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美しいくらし
ジョージア旅暮らし日記 モデル・定住旅行家
ERIKO
第7回 アジアのスイス・ウシュグリ村㊦
 ウシュグリ村に来る少し前、私が滞在させてもらっているラタリ村のパルジアーニ家から歩いて20分ほどのラフシュティ村を訪ねたことがあった。人口50人にも満たない小さなこの村にはパルジアーニ家の親戚であるマドナさんが住んでいて、彼女の家の敷地内に立つコシュキの中に入らせてもらったことがあった。

 地上から4メートルぐらいの位置にある塔の入り口までは、コシュキに併設されているコルという小屋の2階まで上がり、そこから木製のはしごを渡っていかなければならない。はしごといっても段と段の間隔が成人の大股ほど開いていて、板も薄く、真下の景色がすっぽり見えてしまう。もちろん手すりなどない。高所が苦手ではない私でもさすがに怖くて、「やっぱり行きたくない」などと駄々をこねながらも、全神経を集中させてなんとか入り口までたどり着いたが、帰りも同じ場所を通過しなければならないと思うと気が滅入りそうだった。その昔、敵が攻めてきたときは、このはしごを壊して敵の侵入を防いだという。

 木製の扉の内側に広がるコシュキの内部は真っ暗で、手元のライトを照らさなければほとんど何も見えなかった。上へと続く階段は石を荒く削ってできていて、爪先がかかるほどの段差しかない。1階から3階までわずかに光が入るほどの窓が1つしかなく、ライトを頼りに上った。敵が攻めてきたときは家族が何週間もここに閉じこもって過ごしたのだと、案内をしてくれたカハさんが教えてくれた。

 ようやくたどり着いた塔の最上階は、中腰にならなければ頭をぶつけてしまうほど天井が低いスペースが広がっていて、床に敷き詰められた藁の匂いに包まれていた。
 現在、コシュキのほとんどは家畜の干し草や雑穀の倉庫として使われているのだという。暗闇の中に長時間いたせいか、四方の壁をくり抜いてできた人の顔2つ分ほどの小窓から差し込む陽光に、心が解放されるようだった。小窓をのぞくと、太陽の恵みを受けて甘えたように生い茂る緑と冷たい雪をまとった白い山々のコントラストという、永遠に記憶したい景色が広がっていた。

 あらためてウシュグリ村のコシュキを眺めていると、あの日に入った塔のハラハラした記憶が蘇った。民家を通り過ぎて村が一望できる丘の上まで登ると、ジョージア最高峰5068メートルのシュハラ山が、雲一つない青い空を背景に雪を抱いてそびえ立っていた。
 この場所に立つと、ウシュグリ村がシュハラ山の麓にあるのだとありありと実感できる。周囲の山々の間に谷ができ、その間をぬうように1本の川が流れている。この清流はイングリ川と呼ばれ、村の中心を通って黒海へ注がれていく。
 この雄大な景色を眺めながらそれぞれに持参した軽食をとる。私たちはそれぞれの世俗的な日常生活についてたわいもない話をしたが、この景色の中でそれはどこか遠くの世界のことのように感じられた。


 最後に私たちが向かったのは、チャザシ地区の東の丘にあるウシュグリ村の最高地点、「タマル女王の塔」。タマル女王はかつてジョージアが最も繁栄した時期に即位していた女王(在位1184年~1213年)で、12歳のときに父であったギオルギ王と共に国を統治し、父の死後に王位を継承した。
 現在のイラン、イラク、トルクメニスタンを中心としたセルジューク朝と戦い続け、南コーカサスまでの領土拡大に貢献し、国内に多くの教会、修道院を寄進させたことで知られる女王である。タマル女王の時代はジョージアが最も繁栄した時期であり、彼女は栄光の象徴として、今もなお国民の誇りであり、スバン民謡の題材としてもよく登場する。

タマル女王の塔


 ちなみに、通貨の100ラリの顔にもなっているジョージアを代表する詩人ショタ・ルスタヴェリはタマル女王の宮廷詩人を務めた人物。タマル女王に捧げた叙事詩『豹皮の勇士』はジョージア人に深く愛され、800年以上にもわたって人びとによって書き写されてきた。今でもジョージアの人びとはその物語の節を記憶し日常生活の中で詠み継いでいる。
 このタマル女王の冬場の離宮のために建設されたのが、タマル女王の塔である。建設された当時は4つの塔と1つの教会がくっつくように建てられ、要塞の役割も果たしていた。1930年代のソビエト連邦構成共和国の時代に破壊され、現在は1塔と教会のみが残っている。
 ウシュグリの人たちはここをスバン語で“集まる場所”という意味の“スペル”と呼び、村での決め事や問題を話し合うときに集まる場所として使っていたのだと塔のそばに立つ案内に書いてあった。
 タマル女王の塔がある丘の上からは、シュハラ山をはじめとする山々、山の源流から村へと伝って村人の生活を支えるイングリ川、さらには村人が暮らす村の全貌が見渡せた。きっとこの原風景をタマル女王も愛したに違いない。

 私たちが沈黙してしまうほどの圧倒的な景色の中には、この土地に根を張る人びとの暮らしが息づいている。そのちからこそが、この情景にいっそうの美しさを宿しているようだった。(つづく)
(写真:ERIKO)

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【エリコ】
鳥取県米子市生まれ。東京コレクションでモデルデビュー。「定住旅行家」として、世界のさまざまな地域で現地の人々の家庭に入り、生活を共にし、その暮らしや生き方を伝えている。これまで定住旅行した国は、ラテンアメリカ全般(25カ国)、ネパール、フィンランド、ロシア、サハ共和国、ジョージア、イタリア、イラン、スペイン、パラオ、カルムイク共和国、タタールスタン共和国など。とっとりふるさと大使。米子市観光大使。独立行政法人 国際協力機構JICA「なんとかしなきゃ!プロジェクト」著名人メンバー。著書に『暮らす旅びと』(かまくら春秋社)、『世界の家、世界の暮らし①~③』(汐文社)など。※写真:KATUMI ITO
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