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もう一度読みたい文豪の手紙
POSTORY代表
近藤千草
第5回 文学者の手紙指南 -樋口一葉、柳原白蓮、三島由紀夫らに学ぶ手紙の教室-
 「もう一度読みたい文豪の手紙」第5回目の今回は、文豪たちによる手紙指南をお届けいたします。離れた人とのコミュニケーションツールの主流が「手紙」だった時代に生きた彼らから、私たちはどのようなことを学べるでしょうか。彼らの時代の手紙は、今とは何が違うのでしょうか。また、文章のプロである彼らにとって、どのような手紙がよい手紙とされていたのでしょうか。ご一緒に確認してまいりましょう。


樋口一葉の『通俗書簡文』



 まずご紹介するのは、明治時代に女性として職業作家を務めたパイオニア、樋口一葉です。病により24歳という若さで夭折した一葉は、活躍できた期間はとても短く、あまりの早逝が惜しまれます。

『通俗書簡文』より樋口一葉「序文」(台東区立一葉記念館所蔵) 一葉が心血を注いだ手紙の指南書は明治・大正のベストセラーになった
※全ての画像の無断転載を禁じます

 「たけくらべ」や「にごりえ」、「大つごもり」などの代表作のほか、流麗な筆跡で風雅にあらわした日記などが知られる一葉ですが、生前に出版された唯一の本をご存じでしょうか。それは小説ではなく、手紙の書き方文例集となる『通俗書簡文』(博文館)でした。
 この『通俗書簡文』は、一葉の最晩年である1896(明治29)年に、家庭向け教養書『日曜百科全書』の第12編として刊行されたものです。この初めての書籍が世に出たその半年後、一葉は帰らぬ人となりました。病の元はその身にあったにせよ、無理をおしての執筆活動が死期を早めたとも言われ、それほどに一葉は『通俗書簡文』の仕事に心血を注ぎました。その努力は実を結び、大正期にかけて30版以上を重ねるベストセラーになりました。
 文例に多くみられる候文を日常的に用いることのなくなった現在も、一葉が残した貴重な文学作品として読み継がれています。


一葉が説いた手紙の心構え



 『通俗書簡文』は新年から始まり四季折々の挨拶や行楽への誘い、お見舞いの例文が並びます。その文例集のあとに「唯いさゝか」という章タイトルで手紙を書く心構えを説いています。そのうちの一つをご紹介します。

「いかならん急ぎの折も、文かき終らば必らず一わたり読みかへし見べきものぞ、心には思ひながら知らず落たる文字もあるべく、一字のあやまりにて意(こゝろ)の通じがたき事などあらば其(その)文つひに詮なかるべし。」

 どんなに急いでいたとしても、書き終わったら必ず読み返すこと。たった一文字の誤りでも、それによって心が通わないこともあるのだから、というわけです。これは、日頃の他愛ない内容であれば問題にならなくても、例えば謝罪文やお悔やみの手紙に置き換えると理解につながると思います。一文字の漢字の間違えでも、どこか軽薄さを感じさせてしまうなど、よい印象を与えないことは明白です。
 この『通俗書簡文』が明治・大正をまたいでベストセラーとなった背景には、一般的に女性が満足に教育を受けられなかった時代性が反映されています。多くの女性にとって、手紙の書き方を知ることは実生活に即した修学でもありました。


柳原白蓮・岡本かの子の文例集



 明治・大正に続き、時代が昭和に移ってからも手紙の文例集というジャンルは人気を博し、女性誌の付録にもなっています。手元にある古書から少し紹介いたします。
 1936(昭和11)年の雑誌『主婦之友』9月号付録として世に出たのが「ペンと毛筆の肉筆はがき文集」です。
 文例総数は250あり、「祝いのはがき」「見舞いのはがき」など現在にも通用する章立てになっていることから、今も昔も必要とされる文例はあまり相違無いことがわかります。とはいえ、“兵役満期にて御退営の由、目出度存じます”(「退営の祝い」)とあるのを見ると、あらためてこちらが昭和初期の文例集であることを思い知らされます。
 この付録の文例を手掛けたのは以下の6名です。
 文例数順で見ていくと、岡本かの子(小説家)・58例、柳原燁子(歌人)・55例、今井邦子(歌人)・44例、横山美智子(小説家)・38例、中河幹子(歌人)・37例、吉屋信子(小説家)・18例。この文例集の中で2トップの文例数を手がけている岡本かの子と柳原燁子の文例を挙げてみます。

