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美しいくらし
端縫いに込めた思い今昔 尚絅学院大学名誉教授
玉田真紀
最終回 端縫い文化を支えた古布の流通
本連載第8回で、端切れを継いで作る作業着が、人々の暮らしを支えてきたことについてお話しました。その背景には、古布や古着の流通が深くかかわっています。例えば、寒冷地のため木綿が育ちにくい東北地方に、木綿の端切れを使った作業着が残っているのは不思議に思えます。しかし調べてみると、江戸時代にはすでに日本各地で必要とする人のために古着を回収して加工し、海運によって全国に運ぶ循環の仕組みができていたのです。どんなぼろ布でも価値があり、捨てずに生かす社会であったことに、私自身とても驚かされました。

『古着問屋旧記』写(出典: 国立国会図書館デジタルコレクション)

こうした古着商いの様子は『古着問屋旧記』に詳しく残されています(注1)。その記録によると、江戸の町で最も古い商いは元和8(1622)年で、木綿畑がなく木綿を入手しにくい奥州(今の東北地方)に向けて古着の買い付けが始まったとのこと。その4年後には8名が営む古着問屋が存在し、さらに24年後には江戸・富沢町周辺に古着問屋が立ち並ぶまでに古着の商いは発展しました。『江戸繁盛記』(1832年刊行)にもそのにぎわいが描かれています。なお「富沢」の名称は、古着屋の元締めだった鳶沢甚内(とびさわじんない)に由来するとされ、現在の日本橋富沢町にも繊維・アパレル関連の問屋が残っています。
この市で買い付けられた古着は、商人によって東北地方など各地へ運ばれ、その流通は明治時代初期には北海道から九州まで全国に広がっていきました。北海道にまで渡ったことは、アイヌのアップリケ技法(切伏文様)で作られた衣服「カパラミプ」に木綿布がたくさん使われていることからも、その広がりを実感できます。

江戸時代の古着問屋は、関東周辺から古着を集める「地古着問屋」と、大阪や京都周辺から古着を仕入れ、船で江戸に運ぶ「下り古着問屋」の2種類に大別されます。江戸では人口が多く、古着の需要が高かったため、関東周辺だけの回収量では間に合わず、常に品薄状況だったようです。そこで染織の産地や呉服問屋も多く、また瀬戸内海地域からもよい古着が集まる大阪や京都周辺から仕入れて江戸に送るようになりました。こうして下り古着問屋は江戸への卸販売で繁盛していきます。
『下り古着問屋の家業名書』という書物によれば、安政3(1774)年ごろの江戸には、古着商売にたずさわる商人が3951人もいたことが記されています。彼らの仕事は古着の販売や仲介だけでなく、古着をほどいて布にばらす人、洗い張りや仕立て直しをする職人、ぼろ布を扱う商人もいて、多くの種類に分かれていました。つまり回収した古着をそのまま売るだけでなく、種々の形に加工し再生され、新たな商品として流通していたことがわかります。

米一升(10合)用の端縫袋。絹小紋・友禅を使用

米一斗(100合)用の端縫袋。木綿絣・縞を使用


では、どのような古布・古着が流通していたのでしょうか? 江戸から明治にかけての商船の取引記録(明治10年代、北海道開拓事業のための政府調査)には、古着、古手(ふるて:使い古した衣服)、古解分(ときわけ:解いてばらしたもの)、古綿入(綿の入った着物)、古浴衣、熨斗継(のしつぎ:継ぎ当てに適した布)、織草(おりぐさ:裂き織り用のぼろ布)など、多品目が記されています。どんなに細かい端切れであっても、必要とする人が全国各地にいたため、全てに商品価値がありました。
このように流通していた布はいつでも端縫いや繕いに使えるようにと、各家庭で大切に保管されていました(第8回参照)。中には珍しい布もあり、それらは広範囲での流通の恩恵で入手できたというわけです。

端縫いの技から見えてきたもの
これまで全9回にわたり、日本の伝統の中で育まれてきた端縫いの魅力を紹介してきました。
布がとても貴重な時代、人が生きるために必要な衣服を自給するには、どんな小さな端切れも無駄にしないで使いきることが求められました。端縫いという技法は、まさにその必然から生まれたものです。

端縫いの襦袢

しかし端縫いには、単に「ぼろ継ぎ」という労働で終わるものではありません。端切れを丹念に一針ずつ縫い合わせる行為は、多彩な色柄の配置を工夫できる創造的な楽しみとなりました。日常が厳しい暮らしであれば、なおさら針と糸による物づくりは心が癒されるひとときだったことでしょう。
また端縫いでつくられた唯一無二の品は、周囲の人に技芸を披露する喜びとなり、家族や贈る相手へのメッセージにもなりました。そこには健康や延命、祝福、安全、豊作祈願といった思いが込められていたのです。さらに端切れを譲り合うことは地域の人とのつながりや助け合いの気持ちを育み、端縫いの技を次世代に教えることは生活力や風習を未来へ受け継ぐことにもつながりました。端縫いには、そのような多くの意味と価値があったと言えます。(おわり)

(写真提供:玉田真紀)

――端縫いという裁縫の技法から、日本の暮らしや作り手の思いをさぐってきた連載「端縫いに込めた思い今昔」が最終回を迎えました。端縫いは布をつなぐ技であると同時に、人と人の思いをつないできた営みでもあります。そこから生み出されたものは、決して過去の遺物ではなく、その知恵や技、そして願いも、私たちの身の回りの品や創作の中に今もそっと息づいているように思います。(編集部)

<参考資料>
注1)玉田真紀「衣生活を支えた故繊維資源の国内循環〜近世・近代初期の古着問屋・商人と流通史料からの考察〜」服飾文化学会誌<論文編>Vol.9 No.1、2008

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【たまだ・まき】
共立女子大学大学院家政学研究科修了。母校の被服意匠研究室助手、宮城県の尚絅女学院短大講師を経て、尚絅学院大学総合人間科学系教授として2024年3月末まで勤務。現在は名誉教授。専門は衣服のリユース・リサイクル文化。服飾文化学会会長。2018~2023年日本手芸普及協会理事。編著書『アンティーク・キルト・コレクション』(共著、日本ヴォーグ社、1992年)、『生活デザインの体系』(共著、三共出版、2012年)、『高等学校用ファッションデザイン』(共編著、文部科学省、2022年)など。
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