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美しいくらし
トーベ・ヤンソンの夏の記憶を追いかけて ライター
内山さつき
第1回 旅のはじまりーその1
「ムーミン」シリーズの生みの親であり、芸術家としても知られるトーベ・ヤンソン。彼女がこよなく愛したのが、母国フィンランドの海に浮かぶ島、クルーヴハルでした。電気も水道もないこの孤島にトーベは小屋を建て、26年間にわたってほぼ毎年の夏の数カ月を過ごしたのです。その特別な場所に7日間滞在するという忘れがたい体験をしたライターの内山さつきさん。それを機にフィンランドをたびたび訪れ、取材を重ねてきたそうですが、いったいどうして、そうしたことが実現したのか? 新連載では、人生の転機にもなった島暮らしの舞台裏を綴ってもらいます。


寄せては返す時の波に、幾度洗われても消えない記憶がある。
大切な思い出は、まるで島のようだと思うことがある。茫洋とした記憶の海に、そこだけが懐かしさと憧れを湛えて胸の中に浮かんでいるから。
私の中に今も留まる記憶は、文字通り夏の島の思い出だ。
潮が流れていく音と、目を開けていられないくらい眩しく輝く海。陸地から渡ってきて島の上を通り過ぎ、はるか遠くに旅立っていく風。見上げると眩暈(めまい)がしそうなほど広くて深い、フィンランドの空の色。
たった一週間の夏が、私の行く道をすっかり変えてしまった。
電気も水道もない、背の高い木も生えることのない岩礁の島がくれた思い出を、私は小さな冊子に短くまとめたきり、長い間――10年間ほど大事に抱えるだけで過ごしてきた。その間には当然ながらさまざまなことが起こり、あれほどくっきりと鮮明だったことがらも、一枚ずつオブラートが重ねられていくように遠のいて感じることが多くなってしまった。
だからせめて改めて書き残しておきたいと思ったのが、これを書いた一番の理由だ。あの輝かしい夏、一人の素晴らしい作家がこの世に生まれてからちょうど100年目の祝福に満ちた夏が、また鮮やかに、より鮮明に甦ることを祈って。

フィンランドの作家で、「ムーミン」シリーズを生み出したトーベ・ヤンソンが、夏の間をクルーヴハルと呼ばれる小さな島で過ごしていたことを知ったのは、実際に島を訪れる5年ほど前、2000年代の後半に月刊誌の編集部で働いていた頃のことだった。ちょうどムーミンについての巻頭特集を担当することになり、彼女の人生を調べていたとき、トーベとパートナーでグラフィック・アーティストのトゥーリッキ・ピエティラが、フィンランド湾の沖合に浮かぶ孤島に小屋を建て、1965年から毎年夏になるとそこで暮らしていたことを文献で読んだのだった。トーベより3歳年下のトゥーリッキはアメリカ生まれのフィンランド人女性で、『ムーミン谷の冬』に登場するキャラクター、トゥーティッキのモデルだと言われている。
その記事には、トーベの小さな島は当時電話も通じず、島の近くの村まで行く公共交通機関も通っていなかったから、編集者たちは彼女と連絡を取るには島からヘルシンキに戻ってくる秋まで待たなければならなかった、と書かれていた。自分たちの他には誰も住んでいない孤島に引きこもって、創作を続けた風変わりな作家。そんな印象を受けるような内容だった。また他の資料には、島を空から撮影した写真も紹介されていた。白波の立つ海の中にぽつんと浮かぶ、その岩礁の島の近くには、他に人の住めるような島影もなく、中央には池のような水たまりがあって、そのそばに小屋の屋根が見えた。私はそれを眺め心惹かれながら、この作家の足跡を辿って、いつか自分がそこへ行けるようなことはあるのだろうか、とぼんやり考えた。
そして彼女はそこでどんなふうに過ごしていたのか、それがどのように彼女の作品に反映されていったのか、いつか知ることができたらと思った。でも公共交通機関がないというのでは、行きたいと思ったとしてもなかなかハードルは高いだろう。予算の少ない月刊誌の仕事では、そしてまだ下っ端の、しかも契約編集部員の自分にはそんな機会はきっと恵まれないだろうとため息をついた。ムーミンの特集は、それまでにも何度か担当したことがあったが、物語が生まれた地であるフィンランドを取材に訪れたことは一度もなかった。外国文学を特集するたびに現地の取材ができるわけではないことはよくわかっていたが、そうして何年も文献ばかりで特集を、それも写真や図版を多用して、まるで自分がその場所を知っているかのように記事を書くことには少々行き詰まりを感じていた頃だった。