 まず、柳原燁子の文例から紹介します。燁子については、柳原白蓮と記すとわかる方も多いと思います。大正天皇の従妹にあたる美貌の歌人で、再々婚の相手・宮崎龍介と取り組んだ娼妓の自由廃業の救済活動など、さまざまな動向が注目される人物です。その私生活は他作家の多様な作品のモデルにもなりました。

〈柳原燁子(白蓮)の文例〉

病気全快祝ひ(お友達へ)
「長い間の私の病気中は、度々御見舞に来て下さいまして、本当に御親切忘れません。母もこんどばかりは奇蹟だつたと悦んで居ます。それで次の日曜日、ほんの内輪だけの快気祝ひをするのだと母が申します。貴女には是非とも来て頂かねばなりません。兄つたら憎いぢやありませんか、お前があの時死んでくれたら、おれはさば/\してよかつたのに──ですつて! 腹が立つからわん/\泣いてやりましたの。そしたら兄が、母からうんと怒られていゝ気味! 此度あなたいらしつて、私の敵(かたき)を打つていぢめてやつて頂戴よ、ね頼むわ。」

その返事(お友達より)
「お兄様がそんな事を仰しやるの? 憎らしい方ね! 私今度の日曜にはきつと伺つてよ、そしてうんといぢめて上げるわ。(中略)いゝ事があるわ、家に土佐犬のとても強いのが居るのよ、あれを連れて行つて、お兄様に噛み付かしてやらうかしら──それとも! まあ待つていらつしやい、私とてもいゝ事考へたから! では次の日曜ね、サヨナラ。」

 なんて勢いのある内容でしょうか。手紙の中の人物のいきいきとした様子が伝わります。友人同士の手紙という設定なので堅苦しいことがなく、言いたいことだけを言っている、その感じが小気味よいです。例文としてどこまで参考になるのかは計りかねますが、思わず読んでしまうのは確かです。

 次は岡本かの子による文例です。かの子は、芸術家・岡本太郎の母にして自らも生涯にわたり文芸活動を行いました。歌人として頭角を現し、その後、川端康成を師事し、晩年は小説家として作品を残しています。

〈岡本かの子の文例〉

雑誌に添へて(国の妹へ)
「五郎さんが丁度冬休みで、帰国なさるさうですから、私の現在とつてゐる雑誌主婦之友をあなたの手許へ届けて貰ひます。この雑誌は近頃の婦人雑誌のうちでも、特に上品で有益な雑誌だと言はれてゐます。よく読んで御覧なさい。そして本当にあなたの気に入つたなら、そちらへも、毎月送るやう、私の方で、雑誌社へ註文してあげませう。呉々も御体を大切に。」

その返事(妹より)
「五郎さんへお託しの雑誌主婦之友及びお手紙昨日確かに受取りました。いつもながらお姉上様の御慈しみ、有難く思つてゐます。主婦之友が良い雑誌であることは、以前から度々聞いてはゐましたが、今度手にして初めてその内容の上品で有益なのに、感心しました。お言葉に甘えて、これから是非、とつて戴きたいと思ひます。御礼方々御願ひまで。かしく」

 上記は〈雑誌に添える手紙〉として文例が挙げられているのですが、掲載誌『主婦之友』を文例の中でしっかりと引き立てる抜かりなさに、かの子の愛想の良さを感じます。「上品であり有益」であることを良い雑誌の条件として明示するところにも面白みがあります。
 様々なシチュエーションを想定して書かれた文例集は、時代をときめく作家が手がけたことにより、読み物としての楽しみ方も備えています。また、当時の生活ぶり、もしくは理想とされた生活の姿を今に伝える資料としても参考になります。
 

三島由紀夫の「手紙の第一条件」



 ここまで女性陣の手紙指南をお伝えして参りました。ここで男性作家による手紙についての考え方をご紹介しましょう。
 言わずと知れた『三島由紀夫レター教室』。物語が書簡形式を成し、最終章に三島由紀夫からの手紙指南が配されていて、文例集にもなるユニークな長編小説です。三島は「どんなに世の中が変わろうと、人と人との通り一ぺんの付き合いでは、「失礼に当たらない」ということが一番」と記します。中でも、三島の考える手紙の第一条件はその真髄です。

「それは、あて名をまちがいなく書くことです。これをまちがえたら、ていねいな言葉を千万言並べても、帳消しになってしまいます。」

 この間違いがあるだけで、手紙にしたためられた多くの敬意が偽物になってしまう事を三島は指摘しています。これは一葉の伝えた「一字のあやまりにて意(こゝろ)の通じがたき事などあらば其(その)文つひに詮なかるべし」に通じる内容です。無論、その書き間違いが相手の名前であったら大変な失礼にあたる、というごく当たり前なことではありますが、手紙の極意といえます。
 そして三島はこう続けます。

