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美しいくらし
トーベ・ヤンソンの夏の記憶を追いかけて ライター
内山さつき
第5回 トーベ誕生100周年の夏ーその2
これまでのやりとりで、私たちはニナが料理と食材について、かなりのこだわりと見識があることに薄々気づきはじめた。そしてその予想通り、ニナは類稀なる料理の腕を持っていた。
広場のマーケットでの買いものが終わると、次はスーパーマーケットへ。フィンランドのスーパーマーケットは、「S-market」と「K-Supermarket」の大手二つのチェーン展開があり、今回行くのはバスターミナルから少し離れた「K」の方。駐車場に車を停めて、いかにも海外の大きなスーパーという感じの「K-Supermarket」に乗り込んだ。まずは入り口付近に生鮮野菜と果物、それからパン、その反対側に日本よりはるかに売り場面積の大きいハムやチーズのコーナー。そして店の中央には乾物や嗜好品、菓子類などが陳列された棚が並んでいる。

ニナのおすすめのお菓子ドミノ


ニナは私たちが島にいる間、できるだけフィンランドの食文化を満喫できるようにしてあげようと決めたようだった。パンコーナーでは、フィンランドのパンと言えば、まずはこれが挙げられるルイスレイパ(ruisleipä /ライ麦パン)を手に取った。ライ麦パンの種類はたくさんあるが、手に取ったのは丸く平たい形をしていて、上部にぽつぽつと穴が空いているタイプのもの。真ん中で簡単に割れるように切り込みが入っていて、サンドイッチやオープンサンドを作るのにも便利だ。それからもうひとつ、スーパーマーケットでも手軽に買える群島パンの一種、マーラハデン・リンップ(Maalahden limppu)。これはもとから1センチメートル程度にスライスされており、使い勝手がよさそうだった。
マーケットで買えなかったニンジンやカリフラワー、タマネギ、チーズやハム、パスタなども買った。「これで主食はOKね」とニナは言い、次はお楽しみのおやつとコーヒーを選ぶことにした。お菓子売り場では、ドミノ(DOMINO)というオレオのような黒いクッキーにクリームを挟んだお菓子を、「これはフィンランドで昔から愛されているのよ」と教えてくれる。ドミノはニナのイチ推しのようだ。それを見てヤスも、「これもフィンランド名物だよ」と自分のお気に入りの少しジャンキーなお菓子を手にして私たちのところに持ってきた。
「どう?」
ニナはちらっと商品を見たが、即座にそんなのは邪道だというように手を振った。
「じゃあ、これは?」
「それより、こっちのほうがおいしいわよ」
ヤスは私たちにいたずらっぽい表情を向けてからおどけたように肩をすくめ、仕方なさそうに商品を戻しに行った。なんだかお母さんにスナック菓子を買って、と頼んで断られた男の子みたい。新谷さんと私が笑いを嚙み殺していると、ヤスはどうせまた却下されるんだろうけどね……と切なげな空気を少々大げさに漂わせながら、根気よくいろいろな商品を持ってくるのだった。
「ニナ、これはどう?」
「そんなのおいしくないわよ」
「これはどう? いいえ、こっちでしょ」
そんな姿がまるで夫婦漫才のようで、私たちはとうとう吹き出してしまった。

インスタント食品の棚を通りかかったとき、私は屋外で食べるカップラーメンは異様においしいものだ、ということをふと思い出した。自炊に疲れるときだってあるかもしれない。海を見ながらカップラーメンというのもなかなかオツなのでは? 今回、準備のいい新谷さんは、レトルトのカレーなどをいくつかスーツケースに入れてきたと言っていたが、聞いてみるとカップラーメンは持ってこなかったという。それなら、ここで仕入れるのもいいかも。提案してみると、すぐに賛成してくれた。フィンランドにもカップラーメンはたくさん種類がある。私たちは当時あまり日本では見かけなかった、トムヤンクン味のカップラーメンを選び、買いものかごに入れた。ニナは、「あら、あなたたちそんなのも選んだのね、いいわね」と微笑んだ。
ヤスの努力も報われた。最後に持ってきた商品が、ついにニナのお眼鏡に適ったのだ。残念ながらそれが何だったのか、今となってははっきり思い出せない。オイルサーディンか何かの缶詰だったような気がするけれど、買いものの終盤に「ニナ、これもおいしよ……
!?」と、ヤスが差し出した缶詰の成分表を、ニナは少しの間疑わしそうに眺めていたが、目を上げてにっこりして認めた。
「これはおいしいわよね」
満面の笑顔でガッツポーズをしたヤスに、私たちは拍手を送った。

スーパーでの楽しい買い出しが終わると、ニナたちは私たちを再びポルヴォーのバスターミナルで降ろしてくれ、今日フィンランドに到着するという友だちを空港に迎えにヘルシンキへと発っていった。買い込んだ一週間分の食料は、島に向かう明日の夕方までニナたちが自宅で預かってくれるという。マーケットでは魚、スーパーマーケットではバターや牛乳なども仕入れたから、それはとてもありがたい申し出だった。私たちが今夜泊まる旧市街の小さなB&Bには、そんなにたくさんの食料を入れる冷蔵庫はない。それに、車がない自分たちの足では運ぶのが難しい水も、ニナたちが代わりに買っておくと言ってくれたのだった。
手際よく、笑いもたっぷりの買い出しを終えて風のように去っていった二人を見送り、「こんなに素敵な二人にはきっと友だちがたくさんいるんだろうね」と話しながら、私たちはポルヴォーの旧市街を散歩することにした。
 
