ダジャレやパロディーなど、現代に生きる私たちも大好きな娯楽要素がたっぷり詰まった戯作。ワイドショー的なネタも江戸っ子の好物だったと聞くと、よりいっそう江戸の庶民に親しみがわきます。最終回では江戸の娯楽本、戯作をテーマに書籍としてまとめたいずみ朔庵さんに、執筆・制作を通して見えてきた江戸文化や戯作の魅力について話してもらいます。
――いずみさんには以前「かもめの本棚」で、現代の日本で忍者の修業をするという連載「駆け出し忍者のくノ一修行」を執筆していただきました。その中で、子どもの頃から時代ものが好きだったと語られていますが、いずみさんから見て、昨今の江戸文化ブームをどのように思われますか。
私の子どものころは、和風よりも洋風の方がカッコいいという空気がずっとありました。戦後生まれの両親は欧米のものが大好きで、畳の部屋はダサいからとカーペットを敷いてソファを置いてみたり、音楽もビートルズのような洋楽を好んで聞いたりするような生活をしていました。そういった中で育ったのですが、なぜか私は、忍者はもちろん、時代劇や歴史小説が大好き。でも、それを口にすると周りから浮いてしまうような雰囲気が当時はありました。大人になってからもそんな状態がずっと続いていたのですが、30歳ぐらいのころ、堂々と日本の文化、江戸文化好きを語ろうと決意。今では江戸文化喧伝家をうたうイラストレーターとして仕事をするようになりました。
私は現在、デザイン学校で講師をしているのですが、そこで教えている20歳ぐらいの学生たちが「今、和のものがおしゃれでカッコいい」と言うんですね。周りを見てみると、着物を洋服感覚で着こなして、洋の小物を取り入れるなど自由なスタイルで楽しむ人も多くいます。昭和のころは、時代小説や時代劇というと年配者が好むものというイメージがあったと思いますが、1周回ってそういうイメージも少なくなって、日本の伝統文化、そして江戸の文化が再び、注目されているのではないか、と感じています。
――子どものころから時代劇や時代のものが好きで、そのつながりで出かけた展示会で江戸の娯楽本に出合ったのですね。いずみさんの戯作への熱い想いが感じられる著書『マンガでやさしくわかる 江戸の娯楽本』(日本能率協会マネジメントセンター)ですが、読者の方にはどんなふうに読んでもらいたいですか。
いずみ朔庵さん
「読まなきゃよかった」って投げてもらいたい! もちろん冗談です(笑)。でも、本気でタイトルに「読まなきゃよかった」と入れようかと思っていたほどです。というのも、戯作とは江戸の“ナウい”本だと思うからです。「ナウい」は80年代ぐらいに流行った言葉で、「今風の」「現代的な」という意味があります。今は、使われなくなって、ちっとも“今風”ではありませんが。この80年代っぽさが、戯作にも通じると思っています。80年代のドラマやマンガは、良し悪しは別にして、今より堂々と下ネタをギャクにして、少し過激なユーモアを楽しむといった風潮がありました。そういった、ちょっと下品だけど面白い本が戯作だと思うんです。読み下し文を四苦八苦して読んでみると、モテたい男の失敗談など他愛もないナンセンスなストーリーに、思わず「読んだ時間を返せ! 」と言いたくなってしまいます(笑)。
江戸時代から伝わってきた戯作の原本は貴重なものですから、今では博物館や美術館に展示されています。でも内容は? というと、これまでに紹介したようにギャグやダジャレ、パロディーのオンパレード。一部を除き、文学作品としての評価も決して高くはありません。でも、逆にそれが戯作の良さだと思っています。

画:いずみ朔庵
――決して高尚な読み物ではないけど、私たちが気軽にマンガを読むように、江戸の人たちは戯作を夢中になって楽しんでいたのですね。
気難しい教養書ではありませんが、戯作を読むのには意外と教養が必要なんです。たとえば、うどんとそばの争いに見立てた大江山の鬼退治のパロディー。これは元の大江山の鬼退治の話を知らなければ、楽しめません。江戸の庶民にはある程度の文化的教養があったことの証しだと思います。識字率の高さの話をしましたが、江戸時代の庶民には学ぶ場所としてお寺がありました。子どもは寺子屋で読み書きを習い、大人はお坊さんの説法でさまざまな教養を身につけていたと考えられます。庶民が一定の文化水準を持っていたからこそ、戯作がベストセラーになったのだと思います。
――それらの江戸のベストセラーで、お気に入りの戯作者を教えていただけますか。
東京・日本橋の呉服屋「イチマス田源」店内に再現された耕書堂
山東京伝でしょうか。現在、蔦屋重三郎を主人公にしたドラマが作られていますが、その中にも登場する当時の売れっ子作家です。私が最初に出会った戯作『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』の作者で、彼は北尾政演という名前で挿絵も描いています。当時、戯作者は元々絵を描ける人が文章も書き始めるというパターンが多く、山東京伝のように絵も文章も書くという人はめずらしくありませんでした。山東京伝は、蔦屋重三郎と組んで次々とヒット作を放ち、蔦重が営んでいた地本問屋「耕書堂」の屋台骨を支える作家となりました。
ちなみに当時は、一つの話がはやると同じような話を何人もの戯作者が書くことがありました。同じ話のパロディーをうどんで書いたり、動物で書いたりすることもあったんです。著作権にうるさくない時代で、その辺りのおおらかなところも面白いなと思っています。
――なるほど、戯作者は挿絵と執筆の両方をこなしていたのですね。他にいずみさんの推しの戯作者はいますか。 個人的に捨てがたいと思っている戯作者が芝全交です。
第1回で観音様が手をレンタルしちゃうという『大悲千禄本(だいひのせんろくほん)』という作品を紹介しましたが、その作者ですね。山東京伝は江戸に興味がなくても耳にしたことがあるかもしれませんが、芝全交は一般的には知らない人も多いと思います。神様まで茶化してしまう作風が、とても独創的です。芝全交は、経歴も詳しくは知られていないミステリアスな作家で、お墓は六本木の寺にありますが、墓碑には本名でなくペンネームの芝全交が書かれているのも彼らしいなと思います。
他にも、恋川春町や朋誠堂喜三二など個性的な戯作者がたくさんいます。身近に触れる機会があったら、ぜひ彼らのちょっとくだらないけど、庶民のたくましさがいっぱい詰まった戯作本の世界を触れてみてください。(おわり)
滑稽な若ダンナの笑い話や手をレンタルする人間くさい神様の話など、戯作の持つ多彩な世界をいずみさんに教えてもらううちに、くずし字のいかめしい本ではなく、身近な存在に感じられてきました。江戸の人たちが「今度の新作読んだかい? バカバカしいけど面白れぇんだ」と夢中になって読んだ戯作。日々の暮らしに笑いや楽しみを見つける粋な心を、現代の私たちにも思い起こさせてくれそうです。(構成:小田中雅子)
☆いずみ朔庵さんのプロフィールページはこちら⇒
https://bento.me/sakuan