「手紙を書くときには、相手はまったくこちらに関心がない、という前提で書きはじめなければいけません。これがいちばん大切なところです。
 世の中を知る、ということは、他人は決して他人に深い関心を持ちえない、もし持ち得るとすれば自分の利害にからんだ時だけだ、というニガいニガい哲学を、腹の底からよく知ることです。」

 ご承知の通り、現代には手紙のみならず、自己を発信する手段がたくさんあります。三島のこのシニカルで苦い哲学は、発信することが当たり前になった今、より即した教示であるように思います。
 三島のレター教室では、決まりきった文範は時代錯誤と伝えていますが、それでいて、どんなに時代が変わっても失礼に当たらないことが最も大切とした姿勢が貫かれています。その、相手に失礼をはたらきたくない、という恐れの気持ちこそが文範を用いたり文例集を参考にしたりという行動に行き着くのだろうとも思います。


のちまで語られた斎藤緑雨の手紙



 最後に、文例集を必要としない手紙を一例としてご紹介します。
 斎藤緑雨は、樋口一葉の4歳上で晩年の一葉の良き理解者であり、その亡き後、一葉の妹・くにと共に一葉の文業を後世に伝えるべく奮闘したことでも知られています。緑雨はある日、竹馬の友である国語学者・上田万年のもとへ巻紙の手紙を送ります。
 万年の元に届いたその手紙は、拝啓から始まり草々で終わるという礼儀に適ったものでしたが、少々変わっていました。なぜなら、本文にあたる真ん中の部分は何も書かれておらず、真っ白だったからです。
 それは、実は手紙の主・緑雨からの金銭の無心を伝える手紙でした。「言わないでもわかるだろう」という暗黙の了解を促すもので、この白紙の手紙を読んだ万年は、緑雨の気持ちを汲み取り応えたといいます。お腹の底までわかりあう親友だからこそ伝わる手紙で、このようなやりとりが成立する関係が微笑ましく、羨ましくもあります。
 基本的に、「手紙」を書く・送るというのは、相手とよい関係でありたい、よい関係を築きたい、という気持ちの表れのように感じます。例えこの緑雨の手紙のように友への無心を意図するものだったとしても、です。真っ白の手紙を送った緑雨のユーモアは、のちに万年によって他者に語られ、そのエピソードから彼らの仲のよさも伝わってきます。会って話すことができた彼らですが、あえて手紙を送ったこと、そこに手紙の力を感じます。

 伝えたいことをどう伝えれば過不足なく伝えることができるのかと頭を悩ますのは、昔も今も同じで、そのヒントを探しに文例集を眺めるのだと思います。
 そこには、相手を大切に思う気持ちがあります。こう書いたらどう思われるかな、失礼に当たらないだろうか……そのように逡巡する時間の分だけ、敬う心が養われています。手紙の書き方は人の数だけ存在し、正解は受け取り手の感じ方次第です。完璧な手紙ほど、ビジネスライクに感じるもの。多少のまごつきはご愛嬌です。
 ただし名前は決して間違えないこと。書き終えたら落ち着いて読み返すこと。星の数ほどあるお約束ごとは時折見返すことにして、相手への気遣いと同時に、今現在の自分自身から出てくる言葉を大切にしたいものです。

(つづく)


©2022 POSTORY



近藤さんより
「今回紹介した柳原白蓮と岡本かの子の文例が入っている『主婦之友』の付録がこちら。
6年ほど前、古書往来座で求めた折、中に2枚、書きかけの便箋が入っていました。付録と同じだけ古びた紙片と、そこに書かれた文字を見て、時を越え読者とふれあったような気持ちになりました」


<参照文献>
『樋口一葉全集』(1974-1994年 筑摩書房)
「ペンと毛筆の肉筆はがき文集」『主婦之友 第20巻9号 別冊付録』(1936年9月)
三島由紀夫『三島由紀夫レター教室』(1968年 新潮社)
山本芳明「一葉作品にみる書簡の機能――『通俗書簡文』と小説と」『國文學 樋口一葉 第39巻11号』(1994年10月)
辰野隆『辰野隆選集第4 忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』(1949年 改造社)


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【こんどう・ちぐさ】
東京都生まれ。“手紙を書く時間を創造する”『POSTORY(ポストリー)』代表。経営者への手紙コンサルティング、企業用プロダクト制作、プロップスタイリング、撮影、執筆等を手がける。日本橋の老舗和紙舗『榛原』運営のはいばらオンラインミュージアムにて「折り折りの美-手紙の時間-」を連載中。
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