トーベが島でどんな時間を過ごしていたのかは、すぐに知ることができた。彼女は1964年に50歳で島に小屋を建てたときのことから、1991年に体力の衰えを理由に島を離れるまでの26年間の日々を、フィクションを交えて断片的に記した『島暮らしの記録』という作品と、いくつかの短編に残していたからだ。そしてこれらの作品を読んで、私はトーベ・ヤンソンという作家に改めて深い敬意と関心を持つようになった。
 トーベは、私が最初に読んだ記事から受けた印象とは異なり、偏屈だから沖合の島を好んで住んでいたわけではなかった。都市に住む北欧の人たちは、夏の間を湖や海のそばのコテージで過ごすことが多いのだが、ヘルシンキに住むヤンソン一家は、1920年代、トーベが子どもの頃からフィンランド南部の群島地域ペッリンゲで夏を過ごしていたのだ。そしてトーベは大人になると、その群島地域に浮かぶ岩礁群のうちのひとつの島、ブレッドシャールに小屋を建てたのだった。ボートを係留するのにぴったりな小さな浜や、苔の小径のあるその美しい島での夏の暮らしをトーベは愛し、友人、知人も数多く訪れた。しかし、1950年代以降にムーミンが世界的にブレイクして著名になると、島を訪ねてくる人は後を絶たなくなり、創作活動に専念するのには欠かせない、静かな時間を作ることは難しくなっていった。そこで、彼女とトゥーティ(トゥーリッキ・ピエティラの愛称)は、より沖合の島に移ることを考えたのだ。

いくつか島を検討したのち、上から見ると岩が二つに割れているようにも見えるクルーヴハルという小さな島に住むことを決め、地元の漁業協会に承諾をもらって小屋を建設することにした。しかし、行政の正式な建築許可が下りるには長い時間がかかると思われた。1964年の秋、群島地域に住む二人の男性の知恵と力を借りながら、彼女たちは自分たちで小屋を建てはじめる。屋根の棟まで骨格を組んでしまえば、壊してはならないという法律を利用して、とにかく建ててしまうことが大切なのだ、と彼らに教えてもらったのだ。屋根なしでは冬の嵐を乗り越えることができない。だからなんとかして雪が降りはじめる前に、屋根までを作り上げなければならなかった。島の大岩を発破して地下室を作り、ボートで柱や壁、屋根や窓などの資材を運んだ。トーベの母親で挿絵画家のシグネ・ハンマルステン・ヤンソン(愛称はハム)も島にやってきて、ときおりテントに滞在しながら小屋が出来上がっていくのを見守った。こうして岩の上に作り上げられた小屋には、東西南北にひとつずつ4つの窓があり、雨戸と窓枠は美しい空色に塗られた。トーベは50歳、ハムは83歳、トゥーティは47歳のときのことだった。そして以降の夏をこの小さな島で過ごし、思う存分仕事に打ち込んだのだ。なんてかっこいい女性たちなのだろう! 私は心から感服した。

島での暮らしは、風が重要な意味を持つ。波が荒いとボートを出すことができないし、冬の嵐は、夏の間に作った桟橋すらすべて壊して海に持っていってしまうこともある。『島暮らしの記録』やトーベの小説には、たくさんの風が描かれている。風力階級8の疾強風、東からの大嵐、南東の風、凪と濃霧。
 そしてもうひとつ、島で欠かせないのがボートだ。トーベとトゥーティは、「ヴィクトリア」という名前の美しいボートを愛していた。トーベの幼馴染みのアルベルトが造った、マホガニー材を重ね合わせた、鎧張りのシンプルなそのボートは、トーベの言葉を借りるなら「この沿岸全域に見られるどのボートよりも美しいボート」だった。「力づよく、しなやかで、荒波に凛として踊る」。「ヴィクトリア」という名は、トーベとトゥーティの父親の名から取られた。二人のパパは共に「ヴィクトル」という名前だったから。
私は島と海について描く、トーベの言葉の美しさにすっかり心酔してしまった。ムーミンの物語を綴るときとはまた違う、力強く揺るぎない目でものごとの本質を見抜く言葉。それはその土地の暮らしと、その土地への愛から生まれる言葉だった。(つづく)

トーベ・ヤンソンが夏の数カ月を過ごした島、クルーヴハル


(写真提供:内山さつき)

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【うちやま・さつき】
横浜市出身。月刊誌の編集執筆に携わった後、フリーランスのライター、編集者として独立。「旅・物語・北欧」をテーマに取材を続ける。2019年から全国を巡回した「ムーミン展 the art and the story」の展示監修&図録執筆を担当するほか、朝日新聞デジタルの連載「フィンランドで見つけた“幸せ”」や「地球の歩き方 webサイト」のラトビア紀行を執筆する。2014 年夏、「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンが夏に暮らした島、クルーヴハルに滞在したことをきっかけに、友人のイラストレーター・新谷麻佐子さんと北欧や旅をテーマに発信するクリエイティブユニットkukkameri(クッカメリ)を結成。ユニットとしての著書に『とっておきの フィンランド』『フィンランドでかなえる100の夢』(ともにGakken)。2023年に開設したwebサイト「kukkameri Magazine」では、フィンランドのアーティストたちを紹介している。
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