「負け」のつらさは失恋に似てる!? 今、大活躍の藤井聡太六段が、幼少のころ相当な「負けず嫌い」だったのは有名ですが、勝負の世界では、この「負けず嫌い」が強くなるための重要な要素であることは言うまでもありません。
子ども将棋大会に行くと、対局に負けて会場の隅やお母さんのそばで泣いている子どもの姿を見かけます。泣くほど打ち込めるものがあるのは「すばらしい」と思いつつも、私も子どものころは負けるのが嫌でよくトイレで泣いていたな……と当時の懐かしい記憶がよみがえります。
以前、妹であり女流棋士の中倉宏美が「対局で負けるとどんな気分なの?」と聞かれ、「失恋したみたい」と答えていました。その場にいた友人からは、「対局が月1回あるとすると、それに負けたら月イチで失恋していること?」と、かなり驚かれていたようです。妹にしてみれば、次の対局が新たな恋の始まり(!)なのかもしれませんね。まぁ、負けたつらさが失恋に似ているかどうかの議論はさておき、棋士にとって負けることは、それほど精神的なダメージが大きいものなのです。

イラスト:高野優
負けっぱなしで終わらない 「投了」とは将棋用語で、どちらか一方が負けを認めることを指します。将棋は審判がいないため、タイムアップのホイッスルが鳴って試合終了になるわけではありません。「負けました」と宣言して初めて一局が終了します。敗者が負けをいさぎよく認めるという点では、日本の伝統文化ならではの心意気に通じるようにも感じられますが、将棋には悔しい「負け」を無駄にしない仕組みがあるのです。一つは「感想戦」の存在です。感想戦というのは、将棋の対局のすぐ後に、対局者同士でおこなう反省会のことです。例えば、野球でゲームセットした直後に、両チームの監督同士がその試合を検証するようなもので、これはスポーツに限らず、かなり珍しいことかもしれませんね。
感想戦では、投了後に対局者がそのまま立ち去るのではなく、駒を最初の形に並べ直し、1手1手振り返ります。ポイントとなる局面ではお互いが意見を述べ合い、盤上の心理を追求していくのです。その過程では、「負けてしまった悔しさ」よりも、「なんで負けたのだろう」「あそこで、どうすればよかったんだろう」という好奇心のほうが強くなり、対局相手と意見交換することで、疑問に対する答えが導き出され、探究心がどんどん満たされていきます。
連載の第7回では、「相手の視点に立って考えることが大切」という話をしましたが、感想戦では実際に相手の意見を聞くことができます。自分とは異なる視点や、新たな発見がある感想戦は、自分の視野を広げられる絶好の機会。対局では必ず勝敗がつきますが、感想戦によって「勝負の場」が次第に「棋力向上の場」に、「勝者と敗者」から「将棋を研究する仲間」に変化していくのです。
ちなみに、感想戦は必ずやらなければならないという決まりはありません。ですが、ほとんどのプロ棋士や、アマチュアでも強い人になるほどちゃんと行っているようです。 (第8回・下につづく)
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