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美しいくらし
忘れられないイタリアの美しい村 トスカーナ自由自在
中山久美子
第13回 レオナルド・ダ・ヴィンチ幻の名画の舞台【アンギアーリ】


 芸術の都フィレンツェのヴェッキオ宮殿は、中世より政治の中心だった場所。現在は市庁舎と博物館を兼ねており、世界中から訪れる観光客でにぎわいます。そんなヴェッキオ宮殿の五百人広間の壁に描かれたジョルジョ・ヴァザーリ作「マルチャーノの戦い」は近年、世界中の歴史、美術関係者の関心の渦中にありました。1968年に問題提起がなされ、その後の分析調査へ推し進めた発見は、この絵の中の軍旗に記された「CERCA TROVA(探せ、さすれば見つかる)」。この言葉は、ヴァザーリの壁画の下にレオナルド・ダ・ヴィンチ幻の名画「アンギアーリの戦い」が存在することを示唆しているのではないか? というのです。16世紀初頭にレオナルドが五百人広間に途中まで描いたとされる壁画は、その後の改築によって失われたと考えられていました。

 アンギアーリはトスカーナ州アレッツォの北東約30キロメートルに位置する小さな村。テヴェレ川が横切るティベリーナ渓谷の小高い丘の上にある要所として12世紀に城壁が建てられ、現在も当時の城壁や門、町並みがそのまま残っています。幾度となく訪れている大好きな村ですが、いつも秋か冬だったので、春爛漫の週末にふらりと再訪してみました。

博物館に展示された縮小模型

 この村のすぐ外で戦いが起こったのは1440年6月29日、攻めてくるのはテヴェレ川を越えて中部へと拡大を図るミラノ公国。迎え撃つは、この地を治めていたフィレンツェ共和国とミラノの勢力拡大を恐れる教皇軍、そしてヴェネツィア共和国で、これらの合同軍が6時間にわたる戦いを制しました。現在、村の中心部に設けられた「戦いの博物館」では、村の名を有名にした戦いとそれを描いたレオナルドの幻の名画について紹介しています。

 博物館のメーンは2階、戦いを説明するパネルと縮小模型が置かれた長い展示室からスタートします。模型が置かれた左奥の背景には今とさほど変わりないアンギアーリの村が描かれ、手前には平原に敷かれた各軍の布陣をミニチュアで再現。模型の軍人や馬の高さは2センチほどですが、軍旗や甲冑、武器の細部にわたって精密に作られていることに目を見張ります。

世界中の美術館や博物館に所蔵された模写を閲覧できる

 隣のマルチメディアルームでは、壁2辺を使った横長のスクリーンで解説ビデオが繰り返し上映されていました。
 それによると、時は1503年、ヴェッキオ宮殿の大広間を、歴史的勝利を収めた戦いの壁画で装飾することになり、ミケランジェロは「カッシナの戦い」を、レオナルドは「アンギアーリの戦い」を依頼されました。ところが、レオナルドは新技法が失敗して制作がとん挫し 、ミケランジェロは紙に下絵を制作している段階で教皇に呼ばれてローマへ旅立ったため、どちらも未完のまま終了。その約60年後に、いずれの場所にもヴァザーリが壁画を描くことなりました 。レオナルド、ミケランジェロという当代きっての2人の芸術家が同じ空間で同時期に制作を行ったのは最初で最後、完成していれば西洋美術史に残る傑作になっていたに違いありません。

 残念ながら現代では2人の巨匠の作品を見ることができません。しかし、アンギアーリにあるこの博物館では、当時の画家がレオナルドの原作を模写したとされる作品や、下描きと思われるレオナルド本人のスケッチなどをタッチパネル式ライブラリーで閲覧することができます。模写されている場面はいずれも、軍旗を激しく奪い合う馬に乗った4人の兵士、その下には倒れた兵士ととっくみ合いをする2人の兵士という点で共通していることから、彼は戦闘シーンを部分的に描いていたのではないかと思われます。しかしすべては推測の域を出ることはなく、果たして原作はどうだったのか? 完成していたらどれほどの大作になっていたのか? いまだに謎に包まれたままなのです。

