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美しいくらし
端縫いに込めた思い今昔 尚絅学院大学名誉教授
玉田真紀
第7回 盆踊りを彩る端縫いの衣装
日本三代盆踊りの一つ、秋田県羽後(うご)町の「西馬音内(にしもない)盆踊り」。踊り手が身にまとうのは、色鮮やかな端縫い衣装です。

日本の盆踊りは、先祖供養や災い除け、豊作などの願いを唄や踊りに込めて表現され、伝承されてきました。全国盆踊りガイドによれば、500以上の伝統的な盆踊りが存在するというから驚きです。年に一度の大イベントであり、かつては厳しい日常の労働から解放される娯楽でした。お囃子(はやし)と踊り、衣装、飾り付けなど全てが、晴れの場を演出する特別なもの。破天荒で華美な衣装も出没したようで、娯楽の少なかった昔は特に、盆踊りの日は狂気爛漫だったのでしょう。

西馬音内盆踊りの起源は700年以上前、鎌倉時代にまでさかのぼります。修行僧が蔵王権現(現在、西馬音内御嶽神社)の境内で始めた「豊年祈願の踊り」に加え、400年前の山形城主・最上氏との戦いで滅んだ西馬音内城主・小野寺一族のその家臣たちによる「盆供養の踊り」とが融合して生まれたという言い伝えがあります。「あの世」と「この世」、「先人」と「現代人」をつなぐこの盆踊りの文化を、西馬音内の人たちにとても大切にしています。1981年に国の重要無形文化財に指定され、さらに、2022年にはユネスコ無形文化財遺産「民俗芸能 風流踊り」として登録されました。人口約3200人(2020年国勢調査)の西馬音内の町に、今年(2025年)8月16日〜18日の観光客は、3日間でのべ10万7千人、踊り手は1日700〜800人だったそうです。

盆踊りの衣装には、いろいろな意味が込められています。例えば、供養の盆踊りでは、海の難所に向かって亡霊を慰める鎮魂の白装束(いさ祭り・愛媛県宇和島市)や、武士の喪衣装を思わせる白の浴衣(津和野踊り・山口県津和野市)、人を驚かすような趣向の盆踊りでは、小狐や狸の仮装衣装(姫島盆踊り・大分県姫島村)などが見られます。こうした数々の面白い衣装は、踊り手には祈願を込める力を与え、見る人には非日常的なメッセージを強く伝えます。

「藍と端縫いまつり」で訪れた安城家での展示

西馬音内盆踊りの衣装は、紅・紫の絞りや型染め、藍の小紋染めなどの端切れが丁寧に縫い合わされており、見せる衣装として完成されたもの。裾を美しく見せる額縁仕立てに、4~5種類の絹布を左右対称に接ぎ合わせた端縫いが特徴的です。端縫い衣装を見たい、できるなら着て踊りたいという観光客が次々訪れるほど話題になっています。
私は盆踊りに先立ち、8月の第1日曜に行われた「藍と端縫いまつり」を訪ねました。家代々に伝えられた衣装の虫干しをする習慣があり、この日はそれらが一般公開されています。各家を巡り、念願の端縫い衣装を拝見していると、おそらく江戸末期か明治初期の端縫いではないかと思われる古いものとも出会いました。多彩な絹の古切れを使った薄綿入れの袷(あわせ)衣装です。

西馬音内盆踊りの端縫い衣装の発想はどこから生まれたのでしょうか。まず思い浮かんだのは、端縫い下着でした。端縫い衣装を研究されていた聖霊女子短期大学の佐藤智子さんによると、絹を再利用した薄綿入りの端縫いは、秋田の他の地域でも作られ、かつては下着として用いられていたそうです。江戸末期は禁令があり、庶民は絹を表着に着ることは許されなかったのですが、顔を隠して身分が見えない祭りの夜だけは、特別に使用できたと言います。今年(2025年)3月に訪ねた日本きもの美術館(福島県郡山市)に収蔵されていた端縫い下着も、細かな端切れが上手に組み合わされており、色彩豊かな染めや柄が見られましたが、そもそも下着として仕立てたものを盆踊り衣装に転用したのかどうか。残念ながら、その真相はわかりませんでした。

日本きもの美術館所蔵の端縫い下着。裾回りを同じ布で囲む額縁仕立て

「藍と端縫いまつり」展示の古い端縫い衣装。薄綿入りの袷仕立てに


西馬音内盆踊りの衣装スタイルが整ったのは、昭和10(1935)年。西馬音内盆踊りが「第9回全国郷土舞踊民俗大会」(日本青年館主催)に東北代表として出演した際、町を挙げて踊りや衣装を再構成したのがきっかけです。当時の町長夫人・柴田里子さんが、女性用を絹の端縫い、男女兼用を木綿藍染めとし、端縫いの配色も指導したそうです。黒繻子(くろしゅす:黒い絹の布)の掛け衿や、両前側と裾をぐるりと同じ布で囲む額縁仕立て、袖や身頃を左右対称に縫い合わせる特徴は、このときに大枠が決められたのだと思います。
昭和初期、女性たちにとって裁縫技術は生活の一部。盆踊りの晴れの舞台で、端縫い衣装を作った技量を見せられることは、大変な喜びだったに違いありません。仕立て上げたときの達成感、着て踊りを披露する誇らしさ、それは、今日の既製服が当たり前の私たちの価値観では、計り知れないものでしょう。

盆踊り会館での端縫い衣装(左、右)と藍染め衣装(中)

安城屋の鈴木和子さん

この端縫い衣装をまとった盆踊りは、夜に行われるため、深く被った編み笠で顔が全く見えません。誰か誰なのかは、踊りの所作と衣装の配色でしかわからないのです。色とりどりの端縫いが暗がりに浮かび上がり、その姿はとても妖艶で、この世の日常では見られない不思議な光景を生み出します。

盆踊り会館近くにある安城屋さんという呉服店で、40年以上盆踊りに参加されてきた鈴木和子さんにお話をうかがいました。店の1階にある仏間に展示されていた端縫い衣装は、縮緬友禅(ちりめんゆうぜん)、綸子(りんず)、小紋など絹の贅沢な端切れが、左右対称に彩り良く配色され、肩・腰・裾の3分割された仕立てが印象的でした。明治中期の初代が着ていた紋付の打掛2枚を仕立て直したものや、婚礼の打掛、喪服、昭和の裏地など、祖母や親、親類縁者のさまざまな世代の布が使われていました。それをまとっての踊りは、先祖を肌に感じながら一体となる感覚。子や孫に端縫い衣装を着せることは、代々の思いを次の世代に引き継ぐ象徴なのだと思いました。

端縫い衣装は誰もが着られるものではなく、踊りが上手になり、周囲にふさわしいと認められた人だけが着ることを許された衣装です。近年では、観光で訪れる人も端縫い衣装を着て踊る姿が見られますが、「作法が崩れるのは悲しい」と語る地元の方もいます。それほどまでに、端縫い衣装には人々の誇りと祈りが込められているのです。(つづく)
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【たまだ・まき】
共立女子大学大学院家政学研究科修了。母校の被服意匠研究室助手、宮城県の尚絅女学院短大講師を経て、尚絅学院大学総合人間科学系教授として2024年3月末まで勤務。現在は名誉教授。専門は衣服のリユース・リサイクル文化。服飾文化学会会長。2018~2023年日本手芸普及協会理事。編著書『アンティーク・キルト・コレクション』(共著、日本ヴォーグ社、1992年)、『生活デザインの体系』(共著、三共出版、2012年)、『高等学校用ファッションデザイン』(共編著、文部科学省、2022年)など。
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