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美しいくらし
忘れられないイタリアの美しい村 トスカーナ自由自在
中山久美子
第10回 サフランの香りただよう高原の村へ【ナヴェッリ】


「さて、今日は何を作ろうかな?」
 主婦にとって日々の悩みは毎日の献立。我が家ではトスカーナ料理に加え和食の日もあるのですが、それでもマンネリに感じてしまうこともしばしばです。そんなある日、何かないかな、と献立のヒントを探して食在庫を眺めていると……、出てきたのは紫色の可愛らしい花が描かれたパッケージ。それは、昨年の秋に訪れたアブルッツォ州ナヴェッリ産のサフランでした。

ナヴェッリの全景

 同梱されていた小冊子のレシピを見て作ってみたのは、寒い日が続くこの時期にぴったりのアブルッツォの郷土パスタ「サーニェ」です。「おじいちゃんのサーニェ」と名付けられたこのレシピは、短冊のような手打ちパスタにじゃがいも、豚の脂身、サフランを入れたつゆだくパスタ。黄金色に輝いたパスタをホクホクと食べていると、数カ月前に参加したサフラン収穫の思い出がよみがえってきました。
 アブルッツォ州はイタリア中部の南東にあります。地理的には私が住むトスカーナ州と同じ中部に分類されていますが、雰囲気がちょっと違います。それは南隣のモリーゼ州とともにかつてナポリ王国に統治され、文化的・歴史的には中部ではなく南部に分類されるからなのかもしれません。手つかずの雄大な自然が大きな魅力で、そこで暮らす人々は「強くて優しい」といわれるアブルッツォ州。その州都のあるラクイラ県のナヴェッリ村でサフラン収穫が体験できると聞いて秋に訪れたのでした。

 高価で黄色の色付けや香り付けのスパイスとして知られるサフラン。日本ではスペイン料理のパエリアで有名ですが、イタリア料理では鮮やかな黄色が特徴のミラノ風リゾットが代表的なメニューです。私はサフランの名前こそ知っていたもののそれ自体がどんな植物なのか、いつどのように収穫されるのかも知りません。DOP(原産地名称保護)を持つ一大産地がアブルッツォの州都ラクイラ周辺だということ、生産の中心であるナヴェッリの名前も初耳でした。

アゴスティーノさん

 ナヴェッリへは海沿いの都市ペスカーラから友人の車で向かいました。しばらく続いた山道を抜けると平坦な道となり、山に囲まれた平原に入ります。色づく山の斜面にある村々が霧の中にぽつぽつ と現れ、 それはとても幻想的です。道中の山道は濃霧でゆっくり運転していたせいか、サフラン収穫体験会の集合時間から30分以上遅れてしまったため、元々の集合場所ではなく指示された畑へ直接行くことになりました。
 そこで待っていてくれたのは、生産組合会長のマッシミリアーノさん、この畑の所有者であるアゴスティーノさん、この体験会に3年連続で参加しているローマの写真者愛好グループの皆さんです。「ナヴェッリの人は昔から家族代々のサフラン畑を持っているんだ。物心ついたころからサフランは身近にあったし、いくつになってもサフランから離れることはないよ」と優しい笑顔で語りかけてくれたアゴスティーノさん。73歳になった今も生産を続け、近年はツーリスト向けの収穫体験プログラムに協力しています。


 サフランはアヤメ科クロッカス属の花。地中海沿岸地で3500年以上前から栽培され、薬やスパイスとして使用されてきました。ナヴェッリ高原では、1230年ごろにこの村出身のサントゥッチ修道士によってスペインから球根が持ち込まれたことがきっかけで、サフラン栽培が普及しました。15世紀にはヨーロッパ中に出荷され、生産量もまた経済的にも最盛期を迎えます。しかし16世紀のペスト流行で打撃を受け、生産が激減。19世紀のボルボン家統治時代に復活したものの、その後は政治的変化や生産者の高齢化などもあり、近年まで下降の一途をたどります。
 そこで現状を打破するために、サフラン販売を担うナヴェッリ高原協同組合とDOP(原産地名称保護)認定後の品質管理をするラクイラ・サフランDOP生産者組合がタッグを組み、サフラン産業の再興へ向けた取り組みを開始しました。
 まずは第一の課題であった新しい生産者の育成として、45歳以下の新規参入者にサフランの球根50キロを貸す「サフランバンク」を2017年にスタート。ナヴェッリのサフランを使用した製品を手がける地元コスメブランドがスポンサーとなり、その年に選ばれた10人がチューターのサポートを受けてサフランの生産に挑戦します。そうした結果、2016年には50人だった生産者が2020年には85人に、13キロだった収穫量も25キロにまで増え、「サフランバンク」の効果は絶大でした。一方、多くの人にナヴェッリ伝統のサフラン産業を知ってもらおうとする活動の一環で始まったのが、毎年秋に開催される収穫体験プログラムなのです。

