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美しいくらし
端縫いに込めた思い今昔 尚絅学院大学名誉教授
玉田真紀
第6回 子どもの健康と成長を願う百徳着物
「百徳着物(ひやくとくきもの)」とは、子どもの健やかな成長を祈願して、子どもが丈夫に育った家や長寿の方から端切れをもらい、それらを縫い合わせて作った着物のことです。古くから日本各地に見られた伝統的な風習で、宮参りなどの祝いごとに着せる「初着・産着(うぶぎ)」として用いられました。
「うぶ」には「生まれたばかり」の意味があり、初着・産着とは誕生後の三日祝い、お七夜、宮参りに着せる着物の総称です。地方によって異なりますが、昭和初期ごろまでは、「産着を生まれる前に縫うと弱い子が生まれる」という言い伝えがあり、生後すぐは、家族の前掛けや腰巻、着古したぼろなどに包んで守るという習慣もありました。生後3日を過ぎると「三日衣裳」「手通し」「袖通し」などと呼ばれる袖の付いた一つ身(2・3歳くらいまでの子どもが着る身巾の狭い着物)の産着を着せるようになります。産着には、背縫いのない一つ身に魔除けとして縫い目を入れて小さな命を魔物から守るという「背守り」、健やかな成長を願う「麻の葉文様」や、災いを避けるとされたウコン染めの黄色など、縫い・文様・色に多くの祈りが込められていました。

真成寺に納められた百徳着物

中でも端切れを集めて仕立てた百徳着物は、宮参りなどに着せる産着で、祝いにふさわしい晴れ着です。「百徳(ひゃくとく)集め」「百反(ひゃくたん)集め」「百人もらい」「百接ぎ着物」「百色着物」「三十三継ぎ」「三十三カ所布」「千枚衣(せんまいご)」など、さまざまな呼び名がありました。では、日本各地でどのような百徳着物の産着が作られてきたのでしょうか? これを知るうえで参考になったのが「日本産育習俗資料集成」(※1)です。
この資料が生まれた背景には、昭和8年、皇太子・明仁親王のご誕生が関係しています。その記念として贈られた御下賜金(ごかしきん)によって、「子供と母性の健康・福祉の増進」を目的に翌年、恩賜財団母子愛育会が設立されました。当時、乳児の死亡率が高く、特に農山漁村部では深刻な課題でした。そこで昭和10年、民俗学者・柳田國男氏の立案により「妊娠・出産・育児に関する行事・伝説・習俗の調査」が各都道府県で実施されました。調査と整理は昭和14年に完了しましたが、第二次世界大戦によって出版が遅れ、ようやく昭和50年に刊行されました。少子化が日本の課題となる現代にこそ、読み継がれる資料といえるでしょう。

この資料は、出産と育児にかかわる衣食住についての調査記録もありましたが、私が興味深く拝読したのは産着に関する記述でした。東北から九州まで、さまざまな端縫いで仕立てられた産着が紹介されていました。
秋田・栃木・京都・福岡では、子どもの育ちがよい家庭33軒から子どもの衣服の余り切れをもらい、これで着物を作るとよいとされていました。福井では48軒から48枚、福島では100人から布をもらって、岡山では「センマイゴ」といって千人から布切れをもらって仕立てたという例が。ほかにも、「百反着物」「百とこ集め」などと呼び、多くの人から少しずつ切れを集めたという群馬の話や、100色の小さな布で仕立てた着物を着せると100歳まで生きるという三重の話など、産着にまつわる記録が各地に残されています。

このように端切れの枚数には33、48、100、1000といったバリエーションがありますが、共通しているのは、多くの人から端切れをいただくことの価値。布が貴重だった時代、親族だけでなく、村中が子宝に恵まれた家を祝福して支援していました。その祝いの品として端切れを送る。それは子育てを助ける実用的な習慣でした。しかし、それ以上に、長寿の人や健やかな子どもが着た着物の端切れには、生命力が宿るという精神的な支えがあったのです。一枚一枚の端切れは小さくても、誰が着たもので、どんな気持ちで贈られたのか。そうした祈願が凝縮されているのが百徳着物で、子どもは村の宝という思いが伝わってきます。

鬼子母神を祀る真成寺

金沢市にある真成寺(しんじょうじ)には、百徳着物28点が納められています。子授け・安産祈願で知られる鬼子母神を祀っている有名なお寺で、昭和57(1982)年に百徳着物を含めた着物や人形などの産育信仰資料966点が国の重要有形民俗文化財に指定され、蔵に大切に保管されています。
私も今年(2025年)の3月に訪問し、住職の奥様・深村眞佐子さんにお話をうかがいながら、実物を見せていただくことができました。お寺に奉納された百徳着物は江戸時代後期から昭和にかけてのもの、古くは天保10(1839)年のものが保存されています。形は袖無し・袖付きとさまざま。裏面まで端切れがぎっしりと縫い合わされており、生活がとても厳しい時代に延命や成長を願う重みが伝わってきました。使われている端切れの種類は、友禅や銘仙などの華やかな着物から、地味な絣や縞まであり、中には大人の着物だと思われる染めや柄も多く、いろいろな人から譲られた端切れがであったことが想像できました。

端切れを使った産着、矢羽の背守り

裏面も端縫い


深村さんによれば、近年は若い人が百徳着物や端縫いに魅力を感じて訪れるそうです。「一針一針着物を縫うのが日常生活だった時代には、縫うことで愛情を込めていたのでしょう。ゆとりのない時代、核家族でつながりが希薄になってしまった今の時代だからこそ、若い人たちにも寺の品々を丁寧に説明することで、子守りの大切さを伝えたいと思っています」と語ってくれました。
縫うことは愛情表現の証し。百の徳を得られるように祈りが込められた百徳着物は、それを今に伝えています。(つづく)

(参考文献)
※1)恩賜財団母子愛育会編「日本産育習俗資料」日本図書センター、2008年(初版1975年版、第一法規出版)pp.373-379(産着)
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【たまだ・まき】
共立女子大学大学院家政学研究科修了。母校の被服意匠研究室助手、宮城県の尚絅女学院短大講師を経て、尚絅学院大学総合人間科学系教授として2024年3月末まで勤務。現在は名誉教授。専門は衣服のリユース・リサイクル文化。服飾文化学会会長。2018~2023年日本手芸普及協会理事。編著書『アンティーク・キルト・コレクション』(共著、日本ヴォーグ社、1992年)、『生活デザインの体系』(共著、三共出版、2012年)、『高等学校用ファッションデザイン』(共編著、文部科学省、2022年)など。
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