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美しいくらし
端縫いに込めた思い今昔 尚絅学院大学名誉教授
玉田真紀
第5回 繊細な文様と色彩を愛でる楽しみ
前回(第4回)で紹介した上杉謙信公の胴服が「名物裂(めいぶつぎれ)」を縫い合わせたものであったように、日本人は古くから端切れ(裂)に特別な思いを持っていました。その背景には舶来の美しい織物が影響していると考えられます。
鎌倉から室町時代にかけて、南蛮や中国、東南アジアとの交易でもたらされた上質な染織品は、将軍や大名の装束、舞楽や能の衣装、法衣や寺院の掛布などに用いられ、やがて茶の湯の発達とともに仕覆(しふく)や袱紗(ふくさ)、箱包みなどへと用途が広がりました。江戸時代に入ると、オランダ船によって運ばれた舶来裂が長崎・出島を通じて流通し、多種多様な端切れは珍重されるようになりました。そしてこれらは「名物裂」という固有の名称が付けられ、特別な品として鑑賞の対象となったのです。

五島美術館で開催された特別展「古裂賞玩」

こうした歴史をたどる「特別展 舶来染織がつむぐ物語 古裂賞玩(こきれしょうがん)」(※1)が、2024年に東京・世田谷にある五島美術館で開催されました。これは美術百科事典『万宝全書』(1694年)が世間に初めて「名物の金襴(きんらん)」「名物の緞子(どんす)」を紹介してから330年目を迎えることを記念して開かれたものです。私はそこで大名家の「裂手鑑(きれてかがみ)」や豪商の「裂箪笥(きれたんす)」を閲覧することができ、日本の古裂鑑賞の文化が世界に例を見ない独自に培われたものであることがよく分かりました。

「裂手鑑」とは、古裂をアルバム状に貼り集めた冊子のようなものです。展示されていた裂手艦には、仕覆をほどいたものや、何かを裁断して切り抜いた後の形、驚くほど小さな端切れまで、7~19世紀の裂が収められていました。細かな柄や色合いに、美しさや面白さを発見した当時の人々の感性が伝わってきます。中には裂一つひとつに名称が墨書きされているものもあり、裂手鑑には記録の意味もあったようです。
一方、「裂箪笥」は、珍しい裂やきれいな布の切れ端を整理・保管する専用の箪笥で、展示されていたものには鍵付きの抽斗(ひきだし)があり、畳紙(たとうし)に包んだ裂が丁寧に収納されていました。例えば、江戸時代の豪商・鴻池家伝来の箪笥には、茶道の仕覆をほどいた裂や着物の断片も収められ、裂の目録も添えられていました。歴史を辿ると、端切れを愛しむ日本人の心は繊細で、古裂鑑賞の奥深さを感じます。

「日本きもの美術館」に展示されていた1斗袋

名物裂風の端切れが使われた下着との出会い
私自身も昨年、京都の古美術工芸店で、おそらく江戸末期の裂を使った端縫袋と着物の下着を購入しました。所望した端縫袋は2升用の仏供米袋ですが、店には1斗(1斗=米100合または10升)の巨大なものまで複数あり、これまで書物で見た写真では感じられない迫力に驚きました。最近訪ねた福島県郡山市の「日本きもの美術館」でも、菱形の布を縫い合わせた見事な1斗袋が展示されてあったことから、かつては各地にこうした1斗袋を作る風習があったのではないかと思います。

古美術工芸店で購入した仏供米袋

さまざまな端切れを縫い合わせた下着


さて、入手した端縫袋と着物の下着は、どこで所有されていたのか、その由緒は不明です。しかし、どちらも名物裂風の端切れが多用されていることから、裕福な商家か武家の持ち物だったのではないかと想像します。一部の端切れには、化学染料らしき染め色が見られたので、作られたのは明治期かもしれません。

特に興味深かったのは下着です。女性用の袷(あわせ)で、表布には重厚な布を何枚も接ぎ合わせ、裏布には紅と紫の絹が使われています。薄い真綿も挟まれていて、どっしりと重たい作りです。下着は人目にふれるものではありませんが、動く仕草によって、袖口や裾からちらりと見えることもあり、特別な場ではその贅沢さや美しさを演出できるという艶っぽい日本の美意識の賜物と言えます。また、衣桁(いこう)に掛けて披露することもあったでしょう。この見事な端縫いは、おそらく鑑賞する楽しみもあったのではないかと思いました。下着がこんなにもきらびやかなのかと、今にはない感覚に驚きます。

そして、私がもっとも注目したのは、名物裂風の華やかな布の取り合わせです。絹の金襴(きんらん)、緞子(どんす)がふんだんに使われ、後身頃には、金糸を用いた裂が大胆に配されています。全体は不老長寿を願う松皮菱の構成で、時計草文様や龍七宝花唐草文様や紅地のアクセント、襟元には宝尽くし文様など、吉祥(きっしょう)を意識した図柄が随所に散りばめられており、袖口裏には、紅無地の上に白地の二重蔓牡丹(ふたえつるぼたん)文様の金襴が縫い合わされていました。この二重蔓牡丹は名物裂の典型的な文様で、時代装束や茶道具にも多く見られます。
中でも後身頃に使われていた時計草の文様は、欧米ではパッションフラワーと呼ばれ、花の中心が「十字架」を連想することからキリストの受難を象徴する花とされ、宣教師が布教するのに重要な文様でした。ほかにも福寿文字や鳳凰唐草(ほうおうからくさ)、御所車(ごしょくるま)、幸菱(さいわいびし)など、多くの文様が見られます。これだけの名物裂風の高価な布を集めて、しかも縁起のよい吉祥文にもこだわり寄せているところを考えると、長寿のお祝い下着だったかもと想像を巡らせました。
桃山から江戸時代初期には、中国やインド、西洋から平戸や堺を経て舶来裂が輸入され、大名や僧侶だけでなく、町人文化の発展とともに裕福な町人の小袖や布団地、茶道具にも広がっていきました。私が手にしたこの下着も、まさにこの流れの中で生まれたものかもしれません。

明治期の裁縫教科書を見ても、日本人が染めや織りに宿る美しさを生活の中で大切にしてきたことがよく伝わってきます。小さな端切れに込められた繊細な文様や彩りに目をとめ、手をかけ、慈しむ。この下着にも、そうした精神がしっかりと息づいているのを感じました。(つづく)


(参考文献)
※1)五島美術館企画・編集「舶来染織がつむぐ物語 古裂賞玩」淡交社、2024年

(写真提供:玉田真紀)

◆布を再利用してきた歴史や現代の古着問題について玉田真紀さんにインタビュー(全3回)
「古着でひもとく日本リサイクル史」こはちら⇒

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【たまだ・まき】
共立女子大学大学院家政学研究科修了。母校の被服意匠研究室助手、宮城県の尚絅女学院短大講師を経て、尚絅学院大学総合人間科学系教授として2024年3月末まで勤務。現在は名誉教授。専門は衣服のリユース・リサイクル文化。服飾文化学会会長。2018~2023年日本手芸普及協会理事。編著書『アンティーク・キルト・コレクション』(共著、日本ヴォーグ社、1992年)、『生活デザインの体系』(共著、三共出版、2012年)、『高等学校用ファッションデザイン』(共編著、文部科学省、2022年)など。
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