ポルヴォーは、ヘルシンキからバスで一時間くらいのところにある、およそ800年の歴史を持つ、フィンランドで2番目に古いスウェーデン語圏の町だ。スウェーデン語系フィンランド人は、主にフィンランドの西南部沿岸に住んでいる。彼らが住民の多くを占める地域では、町で目にする通りの名前や店の看板、メニューなどがスウェーデン語に変わる。ポルヴォーはフィンランドの人気の観光地でもあるため、他のスウェーデン語系の町よりは国際化しているものの、それでもスウェーデン語を目にすることが多くなる。トーベが夏を過ごした群島地域ペッリンゲは、住民のほとんどがスウェーデン語系フィンランド人だ。ペッリンゲはここポルヴォーを通じてヘルシンキと結ばれている。

ポルヴォーの町並み


ポルヴォーには、バスターミナルから歩いてすぐのところに旧市街があり、18世紀からの町並みが今も残っている。通りを一本入ると、石畳の道が延び、左右にパステルカラーの木造の古い建物が並ぶ。まるで現代からふと18世紀にタイムトリップしたかのようだ。
買いものを終えてもまだ午後は早く、北欧の夏の日差しはさんさんと降り注ぎ、空はのびやかに晴れていた。広場には博物館やギャラリーもあって、そうした文化施設などの壁にはどこも、トーベ生誕100周年を祝うロゴがプリントされたポスターや、関連するイベントのチラシが貼られていた。

「TOVE100」のロゴを使って、町中がトーベ生誕100周年を祝った

「TOVE100」と名付けられた100周年のイベントロゴは、バンドネオンのような楽器を持った小さな女の子のイラストだ。それは絵本『さびしがりやのクニット』の最後のシーンの背景に描かれているキャラクターで、はっきりと明示はされていないものの、ムーミンの物語世界では「クニット(日本語訳では“はい虫”)」と呼ばれる生きものだと思われた。クニットとは、小さな生きものの種族のことで、たいていは臆病で内気な性格をしている。このロゴに使われている小さな女の子は、『ムーミン谷の冬』に登場するクニットの「サロメちゃん」にも面影が似ている。サロメちゃんは、冬の間、ムーミンやしきの居間に飾られている、海泡石で作られた電車の中に住んでいる。スキーが上手で元気にホルンを吹き鳴らすヘムレンさんのことが好きなのだが、小さな体と控えめな性格のために、存在自体になかなか気づいてもらえないというキャラクターだ。
 
このロゴを知ったとき、生誕100周年の華やかなお祝いに、主人公のムーミントロールではなくクニットが起用されていることに、私は感じ入った。ムーミンの小説では、物語の中心でスポットライトを浴びている人たちだけでなく、その周りで気後れしながら、そっと舞台をのぞいているような生きものたちにも同じようにあたたかな眼差しが注がれているからだ。森のパーティーで踊りの輪に加わることができず、物陰から見つめている小さなクニット、クリスマスツリーの周りで初めて自分たちのためのお祝いを目にするつましいクニット、彼らクニットたちの姿は、物語の中にたびたび描かれる。彼らがほんのひととき物語の中心に転がり込んだとき、トーベの筆致はいつも慈しむようにやさしくなる。トーベは、孤独で寄るべがなく、本当は勇気を持ちたいのに、いつも恥ずかしがっている小さなものたちへの眼差しを決して忘れることはない。『ムーミン谷の冬』では、内気なクニットのサロメちゃんが精一杯の勇気を出して、大好きなヘムレンさんの危機を救おうとするエピソードも描かれる。そんなサロメちゃんを思わせるイラストの横に、手書き風のピンクの文字で「TOVE100」と書かれた100周年のロゴは、トーベ文学のあり方を表しているようで、私はとても気に入っていた。(つづく)

(写真提供:内山さつき)

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【うちやま・さつき】
横浜市出身。月刊誌の編集執筆に携わった後、フリーランスのライター、編集者として独立。「旅・物語・北欧」をテーマに取材を続ける。2019年から全国を巡回した「ムーミン展 the art and the story」の展示監修&図録執筆を担当するほか、朝日新聞デジタルの連載「フィンランドで見つけた“幸せ”」や「地球の歩き方 webサイト」のラトビア紀行を執筆する。2014 年夏、「ムーミン」シリーズの作者トーベ・ヤンソンが夏に暮らした島、クルーヴハルに滞在したことをきっかけに、友人のイラストレーター・新谷麻佐子さんと北欧や旅をテーマに発信するクリエイティブユニットkukkameri(クッカメリ)を結成。ユニットとしての著書に『とっておきの フィンランド』『フィンランドでかなえる100の夢』(ともにGakken)。2023年に開設したwebサイト「kukkameri Magazine」では、フィンランドのアーティストたちを紹介している。
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