉄砲を食らったような彼女たちは、もうしどろもどろ。これがさらにインスペクターの心証を悪くし、別室へご案内となってしまいました。
それから、アクティブな旅行者にとって機能的には優れていても、避けるべきファッションはアーミールック。入出国で「テロリストかも?」と目を付けられるだけではなく、滞在中に警察官から職務質問を受ける可能性があります。最悪は何かの事件に遭遇した際、動き方によっては警察から犯人の一人だと誤認されて撃たれるかもしれません。この連載でたびたび登場する僕らの写真でお気づきかと思いますが、いつも地味で相手に印象を残さない服を着ているでしょう? その理由がこれです。

カオスのようなダッカ(バングラデシュ)の道路

チャイルドレイバー(児童労働)が珍しくないダッカの街
そして、2つ目の「目立たない」が持ち物。景気が悪いと嘆きつつも、日本はまだまだ裕福な国です。僕は国内標準に照らすと残念ながら高所得層ではありませんが、発展途上国に行けば、それなりのリッチマンに早変わりしてしまうのです。僕がさして苦労せず手に入れた持ち物ですら、現地の人の大半には、なかなか買えませんからね。
たとえば2001年にバングラデシュを訪れたときのこと。僕はあまりの貧しさに愕然とし、ふと周囲から浮いている自分を見て、身に着けているものの合計金額を計算したことがあります。ジーンズとTシャツで5千円、靴が1万5千円、腕時計が2万円、カメラが8万円の計約12万円。片や当時のバングラデシュ人の平均月収は約5千円しかありませんでしたから、僕は彼らの平均月収の最低でも24倍になる代物を身に着けていたわけです。さらに当時のバングラデシュにおける若年層の失業率は約9パーセント。こうした状況で僕がどのように見られていたか、ご想像に難くないと思います。そして、この国家間経済格差はいまだ解消されず、比較的に景気が良くなったといわれるタイですら、2024年の平均月収は9万9千円くらい。約40万円はある日本の約1/4しかありません。僕らには「ちょっとした」アクセサリーや腕時計が、まったく違う目線で見られてしまうのも、無理からぬことでしょう。ですから旅先では高価なものは身に着けず、意図せぬ見せびらかしによる被害者にならないよう、十分気を付けて下さい。
最後の注意すべき目立つ要素は「行動」。旅先では開放的な気分になりがちですが、どんな国に行くにせよ、守るべき鉄則があります。それは「周りの人がやっていないことはやらない」。せっかく姿を周囲に溶け込ませても、行動が突飛なら十分目立ってしまいます。そこで困るのが、「突飛」の定義が文化によってあいまい、かつ異なること。たとえばEU圏では、路上で飲酒できません。酔っぱらって公共の交通機関に乗ると、降ろされてしまうこともあります。独裁政権国家なら、駅や空港、橋で写真を撮っただけでも、スパイ行為と見なされかねない。そういえばカザフスタンでは市場での写真撮影も禁止されていました。いずれも日本では大目に見られている行為ですが、場所が変わると意味がまったく違ってきます。
ですから、僕らも初めての国へ出かけるときは、事前に現地の文化を調べることが欠かせません。しかし、調べるといっても限界はあるでしょう。そこで、外国で未経験のことをやろうとする場合、まず周りを観察して、同じ行為を誰もやっていないようであれば控える。換言すると、鳥や魚の群れのように、「周りの行動をまねる」となりましょうか。法律や風習のすべてを覚えていなくても、これさえ守っていれば、トラブルをおびき寄せる確率がぐんと減ります。
旅はある意味、スポーツに似て、座学はあまり役に立ちません。フィールドに出て汗をかきながら、体で覚えるしかない。とりわけトラブルシューティングは、実技そのものです。なぜなら一番大切な「冷静さ」は自信が裏付けであり、自信は経験によってでしか得られませんから。その経験を安全に、自己対応可能な範囲内で積んでいく戦略が、今回のテーマです。まずハードルの低い国に行き、目立たないテクニックを身に付ける。そして、その旅で起こるであろう「空港で迷った」「買い物でボラれた」程度のトラブルシューティングを経験し、少しずつ、旅の経験値を上げるのです。
実はこれ、僕らがみな通って来た人間の成長過程そのものなのですよ。人生で本当に大切なことは、教科書やインターネットからではなく、自分の経験を通して身に付けたのではありませんでしたか? それも成功より、多くは失敗から。旅を続けていけば、いろいろなことが起こります。飛行機が遅延した程度のことから始まり、具合が悪くなって病院に行かねばならなくなったり、パスポートを紛失したり。ここでキーになるのは、それぞれのケースの対応方法を漏れなく暗記することではありません。小さなトラブルから学んだ経験をもって、中くらいのトラブルシューティングに挑戦すること。そして中くらいのトラブルの経験は、大きなトラブルに直面したとき、必ず自分を支えてくれるでしょう。だから大けがをしない程度であれば、転ぶことを恐れないでください。
今でも僕は旅先で「うぁ~、なんだこりゃ?」となったとき、ちょっとため息をついてから、こんなふうに呟くのですよ。オーケー、レッスン1。行ってみようか!(つづく)
▶次回のレシピ▶▶▶
2024年にも訪れた北マケドニア。オフリド湖を望む聖ヨハネ教会
皆さんと一緒に旅を続けたこの連載も、いよいよ佳境となりました。そこで最終回は「自由な旅人になって」と題し、2024年に続く「ユーラシア大陸横断の旅」第2弾の途上からお伝えしたいと思います。日本の秋が深まるころ、僕らが滞在しているのはブルガリアか、それとも北マケドニアか? ルートと滞在地を直前まで決めないで進めるのは、まさに自由な旅です。そのリアルな感覚を、ととら亭のオーナーではなく、一人の旅人としてお話しましょう!
(写真提供:久保えーじ)
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