 レオナルドの幻の名画に想いをはせながら博物館を出て、次は中世の町並みを散策しました。博物館から南へ向かう緩やかな坂道や階段は花がたくさん飾られていて、歩いているだけで思わず写真を撮りたくなります。そんな路地裏の何気ない風景を楽しいみつつ、17世紀に再建された時計の塔を仰ぎ、12世紀から17世紀の違う時代に建設された3つの教会へと村を巡りました。私のお気に入りは、城壁上に設けられた広い遊歩道。ここから戦いの舞台になった平原を遠くまで見渡すことができます。


 アンギアーリでのもう1つの楽しみは、旧市街のすぐ外にある老舗テキスタイルメーカー「ブサッティ」でのショッピングです。イタリアに侵攻したナポレオン軍の軍服工場を基礎に1842年に創業され、現在はさまざまな布製品を生産し販売。ファッションブランドとして世界的に有名なプラダのオーナーの私邸やフェラガモが経営するホテルでも使われています。創業時から同じ場所にある本店はショールームも兼ねており、テーブルやインテリアのスタイリングを見るだけでもほれぼれしてしまいます。毎日使ってもへこたれない丈夫さは、わが家のフキンやエプロンで実証済み。何よりも自社で染められた糸を用いた生地の色あい、年季の入った機で織りあげるデザイン、地元の女性が1針ずつ丁寧に刺していく刺しゅうの可愛らしさは抜群で、自宅用に買い足すのはもちろん、日本へのお土産にもぴったりです。

ブサッティのショールーム

 帰りのバスまで時間があったので、アンギアーリの全景が眺められるパノラマスポットにも足を延ばしました。目の前には、村いちばんの高みにある時計の塔を右に、折り重なるレンガ色の屋根、家並みから突き出た教会の鐘楼、そして城壁と緑豊かな平原……。それらを1枚の写真に収めようとしていると、2人の日本人画家の存在に気づきました。アンギアーリの美しさに魅かれて連泊し、ここで絵筆を走らせているのだとか。外国人をも魅了する村の姿にかつての激しい合戦の面影はなく、穏やかな春の陽気に包まれてキラキラと輝いていました。

 さて結局のところ、レオナルドの「アンギアーリの戦い」はヴェッキオ宮殿の広間に残っているのでしょうか? 調査の結果、冒頭で紹介した言葉はレオナルドの作品を示唆する暗号ではなく、当時使われていた政治的に皮肉をこめた格言であり、ヴァザーリの壁画に穴を開けて採取した顔料もレオナルドだけでなく一般的に広く使われていたことなどから、「レオナルドのアンギアーリの戦いは存在しない」という結論をまとめた本が発表されました。とはいえその全容は明らかになっておらず、ヴァザーリの壁画を見上げるたび、そしてアンギアーリの高台から戦いの地を見渡すたびに、レオナルドが残した何かがまだ隠されているのではないか? と淡い期待を持ってしまうのでした。(つづく)


★アンギアーリへのアクセス
フィレンツェから電車でアレッツォまで約1~1時間30分。そこからバスで約50分。

【トスカーナ自由自在】https://toscanajiyujizai.com/
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【なかやま・くみこ】
兵庫県出身。28歳でフィレンツェ留学、のち現地で結婚。現在はフィレンツェ北部の田舎で、夫・息子2人の4人暮らし。さまざまな分野の取材・視察・ビジネスのコーディネイトと通訳を一貫して行う。趣味の個人旅行とトスカーナ愛が高じて、ウェブサイト「トスカーナ自由自在」を2015年に開設。ありのままの日常生活を紹介するとともに、郷土料理や祭り、生産者、小さな村などイタリア各地の魅力を発信している。
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