 10月半ばから11月初旬にかけて紫色の花を咲かせるサフランは、平坦な畑に作られたいくつもの畝に一列に植えられています。畑に入ってまず驚いたのはサフランの背の低さ。地をはうように伸びていては花茎の高さは10~15㎝ほどしかありません。その中から収穫に適した大きいサイズだけを選んで摘み取ります。まだ花が開かない朝のうちに作業するのは、独自の味や香りとなるピクロクロシンやサフラナールという成分を日光で劣化させないためだそう。
 畝に沿って身をかがめて花だけを摘む動作は足腰に負担がかかり、私のような初心者はほんの数十分で疲れてしまいますが、サフラン生産者は約1カ月間これを毎日繰り返します。

 作業はそれだけでは終わらず、今度は収穫した花をパーツごとに解体します。4㎝ほどの花は赤いめしべが3本、黄色のおしべが3本、紫の花びらは6枚から成っていて、それらを手で一つ一つ仕分けていきます。スパイスになるのはめしべのみですが、おしべは染色に、花びらはジャムなどに利用されるそう。1㎏のサフランを採取するにはなんと20万個の花が必要で、ひたすら繊細な作業が続きます。
 収穫体験プログラムでは、甘さとほろ苦さがほんのり香るサフランティーを飲み、おしゃべりしながらなので楽しくてアッという間ですが、栽培から収穫、出荷するまで生産者の苦労は想像に難くなく、サフランが高価な食材であることも、後継者がなかなか育たない問題にも納得がいきます。

組合の本部がある元修道院で花の解体作業を体験できる

赤いめしべを乾燥させたものがスパイスになる

 さらにラクイラ地方のサフランDOPを名乗るには、生産エリアの指定だけでなく、この地に伝わる伝統製法でなければなりません。1年ごとに土壌を替える、球根を8月まで休ませる、灌漑なしの完全自然栽培、めしべの乾燥はアーモンドなど匂いや煙の少ない炭火を使うといった条件を満たしてこそ、品質が保証された最高級のサフランといわれるのです。
 今回は時間がなくて乾燥の工程を見学できませんでしたが、収穫体験プログラムの最後にサフランづくしのランチをいただくことができました。 サフランと植物性クリームで和えただけのパスタに、サフラン入りのジャガイモと玉ねぎのオーブン焼き、そしてサフラン入りリンゴケーキ。どの料理もサフランの輝く黄色が美しくてうっとり! お腹がすいている参加者たちは「ワー!」と子どものように歓声を上げます。少し苦みがあると聞いていたサフランですが、ナヴェッリ産は心地よい苦みと柔らかな甘みが特徴。食べると、豊かな風味が口の中いっぱいに広がります。
 これまで食べたサフラン料理では色の印象ばかりが残っていたのですが、この村を訪れたおかげでサフラン本来の味と香りを初めて知ったと言っても過言ではありません。畑で実際に生産者さんとともに花を摘み、歴史や栽培の苦労も知ることで、私にとってサフランはさらに味わい深いものになりました。

 楽しい時間を過ごした皆に別れを告げた後、緩やかな丘にあるナヴェッリの村を歩いてみました。1800年代末には分離集落を含め3000人だった人口も減少が続き、2009年に起きた地震がさらに追い打ちをかけ現在はたった550人に。地震から10年以上たった今でも修復されずに長く放置されたままの家屋を見るのは心が痛みましたが、少しずつ建物や道の整備が進んでいるようで日常の営みも感じられます。
 
 サフラン収穫体験プログラムは2021年は年間で1000 人以上の人が訪れるまでに成長し、ナヴェッリの宿はシーズン中ずっと満室だったとか。伝統のサフラン産業の衰退を止め復活させていくことで村が活気づき、自然と復興につながってゆく……。サフラン畑が広がるナヴェッリが古の輝きを再び取り戻す日まで活動は続きます。(つづく)


★ナヴェッリへのアクセス
ローマから直通電車で約3時間30分のペスカーラでバスに乗り換え、直通バスで約1時間。

【トスカーナ自由自在】https://toscanajiyujizai.com/
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【なかやま・くみこ】
兵庫県出身。28歳でフィレンツェ留学、のち現地で結婚。現在はフィレンツェ北部の田舎で、夫・息子2人の4人暮らし。さまざまな分野の取材・視察・ビジネスのコーディネイトと通訳を一貫して行う。趣味の個人旅行とトスカーナ愛が高じて、ウェブサイト「トスカーナ自由自在」を2015年に開設。ありのままの日常生活を紹介するとともに、郷土料理や祭り、生産者、小さな村などイタリア各地の魅力を発信している。
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